トモダチ
おじさん
第1話「会遇」
たしかに望んでいた。現実になればもっと退屈しないで毎日がスリリングなものになると思っていた。
――理想と現実。違うものは違う。その違いを、目の前の状況を見ながら分析する。誰がどう見てもおかしい。これは異常事態であり、いくら考えたって正しい答えは出てこないはずだ。それは僕の前に居る「こいつ」の姿を見れば誰だってそう思うに違いない。大抵の人は化け物だとか悪魔だとか怪物だとかエイリアンだとか、なんとなく地球外生命体を形容するような単語を発するだろう。僕もそう思った。
ただ、僕は思っただけで口に出さなかった。というか声を出せなかった。目の前の生物(物体?)に対して、化け物とか悪魔とかそういう単語が頭の中を駆け巡ったのは確かだが、まず自分が置かれている状況が夢でないことを一刻も早く確かめたかった。自分の頬をつねったり、腕に爪をつきたててみたり、二の腕の裏側をつねってみたり、ありきたりだが痛覚に頼る形で夢ではないことを確認する。
「なーにしてんだ?」
そいつは僕の行動を見てそう言い放った。
「普通は叫び声とか上げて驚いてヘヤ?から出て行こうとしてどあ?の前でバタバタするもんだ。お前は冷静なんだな。」
いや至って混乱している。とりあえず現実だと言う事…いや分からない。本当に現実なんだろうか。まだ直接会話をしていないが、意思の疎通はなんとなく出来ていると分かる。というか日本語を喋っている事に飛び上がるほど驚いた。パニック状態な脳みその回転をどうにかして正常に戻そうと努力する。
「あー、慌てなくていい。とりあえず座れよ。」
そう言われ、自分が仕事から帰ってきて自室に入ったところで立ち尽くしている事に気づく。ぜんぜん冷静になれてなかった。上着を脱いでいつもの場所に放り投げようとしたが、そこにこいつが居たのでちょっと距離をあけて別の場所に放り投げる。落ち着け。とりあえず帰ってきたらいつも一服だろう。そう考えて電子タバコを取り出し、カートリッジにいつものメンソールを一本挿してスイッチを入れる。燃焼が確認できる緑のランプが点滅から点灯に変わり、喫煙可能状態を確認する。ゆっくりと椅子に腰をかけ、いつもより余計に吸い込み、深く深呼吸をするように長い息を吐き出す、煙もいつもより濃いものが出た気がした。
「…………。」
僕が何か言うのを待っているのだろうか。僕のほうをじっと見ては耳をほじくる。そういえばこいつを認識してから僕はまだ一言も言葉を発していない。流れを察するに言葉は通じるようだ。僕は電子タバコをもう一度深く吸い込んで吐き出すと、とりあえずどうしてここに居るのかを聞いた。
「欲ってやつだろ。お前が望んだことが現実となった。そう考えればいいんじゃねーか?」
…望んだこと?確かに僕は非日常という状況に常にあこがれていた。小さい頃はなんでも楽しかった日常が、大人になるとただ時間と体力を浪費するだけのルーティーンになっていることに飽きていた。一応社会人として、正社員として働いてはいるが、給料を貰って家賃その他を払う。楽しみは週末に一人でやる家飲み。ビールとつまみとパソコンさえあればいくらでも時間は潰せた。ただその日常に飽き飽きしていて、世界なんて早く終わっちまえばいいのにと考えることが大人になって多くなったのは事実だ。とあるテレビゲームの影響で、僕は強烈にそのゲームの世界に魅力を感じていた。当時中学生だった僕にはそのゲームが他のどんなに人気のあるゲームよりも楽しくて学校から帰るなり自室でのめり込むようにプレイしていた。
しかし、その世界が現実になったとは考え難い。なにしろ分かっていることは非日常的な未確認生物が目の前にいる、ということだけだからだ。こいつが居るから僕が望んだ状況になっているのかと言われるとそうではないだろう。もしかしたらこいつが僕の寿命を買い取って怪しげなノートを差し出してくるかもしれない。そうだとしたら僕の望んだものではないことになる。そう考えながらも僕はひどく高揚していた。とにかく言い逃れの出来ないほどの非日常が目の前にある。それだけで興奮できた。
ふっと頭の中をもう一度、夢ではないのか?という言葉が通り過ぎる。ここまで意識がハッキリしていて明日の朝起きたら何もなくなってるなんて事も十分にあり得る。夢が夢であることを確かめる方法は簡単だ。適当に自分が思うことを強く念じれば良い。パンが食べたいならそう強く思えばいい。そうするとパンがなんとなく現出する。食いたいと思えば食える。味だって分かる。それが夢、明晰夢ってやつだ。いつものように僕は目の前に女の子が現れることを強く念じた。
「…とりあえず状況は飲み込めてるみてーだがお前なに考えてんだ?そろそろちゃんと相手してくれ。」
なるほど夢じゃない。女の子も現れなければ場面も変わらない。手にはさっきスイッチを入れた電子タバコがまだ握られている。ほんの2回程度しか吸わなかったのに、もうランプが消えていた。充電器にカートリッジを戻そうと手を広げると、じわっと汗をかいていた。広げた手のひらに部屋の空気が触れ、少し涼しさを感じた。僕はカートリッジを充電器に戻すと、昨日から飲みかけで置いてあった無糖の紅茶のペットボトルを取り、一口飲んだ。喉の渇きを潤すと何故かこいつに紅茶を与えてみようと思いついた。
「ん、なんだくれるのか。別にノドが渇くほど喋ったわけでもないんだがな。」
そう言って3分の2ほどあった紅茶を半分ほどまで流し込んでからそいつは目を見開いた。
「!!?」
言葉にならないらしい。美味いか不味いかのどっちかなのだろう。しきりにペットボトルをジロジロと舐めるように見ている。
「こんなに味気ないモノは初めて飲んだぞ?前のヤツのところではもっと甘みのあるものを貰っていた。」
どうやら無糖の紅茶はお気に召さないらしい。こいつは甘いものが好きなようだ。と、少し目の前の生物に対しての知識を頭に入れておく。…待て。今、前のヤツ、と言わなかったか?
「ん?ああ、お前の前に一緒に居たヤツのことだ。契約を途中で破棄したからな。オサラバしてきた。」
…冷静になってきた頭がまたも混乱に追い込まれる。また新しい単語が出てきた。契約、だと?いったい何を契約するというのだ。ますます分からなくなってきた。僕の目の前にいる生物に対して頭をフル回転させているが、ぜんぜん追いついていない。そもそもなんで現れたのか?どうして僕の前に?そして契約?聞きたいことが山ほどある。
「まぁそう焦るな。さっきも言ったがとりあえず落ち着けよ。そんでもう一度ちゃんと座れ。」
様々な試行を巡らせている間に、椅子から立ち上がっていることにやっと気が付いた。…そうだ落ち着け。まだほとんど状況が飲み込めていないのと、こいつの情報を聞き出していない。僕はもう一本電子タバコを取り出すと、カートリッジにセットしスイッチを入れた。
「さっきからその吸ってるのはなんだ?前のヤツはそんなの使ってなかったぞ。」
なるほど前のヤツは喫煙家ではなかったか。これは電子タバコだと説明する。極端な言い方だが麻薬みたいなもんだと付け加える。体に害はあって一利ナシ。ハッキリ言って有害なものと言っても過言ではない。気分を落ちつけたり変えたかったりする時に僕は使うと補足した。
「ふーん。俺らの世界にも似たようなモンあるけどな。それよりも聞きたいことがあるんじゃねーのか?」
やっと本題に触れてきた。僕が部屋に戻ってきてからかれこれ30分は経過していた。体感的な時間はものすごく短いのだが、時計の針を見てちょっと驚いた。冷静になっていると思っていたがやはり焦っていたし緊張もしていたということか。まぁこいつがその間にベラベラ喋っていてくれたお陰で僕も本題を聞く体制が整った。まず最初の質問だ、オマエは一体なにモンだ。
「あー、お前の世界と違う世界の生き物。この世界でニンゲンが標準だとしたら、俺らの世界では俺みたいなのが標準だな。見て分かると思うが背中の羽根は空を飛ぶために生えてる。それから」
待て。その違う世界ってのは何だ。僕は僕が生きている、いや生きてきた世界、つまり地球上の事しか知らない。ハッキリ言って地球上にこいつのような生き物は存在しないはずだ。都市伝説とか秘境に伝わる守り神みたいな、オカルト的な要素では認識している。雑誌やテレビでそういった特集をする時、僕は大抵見ることにしている。単純に好きなのだ。非日常だから。ともあれ、その違う世界というのを詳しく教えて欲しい。
「ここはチキュウって言うのか。あー…詳しくって言われてもなあ。お前と同じで俺は俺の世界が標準なんだよ。どっちかっつうと俺が別次元に来てるわけ。分かる?」
正論だ。僕は僕の世界を中心として話を進めていた。こいつにとって僕の世界は別次元なのだ。逆に僕がこいつの世界になんらかの形で行ってしまった場合には同じ事が言える。だた引っかかることがある。こいつは「前のヤツは」と言った。そして「契約」と言った。そこらへんを詳しく聞かないとこの先面倒なことになりそうだ。それからその契約を破った場合に何かペナルティみたいなものがあるのかも知りたい。とは言え、こいつが何故僕のところにやってきたのかが先か。
「さっきも言ったが望んだことだからだ。なんだ、その、ジョーシキ?では考えられない状態ってやつ?お前はそれを望んだんだろ。」
確かにそれを望んでいた。だがこっちもそれが実現してしまうと、なんというか正直そう簡単に受け入れられるものでも無い。というかいろいろと心の準備ができてない。
初体験の時じゃないが、なんかこう、あるだろう。
初めての体験の前の緊張感とか高揚感とか。夢じゃないと確信した時には確かに高揚したが、今はそれよりも現状把握を試みようとしている僕がいる。常識では考えられない事が起きている。しかしひっくり返せばこいつの世界でもそういう事象があってもおかしくはないんじゃないだろうか?
「俺の世界では聞いたことねえな。俺らの中にニンゲンっつう生き物の出現を望んでいるやつなんていねえだろうなあ。」
また引っかかった。僕はこいつに対して「ニンゲン」という言葉を話していない。僕らの世界で生きている生き物、いわゆる動物なんかを除いて知的生命体として生きているのが「ニンゲン」だということをこいつはどこで知ったんだ?
「前のヤツが色々教えてくれたよ。ニンゲンはとにかく汚ぇ生き物だってな。どいつもこいつも自分の事しか考えねえ優先しねえ、困ってたって助けてくれねえ、結局信じられるのは自分だけだってよ。何も見つめてないような目で言ってたよ。」
…返す言葉が無かった。僕も少なからずそう感じて生きてきているからだ。こいつが前に一緒にいた人間に対して僕は少し親近感を覚えた。
「…で、だ。そもそも俺がこっちの世界に来た理由ってのを話しておかないとな。」
結局信じられるのは自分自身だとか、親近感を覚えたとか考えているうちにこいつは勝手に話を進めようとしていた。
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