11.ロゴス解放戦

 その日はあっという間にやって来た。

 メナはアルカナから今まで以上に難しい魔法を学び、わたしは訓練も兼ねてロゴスの街壁の外側の制圧を行っていた。

 そうしたことで、決行の日までにロゴスから漏れ出た魔物は殆ど駆除することが出来て、安全も確保されていた。

 後ろが安全なら気兼ねなく全力を出せる。


「さあ、行こうか」


 アルカナの手にわたしたちの手を乗せて、ロゴス大門の前へと『転移』した。

 魔物と正々堂々戦うわけではない。わたしたちがするのはあくまで駆除。だから、日の出と同時に行動を始めることになった。

 魔物は陽の光に弱い。陽の光が届かない建物や影の中でも、日中なら夜よりもずいぶんと弱くなる。


 わたしたちの作戦はこうだ――

 まず、ロゴスを5つの区画に分ける。ほぼ円形の街壁があるから、それを使って4つに分けて、最後に真ん中の神殿を一つの区画として5つの区画にする。

 神殿をどうして独立した区画にするかというと、そこには大物がいるからだ。アカデメイアにまで魂が届くほどではないけれども、ロゴスの近くで魂を見るとよくわかる。真っ暗だった。

 竜が来たとき、神殿にたくさんの人が避難していったんだと思う。まあ、そのほとんどは途中で動けなくなっただろうけど。

 でも、耐えられた人たちは神殿に辿り着いて、結局耐えきれずに魔物に変わって、喰える死体が無くなると魔物同士で喰らい合った。その繰り返しで大物が生まれて、更に強くなっているだろう、とアルカナが言っていた。


 ロゴスの解放が冬になった理由もそこにある。

 竜の災害から時間を置いて、さらに気温も低くなれば人々の死体も臭いも少しはマシになっているだろうから。

 あまり詳細は聞かされていないけれど、わたしたちがアカデメイアに辿り着いてからすぐにアルカナはロゴスの偵察に向かっていたことがある。悲惨だったって言っていた。……今はそうじゃないといいな。


 『転移』の光りに包まれること一瞬、ロゴス大門の前に着いた。

 荘厳な門だ。白い輝きは少し褪せていたけど、刻まれた言葉ロゴスは何一つ欠けていない。

 もしこれが人間相手の戦争だったら、まず最初に壊されるのはここだろう。

 人の気配がしない死んだ都市だというのに、建造物だけは変わらずに美しいのはひどく不気味だった。


「早速入るよ。今日は区画を一つ制圧できればいい。夜はアカデメイアに戻って休む。何よりもまず、きみたち自身の命を大事にすること。いいね?」

「はい。アルカナ様」

「もちろんだよ。わたしも死にたくないしね」

「言ってしまえば、駆除なんて時間さえあればどうとでもできる。だが、きみたちの命はいくら時間があっても取り戻せない。命を、大事に。――さあ、駆除を始めよう」


 魂で探す方法は、大物が存在しているせいで使えない。ポリスとなると建物が多いから、わたしの索敵もあまり使い物にならない。

 メナの魔法が一番活躍する。


「それじゃあ、探すわよ。『見せなさい』。――これって」


 メナの魔法が発動すると、魔物の姿がわかるようになった。

 絶句した。

 どこの建物にもひしめき合っている。

 大きな石の裏に蠢く虫のように、どこの建物にも陽の光を避けて魔物が蠢いていた。


「魔物の大量発生とはこういうことだ。きみたちは、他のポリスでも同じものを見ることになるだろう。今のうちに慣れておくといい」


 深呼吸をした。

 早朝の清々しい空気が身体の中に入っていく。

 メナも同じことをしようとしたけど、途中でやめてしまった。

 汚れてしまった故郷の空気をなるべく吸いたくないのかも。


「よし……わたしは平気。ねえ、アルカナ。なんであいつらは共食いしてないの?」

「それは……」


 わたしの質問にアルカナは言い淀んだ。

 なんと言おうか逡巡してから、口を開いた。


「……レイアちゃん。ロゴスにどのくらいの人が住んでいたか知っているかい?」

「えっと、10万人くらいだったかな」

「そうだね。だから、たくさんの人が行き交っていた。じゃあ、今見えるだけでも魔物はどのくらいだ? なんとなくでいいよ」

「そうだね、1つの建物に多くても15匹くらい。1万にも足りないね」

「つまり、だ。魔力の放射を受けた全員が魔物に変わるわけじゃない。そのまま命を落とす事のほうが多い。餌はまだまだ残っているということさ」


 アルカナは吐き捨てるように言った。

 それを聞いていたメナの顔色はますます悪くなっていく。


「魔物を、すべて駆除しても、ロゴスが元に戻ることは……」

「ないだろうね。どこに居ても死臭が纏わりつく。……だが」

「だが、なんですか?」

「私が元に戻すよ。命は戻せないけれど、死体や臭いを無くす程度なら簡単だ。手慣れたものさ」


 アルカナは当たり前のように言った。

 前に立っていたアルカナは、くるりとわたしたちの方へと向き直った。


「一度だけ、きみたちに提案しよう」


 赤黒い瞳がわたしたちを見つめる。

 艶のある赤い唇はゆっくりと三日月を描いていって、慈愛の表情が出来上がっていく。


「全て、私に任せてもいいよ。全部やる。これ以上辛い思いは何一つさせない。アカデメイアに戻って、今日も幸せな一日を過ごそう」

「……そんなの」

「そうね。それもいいかもしれないわね。だけど――」


 わたしとメナは見つめ合って、頷いた。

 でも、わたしたちの返事を遮ってアルカナは話を再開した。

 

「――腐った死体を見ることになる。千切れた腕、目のない顔を見ることになる。眠れない夜が続くことになる。そして何より、見知った顔を殺すことになる。きみたちの心に癒えない傷を残すことになる。――それでも、良いのか?」


 慈愛の表情はどこに行ったのか、アルカナはわたしたちの全てを見通すような瞳をもって、わたしたちのことを見つめていた。

 あの日を思い出す。

 あの日は恐怖だった。今でもたまに夢に見て飛び起きる。メナも同じだ。

 吐瀉物、血、涙。夜闇、魔物、静寂。

 そんなものを見るたびに、あの日を思い出す。


「覚悟がないなら、やめておけ。人生はまだ長い。背負うのは今でなくても良い」

「――アルカナ様。私たちの覚悟はすでに決まっています」


 メナが言った。

 アルカナの瞳を正面から捉えて、気圧されることのないように手を強く握りしめながら。


「全ての人を救う。それが、私たちの願いであり、覚悟です」

「そうだね。アルカナ、ロゴスの解放はその願いに向けての最初の一歩だよ」


 わたしたちが言い切ると、アルカナは大きく笑った。


「……ははは! だろうね、そう言うと思ったよ。試してすまない。きみたちの覚悟が本物か見極めておきたかった」


 アルカナはわたしたちの頭をぐしゃぐしゃっとなで回してきた。


「でも、私がきみたちの全てを背負いたいくらいに大事に思っているのは本当だ。ここまで一緒に来たんだから、我が子も同然だよ。絶対に死ぬなよ?」

「当然よ」

「言われなくとも」


 わたしもメナも、我が子同然なんて言われて、恥ずかしくって顔を背けてしまった。

 そんなわたしたちを見て、アルカナは更に笑った。笑ってくれた。

 アルカナは底が見えなくて怖い。でも、一緒にいると安心する。

 アンドロスを亡くしたわたしたちにとって、一番身近で一番信頼できる人だ。



 制圧は順調に進んでいる。

 日が昇り切るまでに半分を終わらせられたから、この調子なら計画通りに進められる。

 そんな中でわたしたちは、元の家――アンドロスから任せられた商店に戻ってきていた。


「変わってないわね、さすがに」


 メナが最初に殺した魔物の死体はどこかに消えていた。喰われたか、それとも風に吹かれたのか。あの時を思い出さないでいられるならなんでもいい。

 

「ここが私が来るはずだった店か。入ってもいいかい?」


 入口の大きな扉も閉められたままだった。誰か入ったような痕跡もない。


「いいよ。アルカナが好きそうなの揃えておいたから、好きなの持ってけば?」

「金も払わずにそれはちょっとね。見るだけにしておくよ。ロゴスが復興できたら、店を再開しておくれ。その時にまた、私が最初の客になるよ」


 軋ませながら、扉が開いていく。

 ホコリが積もっていて、入ってきた日光で舞う姿がよく見えた。


「半年ぶりかあ。まさか、戻ってこられるなんてね」

「そうね。はあ、お掃除が大変ね、きっと」


 ここを出る時にしっかりと戸締まりをしていたからか、わたしたちの家には魔物は住み着いていなかった。よかった。

 それでも一応警戒をしながら部屋を回った。メナの魔法で全部わかるとはいえ、万が一というものはあり得る。

 それも杞憂だったけど。わたしたちの大事な場所が汚されていなくてよかった。


「丁度いい。昼だし、ここで一旦休憩しようか」

「休憩ですか? 私はまだ動けますけど」

「わたしも。一気に終わらせちゃおうよ」

「駄目だ。休憩は無理にでも入れる必要があるんだよ。感じていなくとも、心も身体も疲れているんだ。しっかり休むんだ」


 家の中には、アルカナを迎えるためにわたしたちの分に加えてアルカナの分の家具も置いてあった。

 そのお陰で、なんの準備もせずに休憩をすることができた。

 荷物から取り出した干し肉をもさもさと食べながら、わたしたちは休んだ。

 ……あの日何事もなかったら、この光景がもっと幸せな形で実現していたのかもしれない。


 そう思うと、目が熱くなってきた。

 たしかに、疲れているみたい。

 そんなわたしに気が付いて、メナがそっと抱きしめてくれた。

 ……大丈夫。過ぎたことだ。大丈夫。


 休憩が終わると、わたしたちの家を後にした。名残惜しいけど、仕方ない。やるべきことはまだまだある。

 休んだから心身ともに好調で日が暮れるまでにはしっかりと駆除を完了することができそうだった。

 

 メナが外から魔物を確認して、わたしが家に入る。

 室内戦ならわたしの方が得意だった。剣と槍を上手に使って一匹ずつ確実に駆除する。

 その後、アルカナが建物全体を『浄化』する。死体も、臭いも、全部なくなる。

 ……言ってしまえば、そこに住んでいた人の痕跡が無くなるということだった。

 これが良いことなのかはわからないけど、今はこうするしかない。


 時折、顔見知りがいた。

 魔物だったり、死体だったり。

 でも、何度も繰り返すうちに慣れてくる。……慣れてきている、と思いこんでいる。


 今日の最後の建物はアンドロスさんの商店だった。

 わたしたちが商店を持つことを告げられた日、久しぶりにアルカナが店に来たあの日みたいに、空は紅色に染まっている。

 ここは、他の建物みたいに一気に突入することはできなかった。

 メナの魔法が発動されて、魔物がいることはわかっていたけど。

 ……だけど。わたしにとっては義父みたいな人で、メナにとっては実の父親で、アルカナにとっては昔馴染みの知り合いだ。

 アンドロスさんが魔物になっているのか死体になっているのかわからないけれど、どっちにしても、わたしたちに大きな傷を残す。


「来てしまったね。どうする、きみたち。私が片付けても良いんだよ」

「……いえ。私たちで駆除します。レイア、私も一緒に入ってもいいかしら?」

「もちろん。でも、前に出ないでね」

「わかったわ」


 店の入口は空いていた。

 アンドロスさんか、奴隷ドゥロスの誰かが、外の人を助けるために扉を開いたのだろう。

 みんな、いい人だった。だからロゴスで人気になって、大きな富を得ていた。

 誰も悪いことをしてなかったのに、悲劇に襲われた。


「荒れてるね」

「そうね。誰か戦おうとしたのかしら」


 わたしたちの家とは違って、廊下を塞ぐように物が置いてあったり、壊された扉に棒が立てかけられていたり、なんとか防御を固めようとしていたのが見て取れた。

 全部突破されてしまったみたいだけど。

 一階の魔物を駆除して、二階に向かった。二階にはわたしたちの部屋と、アンドロスさんの部屋があった。

 

 わたしたちの部屋はからっぽだった。私物をほとんど持っていったから当然だけど。

 魔物もいなかったけど、死体はあった。……誰かが籠もっていたみたいだ。

 わたしたちの部屋を見ると、もう残りはアンドロスさんの部屋だけだ。


 死角になっている部屋の隅に魔物の姿がある。メナの魔法に縁取られてよく見える。

 羊みたいな身体に、人の顔を持っている。羊よりよっぽど大きいから、他の魔物か死体をたっぷり喰って成長した魔物みたいだ。


「待ち構えてるのかな。……どうする、メナ」

「……私に任せてくれるのね。わかったわ――」



「お疲れ様。……平気だ。何も言わなくて良い。変わっていたのか、見ただけなのかわからないが、詳しくは聞かないよ。そっと、心の中に仕舞っておいてくれ。今日はこれで終わりだ。アカデメイアに戻って休もう」


 ぱちん、と指を鳴らしてアルカナは『浄化』の魔法をアンドロスさんの商店に向かって使った。

 これで、全部無くなった。

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