6.生存者

「つい先程、アカデメイアの前に来てね。……きみたちは、見覚えのある子はいるかい?」


 アルカナに着いていくと、アカデメイアの中庭に着いた。そこには、少し汚くて、ぼろぼろの服を着ていた子どもたちがいた。

 小さい子ではようやく歩き始めたくらい、大きい子ではわたしたちより少し小さいくらい。

 ……でも、わたしたちが知っている子は一人もいなかった。


「……ううん。知らない子ばかりだね。メナは?」

「私も同じよ。初めて見る子しかいないわ」

「やはりか。そうなると、ロゴス以外のポリスから逃れてきた子たちだな……くそっ」


 アルカナは珍しく感情を表に出していた。

 子どもたちだけで脱出して、その全員が生き延びられるわけもない。ロゴスとアカデメイアくらいの距離ならそれも不可能ではないが、他のポリスとなると、一日や二日で辿り着ける距離にあるわけでもない。

 一瞬だけ逡巡していたアルカナだが、すぐに意を決して子どもたちに話しかけた。


「……なあ、きみ。答えられるか?」

「…………」

「無理はしないでくれ。辛かったな。……おい、きみたち」


 アルカナはわたしたちではない、アカデメイアに初めからいた学者たちの方へと顔を向けた。


「この子たちの世話を頼む。……決して、無理に聞き出そうとするな。美味い食べ物、温かい寝床、それを用意しろ。頼んだぞ。……メナちゃん、レイアちゃん。話がある。私の部屋に来てくれ」


 アルカナはおぼつかない足取りで自分の部屋へと向かっていった。

 そんなアルカナを心配しながら、わたしたちもその後ろを着いていった。

 生き残った子どもたちは、虚ろな目をしながらわたしたちをじっと、見つめていた。


 アルカナの部屋は、執務室と違って物がほとんど置かれていない。一組の机と、寝床と、それくらいだった。

 それでも、アルカナから香る甘い香りはこの部屋だと一層強かった。


「…………」


 わたしたちを前にしても、アルカナは口を開かなかった。

 視線は上下していたので、ふさわしい言葉を探そうとしている……そんな感じだ。


「……あの子らの異変に気が付いたか?」


 しばらくすると、アルカナは重々しく口を開いた。


「いえ……少し元気がないなと」

「そうだね。でも、悲惨な出来事の後だから、仕方ないんじゃないかな」

「……そうか。きみたちにはそう見えたか」


 ゆっくりと、アルカナは立ち上がった。

 木でできた椅子が床にこすれて、嫌な音が響いた。


「私は、あの子らの命を看取る」

「……それって」


 メナが言葉を零すと同時に、わたしもそのことに気が付いた。

 アルカナは生き延びたわたしたちと出会ったときに、まず初めに何をしたか――

 身体を調べて、魔物に変わることがないか。そのことを調べていた。

 用意周到なこの人のことだ。アカデメイアに辿り着いた時点で、アルカナがあの子たちを見つけた時点で、それはもう済ませているのだろう。


「……もう、手遅れだ」

「そんな」


 わたしたちはここで初めて、その選択が存在することを知った。

 普通に生きていたら絶対にしないだろう選択。

 一度救った命を、自分たちの手で散らすという、残酷な選択。


「きみたちは、ロゴスをはじめ、いくつかのポリスを開放することになる。最後には竜と戦うことになるだろう。そして、その過程で魔物と化した人間……あるいは、すんでのところで助かった人間に出会うだろう」


 まるでわたしたちの未来を予言するかのように、アルカナは言葉を紡ぎ始めた。


「魔物なら簡単に殺せる。もはや人間じゃないからな。だが、人間であるのに、手遅れなときもある。……その時はせめて、人間の姿のまま、楽にしてやれ」


 感情を噛み締めて、過去の後悔を飲み込むようにアルカナはゆっくりと喋りながら、わたしたちにそのことを伝えた。

 ……過剰な力を得て思い上がっていたかもしれない。

 わたしたちが歩もうとしている道とは、そういう道なんだ。


「そしてその度に、後悔してくれ。自分の力不足を嘆いてくれ。……私はもう、何も感じない」


 アルカナは、わたしたちに背を向けて、かろうじて聞き取れる声で呟いた。

 その時の背中は、見た目に反しない、年齢相応の若い女の人の背中に見えた。



 一週間くらい経った。

 アカデメイアはいつもの様子に戻り、顔ぶれもいつも通りになった。

 あれから、わたしたちの訓練は一層身が入るようになった。

 悲劇を無くし、人々を救う。……大それた願いなんだけど、わたしたちはそんな願いを持つようになった。


「よしっ。今日の訓練はおしまいだ! レイアちゃん、最近動きが良くなってきているね。その調子だよ」


 アルカナが弱みを見せたのはあの時だけで、すぐに元の調子に戻っていた。訓練も毎日行われていた。

 ……けど、あの子どもたちが一人、また一人と居なくなっていったことは、わたしたちの心に大きな傷を付けた。


「どうした、レイアちゃん。どこか痛いか?」


 アルカナは結んだ髪をほどきながら、わたしに聞いてきた。甘い香りが周りに漂う。


「ううん、なんでもないよ。ちょっと考え事」

「そうかい? なにかあったら私でも、メナちゃんでも、他の子にでも相談するんだよ」


 アルカナのことを少し知って、わかったことがある。

 この人は、わたしたちを見ながら、わたしたちを見ていないことがある……意味分かんないけど、そうなんだ。

 わたしたちの身を案じてくれて、大事に思っているのも確かなんだけど、でも。

 ……そのことに気が付いてから、アルカナが少し怖くなった。

 メナは気が付いていないから、そのことは伝えていない。それに、勘違いだったら申し訳ないしね。


「うんっ。ありがとね、アルカナ」

「気にしないでおくれ」


 長い、赤黒い髪を揺らしながらアルカナは歩いていった。

 髪から香る甘い匂いを感じる度に、少し嫌いになっていく。

 どこが怖いの? と聞かれても、わたしも答えられない。

 なんだか少し、変な気がして、そこが……違和感を抱かせるんだ。



 それからまた少しすると、わたしたちの訓練は一段落した。

 アルカナいわく、ほとんど教え尽くしたらしい。だから、最近は漏れ出た魔物の駆除のような実戦を主に行っていた。

 そんなこんなで、今回はアカデメイア近くの森に来ていた。

 魔物がここまで来ていて、住み着いてしまったらしい。危ないね。


「ほら、レイアちゃん。森で戦うときに重要なのは?」

「んーと……足場の確認」

「そうだね。レイアちゃんにとっては死活問題だ。じゃあメナちゃん、きみの場合は?」

「視界の確保です」

「うん、しっかり覚えてるね、ふたりとも。偉いぞ!」


 アルカナは満足そうに微笑んだ。

 わたしたちも釣られて笑ったが、警戒は怠らない。

 魔物は陽の光が届かなければ、昼間でも十分に活動できる。ここみたいに鬱蒼とした森は、夜中のように警戒しなければならない。


「……ところで、アルカナ様。魔物は主に人が変化するものなら、どうして森に来ているのでしょうか」


 メナがアルカナに質問した。

 足元が汚れないように、滑らないように、メナは身体を少しだけ浮かせて移動していた。ずるい。


「そうだね、まず、人は……竜のような化け物から発せられる莫大な魔力を受けると、身体の均衡が取れなくなってしまう。そこから身体が変化して魔物になるんだ」


 アルカナは邪魔なモノを勝手に焼いてくれる魔法を周りに展開して、枝や草や根っこを焼き払いながら歩いていた。

 火事になりそうで危なっかしいけど、そこは流石の大魔法使い。しっかり制御されている。


「へえ、でも、わたしたちは耐えられたよ?」

「もちろん、条件はそれだけじゃないさ。きみたちみたいに運が良ければ助かることもある。ともあれ、人が魔物に変化するのは魔力で作り変えられるからだ。つまり、機能のほとんどは人間とは根本から違うことになる」


 メナとアルカナと違い、わたしは普通に森を歩いている。もう何回も、突然森に連れてこられていたから、こうしたところを歩くのは慣れたものだ。下を見なくとも、転ばずに簡単に移動できる。

 ……でも、もうちょっとかっこよく移動したかったな。メナもアルカナも、特別なことをしている感じがすごい。


「で、だ。そうなるとポリスみたいな都会よりも草原や森のほうが暮らしやすいときもある。獣みたいにね。だから、時折、そうしたところで巣を作って繁殖することもあるんだ。……ほら、前を見てみろ。わかるか? ……奴らは繁殖した魔物だね、顔が人じゃない」


 言われるがままに、前方をよく見てみると、確かに魔物がいた。といっても、変化した魔物みたいに歪で不気味で不快なわけでもなく、見た目だけならそこらの獣と変わらない。


「……あれ、本当に魔物?」

「姿は魔物らしくないだろう。だがね、ほら、魂を見てみるといい」


 わたしは、目元に意識を集中させて魔力を流し込んだ。世界の裏側を見るような感覚になる。

 そのまま、魔物の方を見てみると――

 暗闇だった。かろうじて、後ろから届くメナの魂の輝きは見えるけど、それ以外は全く見えない。


「それが魔物の魂だ。覚えておくといい。こうした視界が悪い場所だと、これがわかるかどうかが命に関わるからね」

「……わかりました。それでは、早速駆除を始めますか?」

「そうだね。今回は私の援護は無しだよ、頑張れ」


 メナが音を立てないようにわたしの近くへ来て、小声で話しかけてきた。


「数はどのくらいかしら?」

「そうだね……五匹くらいかな。どうする? わたし一人でもできるけど、メナがまとめて駆除する?」

「そうね。それが良さそうだわ。もし近づいてきたら、任せるわよ」


 メナは立ち上がって魔法を唱え始めた。


「多数を相手にする場合には炎が有効、ね。覚えているわ。『燃やし尽くせ』!」


 言葉を口にした瞬間、眼前の魔物の集団は炎に包まれた。

 少し離れているのに熱気がここまで届く。きっと、姿もわからないほどに燃え尽きていることだろう。

 ……そう思っていたんだけど、


「レイアっ! 気をつけて、一匹こっちに来ているわ!」


 身体を燃やしながらもこっちに来る魔物がいた。

 苦しみからか、前も後ろもわからなくなってしまったんだろう。かわいそうに。


「大丈夫、任せて」


 わたしはメナに返事をして、向かってきている魔物に向かって背負っていた槍を投げた。

 腕と同じくらいの長さの小さめの槍だ。投げやすくて、沢山持てるからすごく便利。

 矢のように飛んでいった槍は綺麗に身体を貫いた。豚の丸焼きみたいに、身体を一直線に貫いていた。


「さすがの威力ね、レイア」

「それを言うならメナだって。一気に四匹も倒せるなんて、すごいよ」


 わたしたちは確実に強くなっている。魔物を倒す度に、さらに強くなっていっている。

 でも、それでも。救えない人が存在することを忘れてはいけない。

 神々のような力を得ても、だからといって神々になれるわけではないんだから。


「お疲れ様、メナちゃん。レイアちゃん。魔物はこれだけみたいだ。……そろそろ、ロゴスの前に他のポリスを解放しに行っても良いかもね」


 でも、アルカナが提案してくれたそのことにはすぐに飛びついてしまう。

 なんだかんだ言っても、強くなるっていうのは楽しいものだからね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る