37.寝覚めは最悪だ

 夢だ。

 わたしがいた。レイアじゃない。

 声を発さないけれど、悲しそうな顔をしていた。


「――さんっ! レイアさんっ!」


 遠くから声が聞こえる――光が差し込んでくる。


 目を開けると、ニコちゃんがわたしを覗き込んでいた。


「レイアさんっ! よかった、大丈夫ですか? あの魔女……ミュスティカめ」

「ニコちゃん……? わたしはメナよ……?」


 取り乱していたニコちゃんにそう言うと、ニコちゃんは固まってしまった。どうしたのだろう。何か変なことを言ってしまったのだろうか。


「……居なくなったのは、そういう」


 ニコちゃんは悲しそうな顔でわたしを見つめてきた。不思議に思って瞳を覗き込むと……ニコの瞳にはレイアが映っていた。

 ――途端に、意識が鮮明になっていく。

 アトモスでの一幕を思い出した。デュナミスを思い出した。姉妹都市を思い出した。アルケーを思い出した。そして、そこで出会った人たちのことを、思い出した。


「……は、はは。『忘れろ――」


 魔法を発動しようとすると、ニコに腕を掴まれて止められた。

 よく見ると、この子の顔つきも随分と大人になっている。記憶に残っていたのは少女だったのに、立派な女性だ。


「レイアさん!」

「……わたしは、レイアだよ。そうだね、そうだ」

「……思い出しましたか。メナさんのことは」

「うん、覚えてる。……覚えちゃってる。ニコ、元気だった?」


 足に力を込めて、立ち上がろうとする。けど、力は入らなかった。まるで足が泥になってしまったみたいに、何をしようと力が入らない。


「はい。冒険者たちも、みんな活躍してくれていました。レイアさんが居なくなった後は混乱が続きましたが、今はどうにか」

「そっか。ごめんね」


 ニコに支えられながら、すこしだけ休むと体力も回復してきた。……心は変わらないけれど。周りを囲う人たちのこともあるから、場所を変えることにした。アルカナはどこかに行っていた。いや、何をするかなんてもうわかってる。

 ……でも、止める必要なんてあるのかな。


「ここ……わたしたちの家」


 連れて行かれたのはわたしたちの家だった。前とほぼ同じだけど、仕事をする部屋だけはちょっと変わっていた。


「仕事部屋だけは借りています。もっと大きな場所に移ろうっていう話も勿論あったんですが、その、お二人との思い出もありますから」


 ニコは照れくさそうにそう言った。

 ニコを見ていると、心が安らいでいく。けど、これも一時的なだけだ。自分でわかる。今は現実から目を逸らしているから耐えられているけれど、正気に戻ったら耐えられないだろう。

 それまでに、アルカナを……。止めないといけないんだけど……。


「それで、メナさん。先ほどまで隣に居た女性なのですが」

「うん、どうかしたの」

「……『傾世の魔女』です。ミュスティカ――金羊毛の物語に出てくるその人でしょう、恐らく」

「本当なの?」

「ええ。わたしたちの近くのポリスはまだ平気ですが、他のポリスの被害は伝わっています。……人は魔物に変えられました」


 ……そうか、まだニコたちはアルケーや姉妹都市の被害を知らないんだ。

 アルカナは、わたしの真横で何喰わぬ顔をしながら数多の命を奪った。そして、その中にはわたしたちが知る人もたくさんいて、わたしたちを慕う人もたくさんいて――


「うっ……」

「レイアさんっ! まだあの魔女の残滓が……!」

「ちが、ちがうの。……ニコ、ごめん、わたしは、あの人のことを止められたのに止めなかった。見て見ぬふりをしてた」

「それって……どういう」


 笑顔だったニコの表情が崩れていった。責任感ある大人の顔だった。立派になったね。


「……わたしは、もう、どうでもいいんだ。世界がどうなろうと……メナがいないから」


 自分で言って、情けなかった。メナが隣に居るときは、人々を魔物から救うなんて思っていたのに、今は違う。

 

 涙が頬を伝った。

 

 ぱちん、と頬を叩かれた。


 きっと、この後にわたしを責める言葉がたくさん降りかかるんだろうな。


 そう思いながら、わたしはゆっくりとニコに視線を合わせた。


「どうして、どうしてあなたが……! メナさんの遺志を一番わかっている、あなたがっ!」


 でも、ニコが言ったのは違った。わたしを責める言葉ではなくて、メナのこと。


「メナが……なに?」

「メナさんはっ! みんなを愛していました! どんな人とも話そうとして、どんな人も理解しようとして。……あの性格ですから、時々ぶつかり合うことはありましたけど、目の前の命を見捨てるような真似は絶対にしませんでした!」


 ニコの言葉を聞いて、あの日――竜の災害の日にメナが語っていた事を思い出した。


『……私、人が好きなの。たくさん話して、その人のことを知るのが好きなの。その人の人生を知るのが好きなの』

『誰にだってそうだったわ。でも、それは……化け物に変わってしまった人にだってあったわ』


 ……そうだ。メナは、人が好きだった。その人の人生を知るのが好きだった。生きてきて積み重なった歴史、経験、作られた人格――その人を形成する全てを知るのが好きだった。だからメナは別け隔てなく誰にでも同じ調子で接していた。

 メナが居なくなってからのわたしはどうだろうか。……誰とも壁を作って、誰とも接しようともせず、目の前で失われる命を見捨ててきた。


「メナは――そっか。ねえ、ニコ。聞いておきたいんだけど……もしわたしがメナの代わりに死んでたら、どうなってたかな」

「……あまり変わらなかったかもしれません。きっと、メナさんも大きな心の傷を作って、どこかへ居なくなっていたかも……ですが」


 項垂れようとするわたしの顔を両手で支えて、ニコはわたしの目を見据えてきた。


「人々を見捨てるようなことは、絶対にしませんでした。レイアさんの遺志を継いで、人々を守る『英雄』として目を覚ましたでしょうね」

「そっか……ふふっ」


 ……実はね、ニコ。そのわたしたちの『遺志』には別の人から受け継いだものがあるんだ。

 君たちが魔女と呼ぶあの人――アルカナから受け継いだ、その想い。

 非情な決断も時には必要だ。だけど、それを望んで行うなんてことはしてはならない。

 誰もが幸せになれる道を探して、ほんの少しの可能性でもそこに到れるとわかったらそこへと突き進む。

 優しさと厳しさで、あらゆる人を守りきる。


 吹っ切れた。

 悲しんでいるだけでは前を向けない。

 わたしは、メナの想いを受け継いで――人々を、そして、唯一となってしまった家族を救う。


「ニコ、ありがと。もっと早く話しとけばよかったかも。世界を救ってくるよ」

「……えっ?」


 わたしが早速家を飛び出そうとすると、ニコは驚いて間の抜けた声を上げた。けどあんまり時間はないから……あ、でも伝えきれてない事があった。

 扉を開けてから急いで振り返る。

 その時、急に空が暗くなった。


「あぐっ……!」


 アルカナの魔法だった。遂に始まった。なぜかわたしは耐えられていたけれど、ニコは凄く苦しんでいる。

 あの日の苦しみを、また経験しているみたいだ。

 でもアルカナ。

 ちょっと遅かったね。わたしが居たら、このくらいすぐに壊してあげる。


「メナ、ちょっとだけ借りるよ。――『貫け』ッ!」


 外に出て、上空に手のひらを向けた。そして、メナの得意な『貫く』魔法を借りさせてもらった。

 この5年間はメナとして暮らしていたから、魔力はほどほどにある。メナと比べてほどほどだから、そこらの魔法使いの倍くらいだ。

 圧縮された魔力は光の筋となって、闇を切り裂いた。貫かれた場所からひび割れていって、もとの快晴に戻っていった。

 家の中の様子を見てみると、ニコも動けるようにはなったみたいだ。後は、忘れていたことを伝えるだけ。


「ニコ、家族を大切にね。それと、ロゴスと冒険者とメナのお墓も任せたよ。……あと、わたしのお墓はメナの隣に建てて欲しいな」

「……レイアさん?」

「あと、ニコ。もし何かあったらこの剣を握っておくんだよ。守ってくれるから。『おいで』」


 マラケフを喚び出して、ニコの近くに立てかけておいた。すごい重いけど、持つくらいならたぶん平気だろう。気を付けて使ってほしい。

 わたしの剣は別にあるから大丈夫。

 それじゃ、と声を掛けて家を出ようとしたら、ニコの魔法で足を止められた。転びそうになった。あぶない。


「ニコ!? どうしたの?」

「嫌です。そんなお願い、聞けません。――私は悲劇が嫌いです! レイアさん、この物語はあなたの笑顔で終わるべきです! だから……だから! 生きて帰ってきてください!」

「……いってきます!」


 ニコのお願いには答えないで、わたしは家を飛び出した。目抜き通りには倒れ込んでいる人たちが居たけれど、冒険者たちが中心となって救助を行っていた。この調子なら大丈夫だろう。

 大門に刻まれた言葉ロゴスを背中で受け止めながら、わたしは駆けた。


 アルカナがどこにいるのかなんて、探す必要もない。

 アカデメイアとロゴスとの間、そのどちらもが見渡せるあの丘。

 ロゴスから逃れてきたわたしたちを優しく抱きしめてくれた、あの場所にいる。

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