第13話「追憶」

 「…ユキ?ユキってなんだ?」


 そのリアクションだけで僕は満足だった。自分が行きたい場所でもあるが、こいつにとって初めての未開の地。そこへ向かうには2月という時期は抜群のタイミングだった。僕は都心近郊に住んでいるが、これから行こうとしている場所には小さい頃から高校生くらいまでは毎年足を運んでいた。その頃までは両親が毎年冬になるとスキーに行くからだ。僕は幼い頃から連れて行かれていて、多分3歳くらいからソリや子供用のプラスチックのスキーを履いて雪面を滑っていた。僕の一つの自慢は、そのお陰で小学校高学年あたりからは親と一緒に色々なスキー場の上級コースを滑れていた事だ。


 目的地は都心から電車を乗り継いで3時間から5時間ほどはかかるだろうか。高校生の時に鈍行列車で行った時の事を思い出した。中学校卒業くらいまではいつも家族で車で行っていたが、高校2年生くらいの時から当時の友人を連れて行くようになった。いつも泊まっている民宿でバイトをしながら暇があればスキーをしに山へ行くという冬休みを過ごしたりしていた。その頃も我武者羅にスキーの技術向上に努めて何度も同じコースを滑りに滑った。目標は父親を超える事だったが、それも叶わぬ目標になりそうだ。歳を取るにつれてだんだんスキー場にも行かなくなった。だからと言うわけではないがこの連休で所謂雪国へ足を伸ばしてみようかと考えたのであった。


 と、それはさておき、こいつの反応を見るからに雪という物質自体をおそらく知らないのだろう。というかこいつの世界に天気と言うものが存在しているかも怪しいものだと思った。僕の生きている世界じゃない別次元では晴れも雨もあったものじゃないと言う様な予想を勝手にしていた。だがこいつと出会ったその日に無糖の紅茶を差し出したら飲んでいた、と言うところを見ると水分という概念はあるのだろう。こいつ自身もノドが渇いた程じゃないと言っていたのがその証拠だ。


 遠出をする心の準備は出来た。あとは物理的な準備をするだけだ。クローゼットの奥からリュックサックを引っ張り出し、ファスナーを開ける。中から使ってない靴下やビニール袋なんかが数枚出てきたが、これは前に使った際にそのままにしておいたものだろう。旅行などに行って帰って来ると片付けをしなきゃならないのも苦手分野なのだが、今出てきたものはいつの旅行で準備したものなのかも思い出せなかった。それほど久しぶりに旅行の準備をするということなのだろう。もう少しアクティブに外出するようにした方が良いのだろうが、僕の性格からしてこの先もこのバックパックにお世話になる機会はあまり無さそうな気がした。


 「なあ、ユキってのはなんなんだよ?聞いたことも無いんだがよ。」


 大分興味があるらしい。一旦悩んだ表情をしてからやっぱりわからんと言った風に再度聞いてきた。それは行ってからのお楽しみだ、と言っておく。お楽しみなのは僕も一緒で、長年雪国に足を運んでいなかったためか、雪が見れるとなるとテンションが上がる。僕が好きな天気は晴れに続いて雪だからだ。ただ、都心で雪が降ってしまうとそれだけで交通機関から何から全てに影響が出る。それだけはどうにもならない。だがそういう事情はさておいて、小さい頃から雪にまみれた冬を毎年を送っていた僕は雪が純粋に好きなのだ。


 日付は金曜日になってしまったが焦る事は無い。4連休もあるのだ。明日の行動開始時間が少し遅れたとしてもそれはそれで良いだろう。気合を入れて朝早くから行動したとしても通勤ラッシュに見舞われては面倒なだけだ。少し時間を置いて午後直前くらいから動き出すのが良いだろう。ただ、向かう場所がシーズン真っ盛りの雪国とあってはそれなりに人も多いんじゃないかと予想できる。昔に比べてスキーをする人は減り、スノーボードをする人が増えたように思うが、所謂ウィンタースポーツも右肩下がりの傾向になっていると思う。僕が大人になってからすぐの頃にはもうスノーボードが大流行だった。ただ僕はスキーを極めるまではスノーボードをやらないと心に決めているので、たとえ機会があってもスキーしかやらないだろう。


 そんなことを考えながら(ある意味なにも考えてないような状態で)準備は順調に進んでいった。大体これだけあれば足りるだろうというくらいの下着や靴下、その他防寒グッズを詰め込んで終了だ。あとは旅先でなんとかなるだろう。ぶっちゃけお金さえ持っていればなんとでもなると思っている。


 …大事なことを忘れていた。目的地の民宿に一報入れておかないとまずい。僕は自分のスマートフォンを手に取って民宿の番号を探した。…が、無い。以前に使っていた携帯電話には入っていたと思うのだが、スマートフォンに変えた際に電話帳の移行がキャリアを変えてしまったため出来なかったのだ。


 …気は進まないが実家に電話して聞くしかないだろう。といっても日付も回った直後のこの時間だ。両親は間違いなく寝ているだろう。結局電話番号の確認は朝に回すとして、準備の続きに時間を割くことにした。


 「…ユキ。ユキ、なぁ。聞いたことねぇんだよなあ…」


 ベッドの片隅でこいつはまだぶつぶつと呟いていた。こいつとの付き合いが始まってから3本の指に入るくらいは面白い出来事かもしれない。まぁついて来ればわかる、驚いて腰抜かすなよ、と頭の中で囁いておく。と、大体着替え系統の荷詰めは出来た。もうほぼ準備完了と言っても良いだろう。あとは明日の朝からゆっくり動き出せばいいか。酔いは大分醒めてきたが、シャワーでも浴びてすっきりしてから寝ることにしようと思った。


 もう頭の上にクエスチョンマークが出るかの如く悩んでいる生命体に一声かけてから風呂場へ向かう。この調子だとこいつは朝までこのままかもしれない。そう考えたらなんだか笑えてきた。明日の行動を考えながら服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びると酒気が少しずつ無くなっていくような感覚を覚えた。久しぶりの連休をもらえたんだから明日(正確には今日)から仕事の事はいったん忘れて自由に羽根を伸ばすとしよう。


 シャワーを浴び終えて部屋に戻るとやはり難しい顔をしたこいつが居る。もういいだろ、明日になれば分かることだ、そう難しく考えるなよ、と思考を送った。


 「でもよう、気になるってのは分かるだろ?俺だって知らないコトは身構えるんだよ。分かるだろ?」


 なんという気の弱い返事だろうか。かつてこいつがここまで考え込んでいる姿は見たことが無かった。さすがにからかうのも可哀想になってきたので、少しだけヒントを与える。お前の世界に晴れとか雨、つまり天気の概念はあるか?


 「テンキ?なんだそりゃ。」


 これは難航しそうだ。今まで僕にくっ付いてきた中で雨は教えたはずだ。ざっくり言えば雨が降ってないときが晴れだ。


 「ああそう言うことか。空からなんか降ってくることをテンキって言うんだな?」


 まぁそうだ。それで何も降ってこない時が晴れ(曇りは説明が面倒なので除外)、水分が振ってくる時が雨だ。ここまで分かるな?


 「そういや何回かあったなそういうコト。なんだっけ?カサ?ってのが要るっつってたな。」


 そうだ。それの違うパターンが雪だ。


 「…???要するに空からなんか降ってくるってコトは間違ってないんだな?」


 これで十分だろう。あとは現地に辿り着いてからのお楽しみだ。と伝えておく。


 「んん。しょうがねえな。ついてけば分かるってコトだろ?オタノシミ、ってやつか。」


 僕もこいつとの会話には慣れたもんだ、と自分ながらに思う。最初は驚いたのが大きかったし、頭の中に常にこいつの声が響き渡るのがかなり辛かった。それが今ではいつ頭の中に言葉が響いてきても普通に会話が出来るようになっている。人間の適応能力には全く恐れ入る。こいつとの会話は基本的に僕が答え役に回ることが多い。当たり前だが僕の方がこちらの世界を知っているからだ。今日の今の時間に関しては珍しく僕が質問する形になったが。ひとしきり会話をしたところで、明日の朝なるだけ寝坊をしないように目覚ましをセットして僕はベッドに向かった。


 ちなみに僕が寝ている間こいつがどうしているかと言うと、ただベッドの隅っこに座っているだけだと言う。寝ていないのかと以前聞いたら、寝るという概念は特に無いらしい。じっとして目を閉じているだけで良いらしい。僕は昔読んだマンガの異星人の話を思い出した。思えばこいつとその異星人は良く似ている。休む時は目を閉じているだけで、そのマンガの中では水分を取るだけで生きていけると記述があったのを覚えている。まぁそれはそれとして僕がしっかり栄養と休養を取らないと、こいつへ回す分がなくなってしまう。ゆっくり休むこともこいつと付き合っていく上で重要な項目なのだ。


 さぁ、明日から本当に久しぶりの小旅行に出かける。もう決めた。楽しさや懐かしさ、出かけることの面倒さ、お金がどれだけかかるか、民宿のみんなは元気だろうか、色々なことを考えながら僕は眠りについた。

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