The Paradigm Shift

 悲劇は突然に訪れる。

 その事を、わたしたちは知っていた。

 その場にいる誰もが、知っていた。

 だからこそ、避けられ得ない悲劇だった。

 誰も悪くない。

 偶然の積み重ね。

 一秒でも早ければ。

 他の誰かが居てくれれば。

 有り得ないけどね。



 竜を倒した。ついに。――ついに!


「やった! メナ、すごいよっ! もうわたしたちに勝てる魔物なんていないんじゃない!?」


 思い上がりかな? でも、こんなにすごい魔物――魔物なのかな? たぶんそう。そんなのまで倒したんだ。向かうところ敵なし。


「レイア。それより、アルカナ様よ。この目玉が生き返ることはないだろうけれど、一応私が見ておくわ。呼んできてくれるかしら?」


 努めて冷静を保っているメナだけど、口角が上がらないように必死に我慢しているのがよくわかる。喋る時にも、所々で吐息が漏れていて、メナもすごく興奮しているみたいだった。かわいいね。

 でも、そうだ。アルカナだ。ずっと魔物の大群と戦っていたのだろうけど、無事だろうか。


「わかった! すぐに呼んでくるよ」

「ええ。お願い。……それと、良い機会だから、この場で伝えちゃいましょうか」

「何を?」

「……結婚のことよ、ばかっ」


 顔を真っ赤に染めて、メナは言った。かわいい。

 結婚というものは、誰かの前で誓うことによって成立する。二人の関係を保証する人が必要だからね。その点、アルカナはぴったりだ。

 社会的地位もあるし、なにより、わたしたちの事が大好きで、わたしたちもアルカナの事が大好きだから。


 周りは草原で、障害物はひとつもない。遠くを見ると魔物の死体が数え切れないくらいに積み重なっている。……竜との戦いに集中していたから気が付かなかっただけで、アルカナも相当な激戦をしていたみたいだ。さすがのアルカナでもちょっと心配になる。

 草原を走り回っても、姿は全然見えない。そういえば、竜と戦っているうちに最初の場所からだいぶ離れてしまった。そこに戻ったらいるかな。


 いた。

 アルカナは所在なさげにあちこちを見渡していたけれど、わたしの姿を見つけると指先をこっちに向けて『転移』を使った。ロゴスから避難してきた時と同じ仕草で、すこし懐かしい。

 そうしてわたしの目の前に来たアルカナは、わたしに抱きついてきた。


「うわっ!」

「生きてたか……! ふふふ、竜を倒したね。流石だよ、流石私の娘たちだ! 家に帰ったら私が君たちにご馳走を振る舞ってあげよう! これでも長生きだけはしているからね、料理の腕前もそれなりさ。……あれ、メナちゃんは?」


 ぎゅう、と抱きしめられてすこし苦しかった。メナが居ないことに気が付いて、アルカナはようやくわたしを緩めた。


「……ぷはっ。竜のことなんだけど、メナの魔法でもこう……溶けなかった場所があって。ちょっと怪しいから、メナはそこを見張ってるよ」

「ふうん。生き返ることは無いだろうが……。でも、私の教えをしっかりと守っているね。そうだ、最後まで油断してはならない! 偉いね」


 上機嫌なアルカナはわたしの頭を撫でてきた。今日のアルカナは珍しく感情を露わにしている。これまでも時々あったけれど、ここまで上機嫌なのは珍しい。

 ひとしきりわたしを撫で終えたアルカナは歩き始めた。


「あれ、『転移』してかないの?」

「これからは時間もたっぷりある。たまには君と私でゆっくりと話をしながら歩くのもいいだろう?」

「まあね。行こっか」


 アルカナと好きなものの話をした。

 アルカナはご飯が好きらしい。意外。お酒も好きらしい。意外。お風呂も好きらしい。これは予想通り。

 わたしの好きなものの話をすると呆れられた。

 まあ、メナの話ばかりになっちゃうからね。「若いってのはいいねえ」ってアルカナは言っていた。

 そういえば、アルカナのそういう経験はどうなんだろう?


「アルカナは恋人とかいないの?」

「いない。作らない。私にとって、周りの人たちなんてみんな子どもみたいなものだからね。友人と呼べる人は沢山居たけれど、恋人は一人もいないよ」

「へー。寂しいね」

「なっ……! その気になれば幾らでも作れるんだぞ!? 顔も良いし性格も良いし頭も良い……引く手数多だぞ……寂しくなんてないからな……?」


 自分でそう言っちゃうのはどうかと思うけれど、実際その通りなんだからなんとも言えない。

 今日のアルカナは本音を出してくれている。初めて等身大のアルカナと話し合えた気分だ。楽しい。


 それから暫く歩き続けると、竜を倒した場所に来た。メナはちょこんと座りながら、杖を竜の目に向けて一応警戒はしていた。退屈そうだし、メナも一緒に連れていけばよかった。

 おーい、と私が声をかけるとメナはわたしたちに気が付いて、満面の笑みを浮かべながら手を振ってきた。


 アルカナも元気なメナを見て喜んでいるだろうな、と思っていたけど。

 メナを――違う、竜の目を見た瞬間に、アルカナの形相が豹変した。


「メナッ! 『離れ――」


 叫んだアルカナは手を伸ばした。

 

 けど、間に合わなかった。

 アルカナの手はだらりと垂れた。


 音もなく、全ては消えていた。

 竜の目、その周りだけ。

 ちょうど、メナが一人入れるくらい。その空間だけ。


 周りを見渡した。どこにもいない。

 魂を見た。何も見えない。

 魔力を見た。そこだけ、空白があった。


「…………え?」


 情けない声が、口から漏れた。

 わからない。

 何が起こったの?

 メナのいたずら?


「え、ちょっと、メナ。どうしたのさ急に。……メナ? どこかに隠れてるんでしょ? 冗談になってないよ。メナ? メナ!」


 誰も返事をしない。

 黙っていたアルカナが急に笑い始めた。


「く、くく……あはははっ!」


 手を口に当てて、笑いを抑えようとしていたのに溢れてきたみたい。……なんで笑ってるの? 今起きた事に気が付いてないのか? わたしのことをからかっているの?


「……はあ。そうか。私の使命はどこまでも続くのか。これを知ってしまったら、もう後戻りはできないな。ああそうかよ。だが、クソ、クソ! どうしてメナちゃんが、なんで私じゃないんだッ! また私は生き延びるのか、クソが!」


 何を言っているんだ、この人は?

 月に魅入られたように笑い始めて、自嘲して、意味のわからないことばかり言い始めた。なにしてるの、メナが居なくなってるのに、目の前を見てよ。おかしい。何もかもがおかしい。


「レイアちゃん。君は……きみは。仕方がないか。…………ごめんよ」


 世界から色が失われていく。全てが白と黒。わたしの頭の中もきっと同じ。これは夢だ、きっと夢だ。悪夢なんだ。理解不能なことを起こす、悪夢。だって論理がおかしいよ。アカデメイアで習った。そう、数学だったかな。あらゆる物事は幾何的な論理に基づいているんだよ。原因があって、結果があって――

 ねえ、メナ。

 なんで?


「目的は変わった。きみたちを愛することは赦されなくなった。さようなら」


 身体から力が抜ける。頭から地面に崩れていくのに、手が動かない。足が動かない。あ、後ろで白く光った。アルカナかな。でももうどうでもいい。喉が渇いた。お腹が空いた。でも気持ち悪い。何も食べたくない。夢なのに、まだ覚めないな。そういえば、メナと一緒に話してた。結婚した最初の日の朝ごはんは何にしようかって。

 起きたら言ってあげよう。思いついたんだ。きっと、メナならおいしく作ってくれるはず。……夢から起きても覚えていられるかなんてわかんないけど!



 現実を見るべきだ。メナは死んだ。

 あの後、ニコにも来てもらって、現場の確認をしてもらった。あの子はわたしよりも魔法の才能がある。なにか見つかればいいという期待もあったけれど、帰ってきたのは残酷な結果だった。髪の毛の一本すらも残っていない。


 メナの死は直ぐに公表された。

 というより、いつもわたしと一緒に居たのだ。そんなメナが居なくなったら、隠すことも難しい。噂が制御不能になる前に公表すべきだとニコが言っていたので、その通りにした。あの日、竜を見た人は沢山居た。わたしたちの戦いも遠くからも見られていた。だからこそ、竜が特異である事は知れ渡っていて――メナは『必要な犠牲』として受け入れられてしまった。


 わたしは、受け入れられない。

 何ヶ月も経った。恐らく。何週間かもしれないし、何時間かもしれない。時間がわからなくなった。


 朝。隣にメナはいない。

 昼。昼食を食べていたら、食器を落として割ってしまった。破片を拾おうとすると、指を切ってしまった。治してもらおうと、「メナ」と声をかけてしまう。いない。

 夜。夜闇が動いた気がする。誰かいる気がする。メナが帰ってくるのじゃないかと思ってしまう。何時間経っても眠れない。どこにもメナはいない。


 ニコがやって来た。わたしが酷くやつれていたようで、それを見兼ねてやってきた。

 ニコはいいよね。家族が全員生き残ってて。それも、ずっと幸せで、仲良しだ。大事にしなよ。


「……レイアさん」


 なに?

 早く帰りなよ。なんでまだ居るの?


「メナさんが亡くなった事は残念です。……ですが、前を向かないと」


 前を向くって?

 どこを向けばいいんだ。わたしにとって、メナと一緒にいる未来こそが前だった。共に歩む路。隣に彼女が居ないのなら、わたしが歩く必要はない。後ろを向いて、過去を偲んで、さっさと死ぬ。ああそうだ、また魔物が出たらすぐにわたしを呼んで欲しい。報酬は要らないよ。傷を治す必要もない。


「レイアさん……。ごめんなさい、それは難しいです。あなたは、ロゴスの英雄ですから。変わってしまった世界の、他の皆の希望の光なんです」


 英雄。想い人の命を散らせたのに英雄だって。笑えるね。

 

 ……ごめん。ニコ。わたしも、わかっているんだ。このままじゃ駄目なんだって。でもね、どうにもできないの。

 わたしの物語はここで終わらせるべきなんだろうね。これ以上は辛いだけだもの。……耐えられないよ。


「……私は、悲劇が好きじゃないんです。悲しくなりますし、気分も落ち込みますから。『二人の英雄』の物語も、悲劇になって欲しくないんです」


 ……わたしはそれに応えられないよ。

 ……今日はもう一人にしてほしいな。

 ニコも、お仕事を終わらせて、わたしの所まで来て、疲れたでしょう。

 だから、今日はもう、おやすみ。


 ニコは帰っていった。

 家には、わたし一人だけ。

 ニコを見送って、玄関の鍵を締めて、膝から崩れ落ちた。

 涙が溢れてくる。とめどなく。幸せな過去をいくら思い出しても止まらない。


「どうしよう。どうすればいいの。助けてよ、メナ……」


 わたしの声は誰にも届かず、返事をしてくれる人も居ない。

 もう、どうしようもない。

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