36.酔生夢死

 デュナミスはわたしたちが来た時よりも、少しだけ発展していた。このポリスの特異性は地下の遺跡に集約されている。そのせいか、地表の部分はほとんど変わりない。相も変わらず、ほどほどのポリスだった。


「さて、と。次は私だけが用事を済ませてくるよ。メナちゃんはここで待っていてくれ」

「そんな。わたしもアルカナ様の魔法が見たいのですが」

「……最近の私には悪評が付き纏っていてね。きみを巻き込むわけにはいかないよ」


 アルカナ様は言った。そしてすぐに歩き去ってしまった。わたしが今いる場所はデュナミスを一望できる丘の上だから、魔法を使うならここが一番やりやすい。けど、もっといい場所があるのかわたしから離れていってしまった。……久しぶりに親しい人と出会えて心が安らいでいたのに、なんだか複雑な気分だ。レイアは今何をしているんだろうか。ロゴスでの用事が一段落しているといいな。

 デュナミスが黒い膜に包まれた。アルカナ様の魔法だ。莫大な魔力を惜しみなく使っているけれど、これでも効率的に行っているのだという。信じられない規模の魔法だ。わたしでも難しい。魔法が掛けられてからはデュナミスは騒がしかったけれど、しばらくするとデュナミスは静かになった。……なにか引っかかることがあるけど、気の所為だろう。

 アルカナ様も帰ってきた。


「ただいま」

「おかえりなさい、アルカナ様。ところでその……悪評とは?」

「私が魔法を使う所を見てしまった人が他人に伝えて、それが広まったんだ。『傾世の魔女』だとよ、私がさ」


 傾世の魔女……金羊毛の物語に語られる、裏切りの魔女。アルカナ様の装いは暗い色をふんだんに使っている。知らない人が魔法を使う所を見てしまえばそんな勘違いもしてしまうかもしれない。だが、アルカナ様の魔法は人を救うための魔法だ。そんな悪評が広まってしまうのは心外だろう。


「アルカナ様の魔法を勘違いしてしまうなんて……見る目がないですね、その人も」

「……ふふふっ。そうだね。さて、次に行くのはまた明日にしよう。魔力を使いすぎた、休憩が必要だ」

「はい。わかりました」


 返事をしてから気が付いたけど、どのようにして夜を越すのだろうか。今の時点で魔力を大量に浪費してしまっているのなら、転移をすることも難しいだろう。もしかして野営だろうか。……初めてアルケーに向かったあの日を思い出す。大蛇と戦うことになったあの旅路。レイアが隣にいて、彼女はわたしに甘い言葉を囁いてくれた。幸せだった。


「アルカナ様、ですが、テントもありませんし、野営に使う道具もありませんよ」

「ああ、大丈夫だよ。『形成』……ちょっと工夫して、ほら」


 『形成』の魔法によって、瞬く間に一つの小屋が出来上がった。魔力によって創られた物質は、硬さや暖かさ、更には色まで好きなように変えることが出来る。それによって生まれたのは、木材によって組まれた小さな小屋だった。そういえば、アルカナ様の家もわたしが知らない様式だったけれど……この小屋もそれとは違う、また別の知らない様式だった。

 アルカナ様が家に入っていったので、わたしも後ろに着いていった。木材の良い香りがする。温かみのある内装で、心が落ち着く。


「これは、また。アルカナ様は物知りですね」

「長生きだけはしているからね。昼食にしようか」


 アルカナ様が台所に向かったので、わたしは机の前に座った。椅子が無くて、地べたに直接座るような形になるけれど、初めからそれを考慮してあるのだろう。そのように座っても不快な感じはしなかった。

 台所から聞こえる音を楽しみながら待っていると、アルカナ様が昼食を持ってきてくれた。これもまた、見たことがない食材ばかりだった。


「見慣れないかい? ……わたしの両親の、故郷の料理だ。大丈夫、味付けはきみたち好みに変えているから口には合うよ」


 警戒しながら口に運んでみると、絶品だった。



「今日は姉妹都市に向かうよ」


 顔を洗って、朝食を食べているとアルカナ様は言った。久しぶりの暖かくて柔らかい寝床でわたしは熟睡できていた。レイアが出てくる夢も見なかった。もう少ししたら再会できるんだから、当然だ。早速出かけるみたいで、家の外に出るとアルカナ様は魔法を崩して小屋を壊した。あんなに凝ったものを作ったのなら執着するのが当然だろうに、あっさりとしている。この程度なら簡単に出来てしまうんだろう。

 手を差し出されたので、握った。『転移』だ。


 白い光に包まれて、目を開けると姉妹都市の近くに来ていた。この辺りは山の上に近いから、冬だと寒さも強い。羽織った外套を握りしめてアルカナ様の方へと近寄った。


「久しぶりだね、ここは。きみたちも来たんだよね」

「はい。アルカナ様の魔道具も受け取りました。素敵なお風呂でしたよ」

「……そうか。楽しんでくれてよかったよ」


 微笑んでいたアルカナ様は、ほんの少しだけ表情を崩しそうになっていた。この人は褒められることに案外弱い。たぶん、今回も同じようなことだ。喜んでしまうのを我慢したのだろう。なにを目的としていて感情を抑制しているのかわからないけれど、アルカナ様なりの考え方があるはずだ。


「知り合いはいるかい?」

「はい。王様と仲良くなりました」

「そうか。今回もきみはここで待機していてくれ。寒いし、雪山は危険だからな。下手に動き回らないでくれよ」


 わたしの身を案じてくれているのに、それを無下にする必要も無い。言われた通りにその場で待つことにした。空を見上げると曇っていた。冬の快晴の青空が見たかったのに残念だ。

 姉妹都市は同じ大きさのポリスがふたつあるからか、アルカナ様が帰ってくるのにも時間がかかった。でも、どのポリスも同じだ。騒がしくなって、徐々に静かになっていく。最後に残るのは閑静なポリス。


「ふう、ふたつ分は疲れるね」


 アルカナ様は、白い息を吐きながら戻ってきた。手を擦り合わせて温めている。それに、積もった雪は歩くのを困難にさせる。随分と疲れたことだろう。


「おかえりなさい。今日はもう終わりにしますか?」

「いや、アルケーもやっておこう。あそこは姉妹都市ほど寒くないからね。ほら、手を貸してご覧」


 手を差し出して、白い光に包まれた。


 アルケーは変わり無かった。

 神殿も、古くから続く壁も変わりない。ただ、レイアが付けた傷はまだ残っていた。


「久しぶりだな、ここも」

「来られた事があるのですか?」

「まあね。設立に携わっていたんだ」


 ……アルカナ様の冗談なのか、事実なのか微妙に判断がしにくい。今も、この人の年齢は不可解なのだ。おそらく百歳は超えているのだろうけれど……アルケーはもっと歴史がある。それこそ、千年を数えてもおかしくないくらいに。


「おや、疑ってるね?」

「いえ……」

「証明の方法も無いからね。話半分に聞いていればいいさ」


 周りを見渡してみても、アルケーに魔法を使うのにここより良い場所は無さそうだった。邪魔にならないようにその場から離れようとすると、アルカナ様に呼び止められた。


「今回はいいよ。一緒に魔法の分析でも行おう」


 わたしが近くに行くと、アルカナ様は魔法を使った。アルケーが黒い膜に包まれていく。そして、アルケーから騒がしい音が聞こえてくる。……悲鳴。悲鳴。悲鳴。……なんてことは、ない。……人を魔物に変えているんだから、普通だ。……わたしに、関係は、ない。


「どうだい? なにか改善点は見つかるかな?」


 微笑みながら、アルカナ様は尋ねてきた。赤黒い瞳がわたしを見つめて、甘い香りが辺りに漂う。瑞々しい唇は蠱惑的に動き、魅力的な声色で言葉は紡がれる。


「おや、体調不良かい? ああ、大変だ! 早くロゴスに帰ろうか……」


 視界が端から黒くなっていく。わたしの手が掴まれる。『転移』する。ロゴスの大門前に来ていた。急に現れたわたしたちに驚いた人々が距離を取っていた。

 商人や、観光客。農作物を売りに来た農民や、依頼を終えて帰ってきた冒険者たち……わたしたちが再建したロゴスの、愛おしい市民たちだ。

 騒ぎを聞きつけて、ロゴスから冒険者がやって来た。人混みを掻き分けて出てきたのは唯一のA級にして、冒険者たちの指導者。


「――さん!? 隣の方は……嘘……どうしてここに」


 久しぶりのニコちゃんを見て、わたしの意識は飛んでいった。

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