拝啓、ラノベ作家たち。俺は今、自分の世界に来ています。

遠世

第1話 妹のお願いは神の言葉に等しい


「目が覚めると、知らない森の中に居た。何を言っているのか分からないと思うが、安心してくれ、俺も分からない」


 一人で現実逃避をするように谷崎蒼真たにざきそうまは芝居がかったセリフを述べる。

 辺りを見渡しても森、森、森……明らかに食い荒らされた生物だったはずの何か。

 よし、気持ち悪くなってきたぞ☆

 目覚めは悪い方だと言う自覚があるが、おかげで驚きのあまりおめめはぱっちり! 

などとふざけている余裕も無かった。


「オーケイ、状況を整理しよう。俺は、意識を失う前に何をしていた?」


 一通りの現実逃避を終えたソウマは気を失う前のことを細かに、出来るだけ前から順番に思い出していく。


**


ありきたりだが、幸せな日常を彼は生きていた。


「ふぁあああ」


 学校のない、土曜日の朝。

 窓から射す日光で目覚めた蒼真は欠伸をして背を伸ばし、目をこすってベッドから降りた。散乱する教科書の隙間を足場にして部屋の扉前までなんとか移動し、廊下に出る。

 蒼真が廊下に出ると、タイミングを合わせたかのように隣の部屋の扉が開いた。

 そこから出て来たのは蒼真の一つ下の妹である谷崎朱里たにざきあかりだ。

 起きたばかりでパジャマ姿であるにも関わらず、兄と違って欠伸の一つも見せず、髪をポニーテールにまとめており寝癖がある様子はない。


「……フフッ、おはよー、お兄ちゃん」


 朱里は蒼真のぼさぼさの髪を見てからくすりと笑って兄に話しかける。


「おはよう……」


 可愛らしい、目に入れても痛くない妹に笑われて少し傷つく。

 朝から笑われるくらいならもっと早くに起きればよかったと後悔しながら朱里と共に階段を下りてリビングに入る。


「お兄ちゃん、寝相悪いんだねー? それとも、昨日寝る前にお風呂入って髪乾かさずに寝たからかな? ぼっさぼっさだよ?」

「……笑うほどか?」

「うん、自分で見て見ればいいよ……フフッ……私が朝食、お兄ちゃんの分も用意しておいてあげるから、先に顔洗ってきたら?」

「そうさせてもらうわ」


 妹の提案に乗っかり、蒼真は素直に洗面台のところまで行き、まだしょぼしょぼする目を力技でクワッと開く。


「…………見事なボンバーだな……。今の俺ならじゃんけんで戦えそうだぜ……詳しく知らんけど」


 見事なまでに火山噴出物の軌跡を描くように、さながらパイナップルの葉のように縦長になっている髪を鏡越しに見て蒼真は寝ぼけた頭で眠たそうに呟いた。


**


 顔を洗って、寝癖を直した蒼真はリビングに戻っていた。

 妹が用意してくれた朝食を食べながら、蒼真は朱里を見ていた。

 テレビのニュースを見ながら味噌汁を啜る様子は温かい日光に照らされて窓際のお姫様のようであった。


(我が妹ながら食べる姿が絵になるな……いや、何でも絵にはなるが…………朝食も用意してくれて出来た妹だ…………けどなぁ……)


 蒼真は自分の妹に対して世間一般のそれよりも深い愛情を抱いていることを自覚していた。

 とどのつまり彼はシスコンであるわけだが、そんな彼でも自分の妹に対して思うところが一つあった。


「にぃにー。何か設定凝ってて面白いラノベ作ってー」

(来た…………無茶ぶり)


 味噌汁を飲み終わり、茶碗を置いたところで朱里は可愛らしくも小悪魔的な笑みを浮かべて甘えた声を出して蒼真の瞳をまっすぐ見た。


「お前、それを話すためにわざと俺が部屋出た後に出て来ただろ。洗顔しに行く気も無さそうだし、俺より先に起きてて一回部屋に戻ってたんだろ?」

「あ、バレた?」

「バレバレだな。何年お前の兄貴やってると思ってる」

「十七年」

「答えを求めてるわけじゃねーよ」


 蒼真の妹、朱里には悪い癖がある。


 優しい、可愛い、優秀。

 なるほど、ここまで見たら確かに出来た妹だろう。

 そこは大いに認めよう。

 というか、認めない奴がいたら出で来い。

 どれだけ朱里が素晴らしいかを身をもって理解させてわからせてやるから。とこのシスコンは考える。


 しかし、時々その愛しの妹ちゃんは蒼真に対して無茶ぶりを振る。

 それも彼女の趣味――兄との会話の種としての意味もある趣味――として多少嗜んでいるアニメや漫画、ラノベの知識を基にした無茶ぶりを、だ。


 彼自身も彼女にその道を薦めた者である上、シスコンであるがゆえにその無茶ぶりが楽しい時もあるが、時には本当に実現困難な要求をされるので困っているのだ。

 シスコンゆえに断るという選択肢は存在しない。存在するはずがない。


「というか何だよ、設定が凝ってて面白いラノベって? 具体性を寄越せ、具体性を」

「具体性? 別になんでもいいよ、面白ければ。おねがーい、にぃにー」

「つか『にぃに』ってどうした? 今度は何の影響受けてやがる?」

「え? いや、最近見ているアニメのさ、妹キャラがさ、めっちゃ、めっちゃ、可愛いの…………」


 うっとりとした様子で呟く朱里。

 そして、拳を握って力説をする。


「妹キャラは正義…………! そして、気が付いた……私は貴方の妹。ならこれを利用しない手は無い…………どうせだから、妹キャラをやってみてその気持ちをもっと理解したいという当然の思考の末の帰結なの!」

「お前、この前、『やっぱり、執事キャラは正義』って言って俺に執事コスさせた挙句、『なんか違う……』って言ってたよな? あれだけ奉仕したのに。で? 妹キャラは実際やってみてどうだったんですかァ?」


 当時の無力感と絶望感を思い出した蒼真は皮肉を込めて責めるように問う。


「……正直」

「うん?」

「めちゃめちゃ恥ずかしい……実際にやれたものじゃないね」

「でしょーね」

「でも、可愛かったでしょ?」

「…………言うまでもなく」

「でしょー?」


 ムフフと言う背景音を幻視した蒼真はそれだけで朱里を責めることが出来なくなる。

 彼女の『無邪気な笑顔』という攻撃技は蒼真に対して四倍どころではない弱点タイプの攻撃なのだ。


「それで? どうしてまたそんな無茶ぶりを?」


 毎度のごとく結局は妹の無茶ぶりを受け入れてしまう気でいる蒼真。

 せめて理由を聞いて自分自身、その要求に納得しようと試みた。

 朱里は十六年間、蒼真の妹をやってきただけあって、どうすれば兄が自分の願いを叶えてくれるのか熟知していた。

 当然のようにその質問も想定していたのですらすらと返答する。


「アニメとか、漫画とか、世に出ている創作物に総じてこれは言えるんだけど気になるところで終わっておいて、続きが出るまで時間がかかるんだよ。あのねぇ、言わせてもらうけど待てない。気になりすぎて夜しか眠れない」

「それは……仕方なくないか?」

「分かってる、わかってるんだよ、お兄ちゃん……それでも気になる物は気になるの。夜しか眠れないの」

「健康的でよろしいじゃないか」

「よろしくないの! それでね、私、また気が付いたの。創作物が世に出るまで待てないのなら、身内に創作物の作者がいれば世に出るのを待たずにその作品を見れるんじゃないかってね!」


 フフンと胸を張って自信満々に言う朱里に蒼真は精神年齢が絶妙に実年齢に合っていない妹に温かい目を向ける。


「……お前、頭いいけど頭悪いよな」


 妹の発言を受け、蒼真はしみじみと呟く。


「え? 今の発言のどこにその言葉を誘発するフラグがあったの?」

「お前の発言全て。その考えで俺に作者に成れと言っている所で既にアホの片鱗を見せていただろうが。素人の俺にまともな物語を作るだけの技量があるわけないだろ」

「大丈夫大丈夫。物は試しって言うでしょ? 私だって期待してないから、気楽に作ってよ。私がお兄ちゃんを育てるから」

「お前はどの立場で言っているんだ」

「妹の立場だけど? で、どうなの? やってくれるの?」


 話を別の方向に持っていこうとしている蒼真に対抗して朱里は席を立ちあがって朝食の皿を片付けながら話を元に戻すためにダイレクトに問う。

 蒼真は考える素振りを見せてすぐに返答することはなく、リビングには朱里がひねった蛇口から落ちる水の音だけが響く。


「……やるよ」


 諦めたように蒼真は呟く。


「考えるフリして、ほんとは最初からやる気だったでしょ」

「……まあ、可愛い妹の頼みだしな」

「お兄ちゃん、シスコンだね~。ま、そう言う私もきっとブラコンなんだろうけど」


 見透かしたように言う朱里にいつか旦那を尻に敷く女性になるだろうと予感してしまった蒼真は、朱里が皿を洗い終えたタイミングで席を立って入れ替わるようにして皿を洗う。


「はあ、そう言えば母さんと父さんはまだ寝ているのか?」


 皿を洗いながら、蒼真はさっそく頭の中で創作の仕方を考えつつ、妹にいいように使われていることに対する兄としての威厳とシスコンとして頼られて嬉しいという気持ちの葛藤から気を紛らわすためにあえて脈拍のないことを問う。


「うん。今日は仕事でも何でもなくて、普通に休みだって。昨日、仕事で遅かったから寝るのも遅かったみたいだから、まだ寝てるよ」

「それじゃあ、俺が母さんたちの分の朝食を用意しておくか……」

「お願いね、お兄ちゃん」


 朱里はリビングの扉から頭だけをひょこっと出してウィンクをして出ていく。


「それは、朝食か? それとも、頼み事か?」

「どっちも。それじゃ、楽しみに待ってるから~」


 上で寝ている両親を起こさない程度の声量を出して問うと、半開きのままの扉から階段を軽やかに上る音と共に返答が返って来た。

 こうして、シスコンの典型である谷崎蒼真は物語――ライトノベルを作ることになった。


**


 両親の分の朝食を作って、蒼真は自室の机に向かってカッコイイからと言う理由だけで購入してもらったノートパソコンを開いていた。


「……さて、どうしようか」


 思い悩んでいるのは、世界一可愛い妹から要求された『面白い話』についてだ。

 今までにそんなことを試みたことは無かったし、することも無いと思っていたのでまず何をすればいい

のかがわからず、パソコンのアプリを開いたところで脳が停止していた。


「…………とりあえず、話の設定から考えるか……」


 何かやらなければ進まないと考えた蒼真は、キーボードに手を置いて頭の中に今までに見聞きしてきた物語達を頭の中に浮かべながら設定を作っていく。

 今までに蒼真が見て来た物語は幅広いが、とりわけ最近はやはり所謂〝異世界もの〟の情報が脳内に多い。


「変に典型を外れた物はハードルが高いな……とりあえず、ベタな設定でも自分で作ってみて、後から少しずつ変えていくか……」


 そして、彼はあーでもない、こーでもないと悩みに悩んでどうにか一つ、多少は形になっていそうな設定を練った。


『その世界では突如として魔物が人語を操り、人に近く進化していった。人々はその変化を魔物の生存戦略で人間を襲いやすくするためのものであると結論付けて人に近い魔物――真魔と戦争を繰り返している』


「……我ながら、ありきたり……か? 相場がよく分からないが、次は……とりあえず、ヒロインか? 主人公は後でいいだろ。いいのパッと思いつかんし……」


 まずは世界観という大まかな設定を練って、蒼真は次々に設定を作っていく。


「ヒロインは、そうだな……名家の生まれで強気だけど、実は誰よりも心が弱くて、それを必死に隠している……一人でいるときに弱音を吐いて、自分を叱責している、とか?

 それでも、自分の夢は諦めない。

 見た目は……腰にはレイピアと短剣。普段はこの二つだけど、色々な武器を扱える。

 髪は長くなくて、顔は子供と大人の中間ぐらいで、まあ、きっと美形だろう。

 絶世の。たいていそうだし……後は……名前か?

 んー、設定書くときにめんどいから適当にルル・ホルトでいいか。

 名前くらい後でいくらでも変えられるしな……。

 あとは、主人公と出会ってから、一度、命に係わるピンチに陥るって主人公に助けられるっていう王道シーンも欲しい……」


 ぶつぶつと呟きながら思いつくままに様々な新設定を書き込み、削除し、編集し、書き直して自分だけの、妹が好きそうな要素を詰めた世界を、創っていく。

 完全に新しい、蒼真だけの世界だ。


「……あれ、もうこんな時間か」


 ある程度の設定候補がいくつか大雑把に固まってきたところで時計の針が長針、短針ともに真上を向いていることに気が付いた。

 自室の窓から外を眺めると、どうやら正午ではないらしいということは分かった。

 案外、夢中になっていたのだろう。食事も忘れて創作に没頭していたらしい。

 自分の意外な一面に驚きながら蒼真はやる予定だった予習など記憶から消し去って不意に欠伸が出た。


「……流石に寝るか」


 妹のためにここまでするかと自分でも若干引きながら、蒼真はノートパソコンの電源を落としてふらふらと歩いてベッドに倒れこんだ。

 今更、歯を磨く気も、風呂に入る気も起きてこない。

 腹は減っているが、食べる気も起らない。


「……朝一でやれば、ぎりセーフだろ…………」


 自覚してしまった睡魔に抗うことが出来ず、蒼真は瞼を閉じた。

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