18.ようこそロゴスへ

 ロゴスに着いて、大門をくぐった。門に刻まれた数々の言葉ロゴスがわたしたちを迎えてくれる。

 「あの」ロゴス――あらゆる土地から人が訪れ、様々な言葉が話され、夜も眠らずに騒ぎ続けるあのロゴス――を想定していた生存者たちは、少し前から言葉少なになっていた。そして、その言葉も大門をくぐることで無くなった。まるで大門に取られてしまったかのように。

 それほど、彼らには衝撃的だったのだろう。誰も居ない空っぽのロゴスは。

 何万人も住んでいたその家々には今や冷たい空気だけが住み着いていて、昼夜を問わずに通る人を魅了し続けた大通り沿いの店には朽ちた商品だけが並んでいた。


「ようこそ、ロゴスへ。あなたたちが来てくれたから、もう少し賑やかになるといいな」



 それからは家の割当てや仕事の割り振りで忙しかった。

 農村の方で働いてもらおうと思ったいたけれど、アルケーを見てその考えを変えた。ロゴスの中にいたほうが安全だ。

 神殿の近くには森や運動場があるから、その辺りをどうにか開墾したい。土が合うと良いけど。


 いろんな調整をしたり、ロゴスに不慣れな人たちにいろいろ教えたり……忙しくてあっという間に時間は過ぎて、彼らが来てから一週間経った。

 その日は家に帰る頃には日も沈んでいてくたくただった。


「ただいまあ……」

「おかえりなさい、レイア」


 わたしと違ってメナはいつも元気そうだった。そういえば、商店で働いていたときからメナはこういう仕事は得意だった。

 わたしはお客さんと喋るのが好きだったよ。もちろん、やることはやっていたから、その時の経験が今に活きている。


「疲れてる所悪いけれど、報告よ」


 机に突っ伏しながら夕飯をもさもさ食べていると、わたしの隣に座ったメナがそう言ってきた。なんだろう。


「……んぐ。どうしたの?」

「まずは良い報告からね。生存者――言いにくいから市民にしましょう。市民の中に農業をしていた人たちもいて、土の事を調べてもらっていたの。当たりよ。良い土ですって」

「よかった! ……で、別の報告は?」

「これは良いことか悪いことかなんとも言えないのだけれど。あの一家の一人娘、覚えてるかしら」


 生存者たちの――市民たちの指導者的存在だったあの一家のことはもちろんよく覚えている。というより、事あるごとに関係を持っている。あの人たちのお陰でいい感じに新たなロゴス市民のみんなと協力できているくらいだ。

 特に、あの子とは仲が良い。わたしたちよりいくつか年下みたいだけど、しっかりもので偉い子だ。

 名前はニコと言う。


「ああ、ニコ? 今日も話したよ」

「ええ。そのニコちゃんよ。魔物と戦うことはここでは滅多に無いとはいえ絶対はないわ。だから、市民を全員調べさせてもらったの」

「まあ、大事だね。それで?」

「魔法の才能を持っていたわ」


 その事を聞いてわたしは驚いた。まさか、滅多にいるはずのない魔法使いが――魔法使いになれる人がメナの他にいたなんて。

 でも、それは悪いことではない気がする。魔法が使えばいろいろできるし。


「良いことじゃない? 魔法使いなんて何人居ても困らないでしょ」

「平和な時なら良いわ。でも、今は一人でも戦える人がほしい時なのよ」


 そう言われて、合点がいった。メナが心配しているのは家族で一緒に暮らしている幸せな女の子を、魔物と戦わせて良いのかということだ。

 たしかに、それは難しい問題だった。アルケーみたいに元々戦える人がいるところはまだ良いだろう。それでも、魔物の根絶はできない。守るのが精一杯だ。

 でも、わたしたちのように駆除を専門に訓練を行えば魔物の根絶も可能になる。

 そして、その仕事に最も適しているのは魔法使いだ。だから、魔法の才能がある人はいくらでも欲しい。


「……難しい問題だね」

「そうなのよ。とりあえずこのことは隠しておくわ。いい人ばかりとはいえ、何を言い出すかわからないもの」

「それが良さそうだね。よろしく、メナ」


 そう伝えて、食器を片付けようと立ち上がるとメナに手を掴まれた。細い指が手のひらを伝う。


「それで、その、関係ないことなんだけど。レイア、ロゴスを解放してから……いえ、ずっと前から毎日忙しかったじゃない」


 メナの柔らかい細指が剣を握り続けて固くなったわたしの手をゆっくりと揉んでくる。しわの一つ一つが愛おしそうに撫でられて、その指はそのまま腕を伝ってわたしに向かってくる。

 二の腕を通って、肩。脇の下に回ってきて、抱きしめられた。


「……今夜は……その」


 耳元で、ちいさな、ちいさな声で囁かれた。ともすれば少しの風が吹くだけでもかき消されそうで、メナの精一杯の勇気がたくさん伝わった。

 でも、今は、まだ。


「だめ。まだ。今はこれだけ」


 メナの腰に手を回して、少し身体を離した。視線が交差して、メナの落ち葉色の瞳が美しい。

 吸い寄せられるようにそのまま口付けをした。柔らかくて、温かい。落ち着く。心が解れる。

 このまま、勢いに任せてどこまででも行ってしまいたくなる。


「んっ……。じゃあ、この先は?」


 唇を離すとメナが名残惜しそうに甘い言葉を零した。


「竜を倒して、みんなが安心して暮らせるようになったら。その時はたっぷり楽しもうね」


 でも、今は心配事が多すぎる。わたしは頭をからっぽにして目の前のメナだけを求められるほどに器用じゃない。

 だから、全部終わったら。

 全部終わって、竜を倒して、ついでにアルカナも帰ってきたら、その時がわたしたちの物語の終着点だ。


「……わかったわ」


 少し不服そうに頬を膨らましたメナがかわいくて、最後にもう一度口付けを交わした。


 メナのために、わたしのためにも、そして世界のためにも。

 竜への復讐を成し遂げよう。



 それから1ヶ月。

 新たなロゴス市民のみんなも徐々にここでの生活に慣れてきて、少しずつだが余裕も生まれてきた。わたしたちはロゴス周辺の警戒をしたり、食料が足りなさそうになってきたら狩りをしてきたり、それにもちろんロゴスの運営もがんばったり。……とにかく多忙だった。

 けど、その甲斐あってわたしたちが全部やる必要ということも無くなっていった。ニコとその家族は相変わらず市民の中心にいてくれて、わたしたちとの間をうまく取り持ってくれている。


 久しぶりに丘の上の神殿に登って、ロゴスをぐるりと見渡してみた。

 人が住むようになったのはほんの少しだけど、それでもわたしたち二人だけだったときよりも賑やかで活き活きとしている。

 ロゴスの運営はアルケーを大いに参考にさせてもらっている。だからか、アルケーの話を聞いた人たちが独自に自警団のようなものを作り始めた。

 わたしたちが直接訓練をしようとしたけれど、それは固辞されてしまった。彼らが言うには「背後は任せろ」とのことだ。


「どう、メナ? なにか見える?」

「相変わらず静かで、平和よ。魔物も一匹たりとも見えないわ」

「それはよかった。でも、自警団のみんなにも魔物との戦いは一回くらい経験してほしいな」

「それはそうだけれど、あんなのとの戦いなんて経験しないほうが良いわよ」

「ふふ、確かに」


 空に浮かんでロゴスの周辺を魔法で監視していらメナがゆっくりと地上へ降りてきた。

 太陽に照らされたメナは魔法使いの服装も相まってすごく神々しかった。黒いローブの金糸の装飾が陽光を受けて煌めき、浮かぶために使う魔力によって風景が歪んでいく。


「相変わらず、便利な魔法だね」

「結構難しいのよ。魔力もたくさん使うし」

「わたしも使えるかな?」

「空中で魔力切れになって真っ逆さまよ。やめておきなさい」


 軽口を叩き合いながら、メナと穏やかな時間を過ごす。一年前までは当たり前だったのに、ここ最近は当たり前ではなかった。

 そのせいなのか、当たり前の幸せというものをよく噛み締められるようになった。隣に大事な人がいて、周りには守るべき人がいて、世界は穏やかに、平和に動き続ける。――いい人生だね。

 ……ちょっと老人すぎる感想かも。まだアルカナみたいになるには早い。


 メナがわたしの横にふわり、と着地した。そっと手を伸ばして指を絡ませた。

 幸せな時間はそう長く続くものじゃないと、わたしたちはあの日を経験したせいで知ってしまった。でも、今は幸せを守る力を手に入れた。

 

 アルケーの手伝いをして、生存者のみんなをロゴスへと迎え入れて、ようやく世界がわたしたちの味方になってきた。

 もっともっとたくさんの人の幸せを守ろう。魔物を駆除して、竜を倒して――『二人の英雄』として。

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