35.泡沫夢幻

「アルカナ……様……?」

「うん? ……ははあ、なるほどね」


 わたしが驚いて固まっていると、アルカナ様はわたしの様子を意に介さず近寄ってきた。表情はほんの少しも変わらず、微笑みがずっと張り付いている。まるで人形のようだった。木で作られた、一つの表情しか持たない人形だ。


「久しぶり、ちゃん」


 ――アルカナ様はそんなことを言ってきた。何を言っているんだろう。わたしとレイアを間違えるなんて、そんな事アルカナ様がするはずはない。久しぶりの再会だから冗談のつもりなのだろうか。……アルカナ様の冗談はあまり面白くないから、それもあり得る。


「……面白くない冗談ですよ、アルカナ様。わたしはメナです」

「きみはレイアちゃんだよ」


 アルカナ様はそう言って、わたしの目の前に手鏡をかざした。そこに写っていたのは青みがかった黒髪と、同じような色の瞳で――


「――あああっ!!!」



 アルカナ様はそう言って、わたしの目の前に手鏡をかざした。けど、手鏡は割れていた。……随分と手の込んだ冗談のようだ。そこまでしてわたしをレイアにしたいらしい。


「……割れた手鏡まで用意して悪戯ですか? 感心しませんよ。アルカナ様、冗談は相変わらず上手ではありませんね。レイアはどうしましたか?」

「ふふふ。そうか。レイアちゃんは今もロゴスにいるよ。野暮用でね、あの子は着いて来られないってさ」


 レイアったら、全く。素直にアルカナ様と一緒にいればいいのに、あの子は時々自分よりも他人のことを優先してしまうから。わたしだって今すぐに会いたいのにここに来ないってことは、ロゴスの運営が凄く忙しいか、S級冒険者が出ないとならないくらいの魔物の発生でも起こってしまったのだろう。そうなったら仕方ない。


「もう、レイアったら。ところでアルカナ様。ここは?」

「私の家さ。家っていうものは、時々誰かが住まないとすぐに傷んでしまうからね。定期的に帰ってきているんだ」


 なるほど。アルカナ様の家なら納得だ。そういえば、ロゴスの辺りの生まれではないと言っていた。アルカナ様の魔法なら森の中にこんな不思議な場所を作るのも簡単だろう。……恐らく。

 アルカナ様は読んでいた本を閉じて、壁に掛けていた外套を羽織った。どこかに出かけるらしい。


「アルカナ様、お出掛けですか? わたしも行きます」

「良いのかい? ロゴスに帰るまでにいくつか用事を済ませないとならないからね。折角だ、私の魔法の観察もしてみると良いよ」


 アルカナ様はそう言うと、わたしの目の前に手を差し出してきた。握って欲しいらしい。『転移』を使うのだろう。わたしが手を握ると、魔法が呟かれて同時に白い光に包まれた。久しぶりの感覚だった。

 『転移』した先は見知らぬポリスを見下ろせる丘の上だった。久しぶりの暖かい空気にわたしの心は清らかになっていく。故郷に近い場所の空気というのは美味しいものだ。


「ここは?」

「アトモスだよ。きみたちは来たことがないんだったかな?」

「はい。デュナミスまでは向かいましたが、その後はロゴスの運営や防衛に重点を置いていましたから」

「ふうん。そうか。なんでもいいけどさ。それじゃあ、魔法を使うから見ていてくれるかい?」


 アルカナ様はそう言うと、『幕を引け』と魔法を唱えた。目の前のポリスが、黒い魔力の膜で包まれていく。光も通さない真っ暗な魔力だった。遠い場所から見ているから簡単に見えるけれど、この広さを包み込むのは難しい。流石アルカナ様だ。


「わあ、さすがです。そして、どうするのですか?」

「魔物に変えるんだよ。人々をね。そうすることで、他の人の魂の輝きが隠せるからさ」


 『変異』と魔法を呟いて、アルカナ様は多大な魔力を空中に放った。その魔力は広がった薄い膜に吸収され続け、次第に膜の内側へと放射が始まる。なるほど、原理としては竜の魔力放射に近い。強引に魔力を与えることで人間の変態を行っているわけだ。


「でも、随分と薄い膜ですね。『貫く』魔法を使うだけで簡単に破壊できます」

「だが、普通の人間にはこれで十分さ。きみたちみたいな冒険者にはもう少し魔力が必要だけども、沢山これを繰り返すんだ。効率的にやらないと」


 アルカナ様は少し疲れている様子だった。ポリスに住む数万人もの人間を変態させるほどの魔力なのだから、消耗は激しいのだろう。わたしが分け与えてあげたいけれど、焼け石に水だ。無駄な行為になる。


「ところで、メナちゃん。なにか私に質問はあるかい?」

「いえ、特には。どうかしましたか?」

「そうか、なら良いんだ」


 それから数十分ほど、その場所からアトモスを観察していた。突き出た半島に位置するアトモス。帝国との貿易の要衝で、内海との経由地点でもあるから沢山の人が住んでいた。そんな場所の人々を……魔物に……魔物に……?

 待って、おかしい。なぜ人を魔物に変えるんだ? わたしたちは魔物の脅威から人々を守っていたはず。それなのに、アルカナ様は……アルカナは……。


「ま、待って。アルカナ、なにしてんの? なんで……人を……」


 頭の中の霧が晴れていく。目の前の女が、微笑みの仮面を貼り付けながら起こす惨劇に、わたしの良心が警鐘を鳴らす。

 マラケフを召喚した。アルカナに言葉を掛けるより先に切りかかった。


「おっと、レイアちゃんが出てきてしまったか。なるほどなあ」


 アルカナはわたしの攻撃をひらりと躱した。音すらも置き去りにするほどの速さだったのに、こいつの目はどうなっているんだ。左手で魔法を発動した。『燃やす』魔法だ。アルカナに効くとは思っていないけれど、目眩ましになればそれでいい。

 予想通り、魔法は効かなかった。けど、その魔法ごとマラケフで切り裂く。

 でも駄目だ。アルカナは、白銀の剣でマラケフを受け止めていた。甲高い金属音が響く。


「アルカナ……! お前、なんてことを……!」

「ふふふ、私に本気で攻撃できるなんて、レイアちゃんも成長したね。でも、今はちょっと邪魔だな。もう少し眠っていてくれ」

「何を……言っているんだ!」


 大きく力を込めて、アルカナの剣を弾いた。火花が散る。

 次の一撃で首を落とすために、わたしは剣を横に構えて首筋を狙って一閃した。


「レイアちゃん。メナちゃんは死んだんだよ」


 でも、アルカナのその一言がわたしの頭に入ってくると、わたしの身体は動かなくなる。

 メナが……? いや、そんなこと。……そんなこと、あるんだ。

 そうだ。もう、わたしが頑張る必要なんて無い。世界がどうなろうと、わたしには関係ないんだ。


 身体が重くなって、腕は岩のように重かった。力を入れないと動かない。それでも、目一杯がんばって手のひらを頭に持ってきた。


「……『忘れて』」


 そして、魔法を唱える――



 それから数十分ほど、その場所からアトモスを観察していた。突き出た半島に位置するアトモス。帝国との貿易の要衝で、内海との経由地点でもあるから沢山の人が住んでいた。状況にこれ以上の変化が無さそうなので、アルカナ様の方を向いてみると、例の剣を持っていた。溢れた魔物が来ることを警戒しているのだろうか。


「アルカナ様、その剣は?」

「……念には念を入れてね。警戒しておいたんだよ」

「そうですか。油断をしてはならない……アルカナ様からよく学びました。ご自身でも実践なさるとは、流石です!」


 アルカナ様はわたしが褒めても表情を崩さなかった。ずっと微笑んでいる。慈愛の表情で、その顔を見ていると心が落ち着いていく。ずっと前……ロゴスを解放した時のような、感情豊かなアルカナ様も素敵だけれど、今の神秘的な姿も素敵だった。


「扱い方がわかってきたよ。……さて、メナちゃん。次の場所に向かおうか。アトモスでやっておきたいこととか、あるかい?」

「いえ、今のところは。早速向かいましょう。早くロゴスに帰りたいです」

「ふふふ、そうか。そうだよな」


 アルカナ様が手を差し出したので、わたしはまた握った。すぐに『転移』して、次に訪れたのは見覚えのある場所だった。

 デュナミスだ。

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