34.一場春夢
レイアがわたしを見つめている。助けを求めている。わたしがいくら手を伸ばしても、決して届かない。レイアは苦しんで、苦しんで、遂には――
「――レイアッ!」
嫌な夢を見て飛び起きてしまった。
あの日から5年。
竜の魔力の暴走によって辺境に飛ばされてから5年。最近は夢にレイアが出てくることはなかったのだけれど、また増えている。
夢の中のレイアは悲しみに暮れている。いつも、わたしたちのあの家で一人。ニコやアルカナ様も近くに居なくて、わたしの帰りを一人待っている。
粗末な木の小屋では外気がよく伝わる。上体を起こすと酷く寒かった。ロゴスとは比べ物にならないくらいに寒い。
あの時、わたしはここに飛ばされた。恐らく、魔力の暴走を原因とする『転移』のようなものだと仮定しているけれど、はっきりとはわからない。ただ一つ言えるのは、ここに住む人達はロゴスというポリスすら知らず、かと言って帝国のような訛を持っている訳でもない。未開の辺境に飛ばされてしまったようだ。
わたしが居ないことでレイアがどのくらい悲しんでいるか、とか、アルカナ様がどのくらい心配しているかとか、気になる時もあるけれど、ロゴスに帰ることは後回しの目標となってしまっている。
魔物はここまで来てしまっているから。わたしが居なくなると、ここに住む人々は魔物に喰らわれるだろう。
「魔法使い様!」
「何よ……今起きたところよ。また魔物かしら」
「はい。どうかお願いします」
朝日が登っているというのに、魔物は活動している。最近はよくあることだ。夜中だけ動くはずだった奴らも、日光に耐性が生まれてきたのか、朝のうちなら少しだけ動くことができている。
小屋を出ると更に寒かった。これでも雪が降っていなくてまだ暖かい方なんだから、本当に酷い環境だ。
「で、どこに出たの? 貴方達の部族の安全は殆ど確保したつもりだったのだけれど……」
5年前から、わたしはこの部族に身を寄せている。ポリスの人々と違ってあまり文明的ではないけれど……悪い人たちでもない。まだ雪の降る季節でもないのに、吐く息は白くなっていた。ここでの冬は何回も経験したけれど、まだ慣れない。
魔物を討伐するのも楽ではない。魔力の暴走に巻き込まれてしまった後遺症なのか、わたしの魔力量は激減した。初めて感じる魔力酔いに困惑したけれど、毎日の鍛錬を欠かさずに行うことで徐々に魔力量も回復してきている。
「それが……我々も見知らぬ場所を森の中に見つけたんです」
彼らは何百年もこの辺りに住んでいる。それなのに知らない場所があるなんて。わたしは疑問に思いながらも、一先ずその場所へ案内を頼んだ。魔物が出ているなら魔力溜まりがあるのだろう。運が悪いと遺跡かもしれない。
どちらであろうと、彼らには荷が重い。わたしの出番だ。レイアやアルカナ様と離れ離れになっても、わたしの目的は変わらない。――魔物の脅威から人々を救う。国が変わろうと人が変わろうと、彼らは守るべき人々だ。
森の植生はロゴスやその周辺とは大きく違った。植民都市の地理についても学んでいたけれど、これらと似ている植物は見たこともないし聞いたこともない。わたしたちの植民都市は海があればどこにでも広まっていたが、ここはもっと遠い場所にあるらしい。
注意深く魔力を観察すると、予想通りに魔力溜まりはあった。澱んだ魔力。冒険者は未だに文明の範囲でしか活動していないから、未開の地における魔物の脅威は深刻なものだった。魔力溜まりには魔法が効かない。……残念だけれど、今は何も出来ない。
案内してくれている部族の人たちに、この一帯が危険なことを伝えておいた。魔物は何か異常な事態――アルケーやロゴスの包囲のような事態――にでもならない限り、縄張りの外から出ることは多くない。……とはいえ、魔物は繁殖する。冒険者が来ない限りは、時間の問題だろう。わたしが出来るのは対処療法だ。
さらに奥へと森を歩く。レイアみたいに訓練した訳じゃないけど、5年もこんな場所に住んでいたら嫌でも慣れる。魂を見ても、魔物らしき魂はない。魔法で探知してみても、反応はなかった。夜闇のように静寂だ。
「何も居ないわよ。なにかと見間違えたのよ、きっと」
……朝から面倒を押し付けられた。暖かい所で育ったわたしにとって、寒い朝が特に堪える。寝起きの身体が寒さに適応できない。わたしが言ったことに返事がないことにため息を吐いた。ここの部族の人は多弁は罪だと考えているようで、無口な人が多い。悪いことでは無いのだけれど、必要な意思疎通も時には困難になってしまうから、それだけは困る。
「あのねえ……しっかり返事をしてって言ったでしょう?」
わざとらしく肩を落としながらそう言っても、彼らは返事をしてくれなかった。少し腹を立てながら後ろを振り向くと、誰も居なかった。
そして、見知らぬ場所に来ていた。
「……は?」
目の前に聳えるのは大きな屋敷。どことなく、わたしたちと共通の文化を感じさせる意匠ではあるけれど、南や北の文化が混沌に混ざり合っていた。こんなもの、見たことがない。
周りの風景も一変していた。鬱蒼とした森林は無くなり、上を見上げると透き通るような晴天がある。気温も温暖で、まるで、わたしが『転移』してしまったようだった。
◆
屋敷の扉は大きかった。暗い色をした木材から作られていて、どことなくアルケーの大門を思い起こさせる。魔法で敵が居ないことを確認してから扉を開けたから大丈夫だとは思うけれど、この不可解な状況だと何が起こっても不思議じゃない。
軋ませながら扉は開いていく。開けて直ぐに、いくつかの家具が見えた。どれも扉と同じような木材から出来ていたけれど凝った装飾を施されていた。……わたしたちの技術では不可能なくらい、精密な装飾だった。
「なによ、ここ」
わたしの声はよく響いた。見たこともないような石材で作られた壁は真っ白で、汚れひとつない。古代の遺跡かも、そんな考えも浮かんだけれど、魔力を使った物はここにひとつも無かった。古代の文明の特徴は執拗なまでに魔道具に執着している所にある。けれどこの屋敷には、魔道具は存在しない。
二階に向かう階段を見つけたが、一階の探索を最初に行う事にした。台所のような部屋を見つけた。ここは、わたしたちと大差はない。けれど、竈では無い別のもので炊事を行っているようだった。食堂も見つけたけれど、蝋燭の一本も無かった。夜になると不便そうだ。日が暮れる前に探索を終えないと。
「これは……」
壁一面に本が収められている部屋を見つけた。読書がしやすいように、机と椅子が一つずつ置かれていた。棚にある本の題名を読み上げてみた。「歴史」「倫理学」「基礎数学」……その中から、わたしがアカデメイアでよく学んでいた物を見つけて、中身を読んでみた。数学に関しては理解出来たが、歴史と倫理学に関しては……妄想でも書き連ねられているようだった。棚に本を戻していくと、一つだけ本が抜き取られているのに気が付いた。
一階のほとんどを見終えたので、二階に向かう階段を登った。初めに開けた扉は寝室だった。寝床は綺麗に整えられていて、皺ひとつない。床に汚れや埃も見つからず、定期的に誰かが手入れしているのが見て取れた。仄かに、甘い香りがした。
「この香り……どこかで」
次に開けた部屋は……芸術品を展示する部屋だった。絵や彫刻、植物のようなものまで飾られている。どれもが見たことの無い様式をしていて、わたしたちの美意識とは根本から異なっていることがわかった。無意味な羅列の様な絵や、現実を切りとったような立体的な造形物。どれにも金銀のような貴金属が惜しみなく使われていて、悪趣味だった。
次の部屋に行こうとすると――部屋の中から音が聞こえた。薪が弾ける音だった。火を燃やしながらその場を留守にするのは馬鹿のする事だ。誰かいる。けど、魔法を使って部屋の中を見ようとしても、生き物の姿は見つけられなかった。からっぽで、予想通りに暖炉は燃えている。
わたしは意を決して扉を開けた。
そこに居たのは、暖炉の前で椅子に座って本を読む、赤黒い髪を持った大魔法使い。
アルカナ様だった。
「おや……。久しぶりだね。まさかここで出会えるなんて」
アルカナ様は、わたしを見つけたことに動じることはなく、穏やかに語りかけて来た。
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