7.静かな道
季節は夏を通り過ぎて秋に差し掛かろうとしていた。海風が少し冷たくなっていて、時折肌寒い。
山々を彩っていた緑も少しだけ静かになっていた。
その中をわたしたちは歩いている。夏よりも涼しいから、歩くのはずいぶんと楽になった。
「で、アルカナ。なんで『転移』していかないの?」
「混乱に乗じて誰かがポリスの征服に乗り出そうとしていたらどうする? 私たちが突然現れたら大騒ぎだよ」
「それにね、レイア。アルカナ様は沢山使っているからそう思わないかもしれないけれど、『転移』っていうのはものすっごい魔力を使うのよ。……本来は」
「1回飛ぶごとに今のメナちゃんの魔力が空っぽになるくらい、かな。だから、土地勘のない場所で使いたくないというのもあるね」
……いいんだけどさ。
でも、その道程の分の荷物を持つのが誰なのか考えてほしい。
身体を鍛えることになるからって、全部わたしが持っている。
かばんはすごい重さになっていて、肩に紐が食い込む。正直、すごい痛い。
でも工夫すると楽になる。アルカナはこういうことに気付かせようとしているんだろうけど、まあ、不平等な感じがする。
「ははは、拗ねないでおくれ。帰りは『転移』だから、短くて四日、長くて一週間の辛抱だ」
「そうよ。がんばって、レイアっ。終わったらたっぷりご褒美をあげるわ」
メナにそう言われたら俄然頑張れる。やる気がもりもりと湧いてきた。
「……これが愛の力ってやつかい? 若いっていうのはいいねえ」
アルカナがわたしたちを見て、肩を竦めながらそう言った。
そんなに年齢も変わらないだろうに。……って思ったけど、アンドロスさんとは昔からの付き合いだったはず。
あれ? 何歳なんだろう?
「ほらほら、考え事も宜しいがまずは進むぞ。今日の目標までまだまだだよ」
少しよろけかけたわたしを、アルカナがかばんごと支えてくれた。
目的のポリス、アルケーまでは結構ある。海を使えればすぐなんだけれども、今の状況では危険だから使えない。
アルケーはポリスの中でも最も歴史が古い。ロゴスも歴史は古いほうだけど、更に古い。だから人々から大事にされていた。
でも、国法とかが古臭いからあんまり人は居なかったんだけど。それでも、ある意味では憧れの場所でもある。神殿が特に美しいから、人生で一度は行っておいたほうが良い、ってアルケーに行った人はみんなそう言っていた。
そんな美しい場所はきっと悲惨なことになっているだろう。
でも、初めての場所へ行くことに期待を持っているわたしがいる。
絶対に危険があるのに。命すら危ない場面も訪れるかもしれないのに。
危険を冒そうとも、心は正直みたいだった。
その日の夜には初めての野営だった。
わたしたちはロゴスに住んでいたから、屋根のない場所で過ごしたことなんてない。アカデメイアに身を寄せてからも、休むときにはアルカナがアカデメイアまで『転移』してくれていた。
火を焚くのにはメナの魔法が活躍してくれた。いい感じに乾燥した枝とかを集めてきて、それを燃やす。
肌寒い夜に焚き火で温まるのは、不思議と心が落ち着くものだった。
「わあ……焚き火って綺麗ね」
メナが、わたしの肩に頭を乗せながらつぶやいた。
かわいかったから、そっとメナの身体に手を回して抱き寄せた。
「わっ」
「綺麗だね。……でも、メナの方がもっと綺麗」
「……も、もうっ。何言ってるのよ、レイアっ」
メナの枯葉色の瞳を見つめながら囁いてみると、メナは顔を背けてしまった。
「……変わらないね」
アルカナはため息を吐きながらそう言った。
「好きなだけじゃれても良いけど、早く寝るようにね。明日も早いから」
アルカナの小言にはわたしの生返事で返してあげた。
◇
予想通り……と言っていいのか。
アルケーに向かう途中でも一切人に出会わない。
ロゴスとアカデメイアの間ならまだわかる。だけど、他のポリスとの道ですら会わないというのはあまりにもおかしい。
これでも商店で働いていたのだから、毎日どのくらい物が行き交って、そのためにどのくらいの人が必要なのかくらいはわかる。
だから、この状況はおかしい。……異常だ。
「アルカナ。なんでこんなに人に会わないんだろう?」
思い切ってアルカナに聞いてみた。明瞭な答えが返ってくることを期待して。
でも、返ってきたのは、
「おかしいよな。流通に関してはきみたちの方が詳しいはずだ。ねえ、ふたりとも。アルケーだと一日にどのくらいの人が行き交う?」
アルカナにも不可解なことらしい、ということがわかる返事だった。
「そうですね。ロゴスよりは人も少ないし、それだけ物の数も少ないでしょうし。観光地という事を考えても、一日に五百人程度でしょうか。レイアはどう思う?」
「そうだね。わたしはもう少し多いと思うよ。千人とかは行ってるんじゃない?」
わたしたちが意見を伝えると、アルカナは立ち止まってじっと下を向いてしまった。考え込んでいるみたいだ。
「ふうん。精々が多くて千人程度だとすると……。それはあることだね……。だけど……。最悪を考えるべきか?」
アルカナはぶつぶつと呟いていた。
しばらくわたしたちがアルカナの様子を眺めていると、結論が決まったみたいで顔を上げた。
「……アルケーの解放は後回しだ。森に入るぞ。付いておいで」
眉を顰めながら、アルカナはそう言った。
どうやら不穏な出来事が訪れそうだ。わたしは腰に提げていた剣の柄を、強く握りしめた。
ポリスを繋げる道はよく拓かれていて、しっかり整備されている。
野盗みたいな悪い奴らが潜めないように、道の左右は遠くまで視界が通るようになっている。丘とか山みたいにどうしようも無いところは別としてね。
だから、森までもそれなりに距離はある。
「アルカナ様、なにかありましたか?」
メナが質問した。魔法の杖を支えにしながら、少し荒れた原っぱを慎重に歩いている。
でも、アルカナは質問に答えないで足早に歩いていた。それがあまりにも早いので、わたしたちは小走りになってしまう。
「見えてきたね。……おいおい、竜は何がしたいんだ?」
森が見えたところで立ち止まると、アルカナはぼそりと呟いた。
「ふたりとも。覚悟して見てみるといい。魂だ」
目に力を込める。魔力が流れる……。
何も見えない。真っ暗だ。
「あれ……?」
「あれ、って。レイアも? 何も見えないわね」
「前に魔物を見た時を覚えているか? 光を飲み込む真っ暗闇」
じゃあ、つまりこれは。
「魔物の魂……なの?」
「大当たり。これこそが魔物が魔物たる所以。他の魔物を喰らい、強くなっていくんだ。大物が森の奥に控えているらしい」
「えっと、その、私たちでどうにか出来ますか?」
アルカナからその事実を告げられて困惑していたメナが、そっとアルカナの方へ顔を向けながら言った。
わたしたちだけでどうにかなるのか。
森で見た魔物は、周りが見えた。景色が見えて、メナの煌めきも見えた。でも、これは……
「どうだろうね。でも、放っておけない……そうだろう?」
アルカナは暗い魂、その源泉へ身体を向き直しつつ、わたしたちに言い放った。
なにを迷う必要がある?
わたしたちが目指しているのは、悲劇を無くすこと。人々を救うこと。
こんな魔物が放置されていたら、これから先に何が起こるかなんてわからない。
ちらりとメナを見る。
わたしの視線に気がつくと、勇気づけるように微笑んでくれた。
でも、残念。今のわたしには必要ない。
強くなったんだ。わたしの弱さはなくなっていっている。
「そうだねっ。任せて、アルカナ。この程度の魔物、メナと一緒に軽くひねり潰してくるよ!」
「ええ! アルカナ様、任せて頂戴。私の魔法にレイアの力があれば、誰であろうとも障害にはならないわ」
意気込むわたしたちを見て、アルカナは驚いていた。一瞬だけ。すごく貴重な表情だった。
でもすぐに、元の何を考えているのか分からない顔つきに戻ると、わたしたちに言ってくれた。
「その意気や良し。でも、きみたちはまだまだひよっ子だ。私も力を貸すから、無理はするなよ?」
わたしが背負っていた荷物から紐を2つ取り出すと、1つは髪を結って、もう1つはゆるく広がる腰の周りに巻き付けた。
それから『おいで』とアルカナが魔法を呟くと、その手には細長い剣が握られていた。
鉄に似ているけど鉄では無い金属で出来ているようで、銀のような煌めきを放っていた。
でも、銀で剣なんて作れないはずだ。金とか銀とかは脆すぎる。
「久しぶりだな、この子を出すのは。私が手を貸すのはきみたちが危なくなった時だけだ。あの程度軽くひねり潰してくれないと、竜には敵わないぞ?」
わたしの言葉を使って、アルカナはわたしたちに応援を送ってくれた。
見せてあげるよ、今のわたしたちの本気。
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