19.ロゴスは任せたよ

 それからまた月日は流れて、夏になった。

 ロゴスの夏は意外と暑い。建物が多いせいで風があまり通らないから、暑い空気がずっと溜まってしまうのだと思う。たぶん。

 板で顔を仰ぎながら溜まった都市運営の仕事をメナと一緒にしていると、家の扉がバタバタ叩かれた。

 こんな暑い中でも元気にしているのはあの子くらいだ――


「……今開けるよ、ニコ」


 扉を開けると、そこにはにこにこ顔のニコがいた。相変わらず彼女とその家族は市民の中心にいて、今日もいろんな仕事の手伝いをしている。

 だからニコもあんまり暇では無いと思うんだけど。


 わたしが扉の前でニコを見つめながら立っていると、ニコはわたしの身体をひょっこり避けてメナにも顔が見えるように斜めになった。


「こんにちはっ!」

「あら、ニコちゃんじゃない。どうかしたのかしら?」


 勢いよくぺこりと頭を下げるニコを見て、メナは微笑みながらこちらへとやって来た。メナとアルカナもそうだったけど、魔法使い同士はなにやら気が合うことが多い。ニコとメナもそうみたいだ。といっても、ニコにはまだ魔法の才能があることは伝えてないけど。


「ニコ、こんな昼間っからいいの? お家の手伝いとかあるでしょ?」

「平気ですよ! それにお二人の時間の邪魔をするつもりもありません。ちょっとした伝言です!」

「邪魔って……! そんなこと、ない、けど……」


 ……この子、ちょっと前と比べてずいぶんと良い性格に育っている。不意にこうした事を言われるから、特にわたしは翻弄されることが多い。……避難生活から落ち着いて、ようやく自分の素が出せるようになってきたかもね。良いこと……だと思いたい。


「こらニコちゃん、レイアをからかうのはやめなさい」

「ふふ、メナさんもそう言ってますけど知っているんですよ? 夜の方は……って冗談です! 無言で手を向けるのをやめてください!」


 このガキが……。

 そう思わなくもないけど、笑顔で我慢する。まあ、悪い子じゃない。いたずらが好きなだけだ。


「……はあ。どこでそんな言葉を覚えたのかしら、全く。それで、どんな伝言かしら?」

「えっと、自警団の方々から伝言です。言葉をそのまま伝えますね――」


 うおっほん、とニコはわざとらしく大仰に咳払いをすると、できる限り声を低くして自警団の男たちの声の真似をし始めた。


「『ロゴスは俺たちに任せとけ! だから英雄のお二方は、他のところの魔物の駆除を頼むぜ。』……だそうです」


 あんまり似ていないニコの声真似で伝えられた内容はわたしたちにとってもすごく助かることだった。ロゴスの運営はそれなりに頭が良ければ誰にでも出来るけれど、ロゴスの防衛は最近まではわたしたちにしかできなかった。

 自警団のみんなもよく訓練をしている。心配がないわけではないけれど、守るだけなら平気だとメナとわたしは判断していた。

 いつ、どんな風にその事を切り出そうかとちょうど考えていた。わたしたちから伝えることが重要だけど、でも、そのことを伝えたら一気に不安が蔓延してしまうかもしれない。難しい判断だったのだけれど……自警団のみんなが自発的にそう言ってくれるなら乗らない手はない。


 わたしはメナに目配せをして、こくりと頷いた。


「すごい助かるよ。ニコを使い走りにして申し訳ないんだけどさ、自警団のみんなに伝えてくれるかな? 『ロゴスは任せた』って。……声真似はやらなくていいよ」



 遠征を再開するという知らせは、市民の間では様々な意見をもたらした。

 防衛の心配をする人もいれば、わたしたちがいない時の統率の問題を憂う者もいて、もちろん、魔物の駆除なら積極的に行ってもらいたいという意見もあった。

 でも、そうした意見は驚いたことにニコが綺麗にまとめてくれた。防衛は自警団にまかせて、その他諸々は一家にお任せくださいと。ニコたちは人気もあったから、それで綺麗にまとまった。

 あの子は人前に立つ天性の才能があるのかもしれない。羨ましいね。


 そうしてロゴスの運営から一時的に退いたわたしたちは、遠征先の策定をしていた。

 今の状態で確実に安全と言える場所は、ロゴス、アカデメイア、アルケーの3つだ。出来ることならその間の魔物の巣を全部駆除したいところだけど、たった2人でそれをやるのはいくら時間があっても難しい。

 ということで、毎度同じ戦略となるけれど、他のポリスにおける安全の確保を目標にすることにした。ちょうど、アルケーのおじいさんから貰った手紙もあるしね。


「とはいえ、どこに行こうか」

「アトモスはどうかしら。帝国との貿易の中継地だから重要な場所よ」

「でも、あそこって船がないとすごい遠いよ。それに帝国が近いなら魔物相手でもどうにかできそう」

「それもそうね。それじゃあデュナミスかしら?」

「悪くないね。ついでに、その途中でエンテレケイアとエネルゲイアの姉妹都市にも寄っていこう」


 目標を決めた後は、旅程を決める。どの場所へどの程度滞在するのかとか、一日にどのくらい移動するかとか。それと一緒に荷物の事も考えていく。わたしが背負ってもいいけど、それだと頑張っても一ヶ月に足らない程度の荷物しか持てない。――本来なら。

 メナの魔法の出番だ。完成した料理を生み出すことは出来ないけど、水とか調味料を生み出すくらいは出来るようになった。そうした事を考えて荷造りしていくと、一ヶ月以上も旅することができるようになる。


「片道で二ヶ月くらいかな? 往復で……余裕を考えると半年くらいか」

「実際はもっと早く帰れるでしょうね。でも、そのくらいは考えていたほうがいいわ」

「じゃあ、そのくらい遠征するってしっかりみんなに伝えておかないとね。……魔物は平気かなあ」

「平気よ。魔物はとにかく広い範囲に繁殖しようとするってアルカナ様に教わったわ。だから、巣を一つ潰すだけでも当分は安全になるの。……ていうか、レイアも教わったでしょう?」

「そうだけどさ。万が一っていうのもあるし」

「そんな事考えてたらずっとロゴスにいることになるわよ。その間に他のポリスは魔物に喰い荒らされて……」

「わかったわかった。自警団とニコを信じるよ」

「それがいいわ」


 心配は尽きない。けど、心配しすぎるのも彼らの覚悟に対する侮辱ってことかもしれないね。信じよう。


 準備はすぐに終わった。行商をするみたいにあれやこれやをたくさん持っていくわけでもないからね。

 翌日の早朝にロゴスを出立することにした。あの人たちには一応伝えておこうと思って、もう日は沈んだいるけれどもニコたちの家に来た。

 こんこんこん、と扉を叩く。少し用心しながら扉が開かれると、ニコがそこにいた。


「こんばんは。ニコ、いい演説だったよ。ありがとうね」

「えっ。……そ、そんな。うへへ、照れちゃいますよ、急に言われても……」


 ……わたしはこの子の感性がよくわからない。変なところで照れる子だ。とりあえず頭を撫でてあげた。ぼふんという音とともに、ニコの顔は耳まで真っ赤になってしまった。

 それでも撫で続けていると、メナに脇腹を小突かれた。痛い。


「レイア。そのくらいにしなさい。わかったわね? それで、ニコちゃん。伝えたいことがあるのだけれど、ご両親はいらっしゃるかしら?」

「ふえ……は、はいっ! あ、お母さんとお父さんですか? その、今は……」


 メナはそう言って、背後にちらりと視線を移した。確かそこは寝室だったはず。……なるほど。


「あー……わかったわ。緊急の用事でもないし、ニコちゃんに伝えてもいいかしら」

「はい。あとで伝えておきます」

「ふふ、ありがとうね。明日の早朝、遠征に出立するわ。ロゴスは任せたわよ」


 メナが伝えると、ニコの顔はきらきら輝いた。憧れの人に直接任せられたのがよっぽど嬉しいみたいだ。かわいいとこもあるじゃん。

 それから――とメナが付け加えた。


「どうしようもなくなったらアカデメイアに行きなさい。……あそこの学者たちは偏屈で頭も凝り固まってるけれど、知識だけは確かよ」


 一体どんなことを聞かされるのかと緊張して聞いていたニコだけど、メナがアカデメイアへの愚痴を口にしたことでその緊張もほぐされた。


 その日の話はそれで終わった。「おやすみ」とニコに伝えて、わたしたちは家に帰ってきた。

 明日も早いから、早く寝よう。

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