5.初陣

 アカデメイアに着いてから、今日で一ヶ月だった。新月がぐるりと周り、あの夜と同じく夜空にはまばらな星の他に何も浮かんでいない。

 ……今日は、ロゴスの様子をアルカナが見に行った。それなのにまだ帰ってきてない。心配だ。


「……遅いわね、アルカナ様」

「そうだね。まあ、なにもないとは思うけど」


 と、噂をすれば。背後からぽすん、となにかが落ちる音がして、振り向くとアルカナが居た。


「ごめんごめん、遅くなったよ」

「アルカナ。心配したよ」

「悪かったね。色々と見て回ってたらこんな時間さ……きみたちだけでは、まだロゴスに行かない方がいい。魔物が繁殖し始めている。このままだと、ロゴスを閉じて奴らを封じ込める方がいいかもしれないな」

「……そうですか」

「ふふ。かもしれない、だよ。きみたちに何のために訓練を積ませたと思っている? ロゴスを解放するためさ」


 沈んでしまったメナの頭にぽん、と手を乗せながら、アルカナはそう言った。

 ここでわたしたちは初めて知らされた。アルカナの目的、わたしたちに戦わせる目的。

 ロゴスの解放――それがそうだった。


「なんでロゴスを? わたしはあまり愛着がないから言っちゃうけどさ、あそこを捨ててアカデメイアに新しく都市を作る方が楽だと思うんだけど」


 わたしの言ったことに、メナはなにか言いたそうに口を開けたが、言葉を呑んで我慢してくれた。ごめんね。


「そうだね。実利だけを得るならそれが一番だ。自慢では無いが、ここに所属する子らはみんな多芸に通じている。有数の都市ポリスになるのもあっという間だろう」

「では、なぜですか? 私なら、ロゴスに執着するのも仕方ないです。あそこで生まれ育った訳ですから」


 メナが言った。目は下に向いて、睫毛がふるふる震えている。


「なに、私も愛着があるだけさ。あらゆる物事は得てして単純なもので――取り戻したいから。それくらいで十分だろう?」


 アルカナがそう言うと、メナの瞳に力がこもって行く。

 がんばる理由なんて人それぞれ。複雑なものに見えても、その根本は単純なものである時が多い。

 わたしはメナの願いを叶えるためなら、どこまででも着いていく。


「ということで、実戦だ! ロゴスから何匹か魔物が溢れ出てきていたからね、真夜中だが――いい訓練になるだろう。さあ行こうか」


 アルカナに手を掴まれた。メナも掴まれて、そのまま魔法が呟かれる――


「ロゴス大門前かな――『転移』」


 白い光が視界を支配する。二回目の感覚だ。まぶしくて目を瞑って、それから開く。ほんの少しの星明かりに照らされて、ロゴスの大門が微かに見える。


 ……メナから、アルカナが得意とするこの魔法の難しさについて説明を受けたことがある。メナも一度だけ、石を使って試したことがあったらしいが、粉々になるだけで終わったという。

 正確な位置の記憶と、どのような流れで移動するのか。そして、その場所までの澱みない魔力の流れ――それら全てを完璧に構築できないと、転移は悲惨な結果に終わってしまうらしい。


 アルカナは、めちゃくちゃに危ない魔法をぽんぽん使う危険な人なのだ。こわい。


「一ヶ月ぶりの帰省だ。ああ、中には入るなよ。守りきれない。きみたちがするのは、あくまで漏れ出た魔物の駆除だ。……早速来たぞ、ほら、がんばれ」


 放り出されて、わたしは急いで体勢を整えた。まずは索敵……の前に警戒。暗闇の中では音や匂いといった風に、目よりも他の部位をよく使う。

 剣の柄に手を置いて、あらゆる感覚を鋭敏にする。ある時、わたしが寝ているとアルカナに真夜中の森に連れてかれて、アカデメイアまで戻ってこいという酷い命令をされた。でも、その時の経験のお陰でこうしたことが出来るようになった。

 右だ。足音と、臭い。


「メナ! 右にいる、お願いっ!」

「任せて……『照らせ』!」


 メナの魔法によって、明るい光がわたしたちの元に現れた。その光は真っ直ぐに右だけを照らし、わたしたちの姿は暗闇に隠しながら、魔物だけを明るく照らす。

 魔物――魔力で変化した化け物。アルカナによれば、自然に発生する時もあるらしいけど、今回の魔物はその殆どが……人だった。


「……ふぅ。よしっ。メナ、アレはわたしに任せて」

「わかったわ。……無理しちゃだめよ」

「その時は魔法使って助けてねっ!」


 足に力を込めて、一気に地面を蹴った。深く抉れて、土が後ろに高く舞う。その勢いのまま、姿勢を低くした。鼻のすぐ先に石が落ちていた。掠ったら鼻がえぐれる。でも、姿勢は低くしたままで。

 魔物が近づく。

 顔が見える。

 よかった。知らない人だ。遠慮なく殺せる。


 直前で、剣を抜いた。

 少し身体を捻って、そのまま魔物の足を裂いた。今回のは犬のような身体だった。柔らかい肉の先に、鉄のように硬い骨を感じたが、勢いのままに断ち切った。

 過ぎ去って、背後から崩れる音がする。血もたくさん出ているようで、水たまりに落ちたみたいな音がした。

 勢いを殺して、反転。

 また少し加速して、背中に担いでいた槍を魔物の頭に向けて投げる。命中。


「おお、やるねえ」


 いつの間にかアルカナが後ろに居て、魔物から槍を抜こうとするわたしの手を止めて、代わりに槍を抜いた。


「ふんふん。こんなもんか。これなら、小さい槍を何本も持つ方がレイアちゃんには合ってそうだね。帰ったら用意しておくよ」


 槍の先端を眺めながら、アルカナは呟いた。返された槍を受け取りながら、わたしはメナに向かって手を振った。


「おーい! 仕留めたよ!」

「さすがね! 次は私の番よ!」


 瞬間、獣臭がした。咄嗟に後ろを振り向くと、わたしが倒した魔物よりも一回り大きい魔物が近づいていた。

 顔は……男か女か、そんなことも判断できないほどに歪んでいて、崩れていた。


「おっと、早速来たか。ほら、メナちゃんの所に行こう。手を貸して」


 白い光に包まれる。

 メナの隣に来ていた。


「うわっ……魔法が使えるようになってわかったけど、アルカナ様って本当に凄いのね」

「おや、もう視えるのかい? きみならすぐにでも私を越えられるだろうよ。ほら、それよりも今は魔物だ。油断するなよ」

「ええ。もちろんです……そうね、アレ程度なら……『凍れ』」


 メナが魔法を囁くと、魔物の足元に氷塊が集まっていった。くるくると魔物の周囲を回りながら、少しずつ足へと張り付いていく。そして、全てが張り付くと魔物の四足全ては氷に固く縛られていた。


「それから、こう。よく狙って……『貫け』」


 メナは片目を瞑りながら、杖の先端を魔物の方に向けた。そして魔法を呟くと、魔力が魔物の頭を正確に貫いた。

 単純な魔力の塊を放つ魔法でありながら、その威力は物凄い。何度見ても圧倒される。


「うーん、やっぱりこれが一番しっくり来るわね」

「メナ! すごいよ、さすがっ! 世界一の魔法使いだよ!」

「……私を前にしてそれを言うかい?」


 それからわたしたちは、もう何体か魔物を駆除してアカデメイアに戻ってきた。

 終わる頃には太陽が少し昇ってきていて、わたしたちの部屋にたどり着いたらすぐ寝てしまった。



 翌日。

 初めての戦いを終えたから、と言ってアルカナから休みを言い渡された。訓練も無しの、まっさらな自由時間だ。

 お店をやっていた時は週に一回はあったけど、ものすごく久しぶりな気がする。……何をしようかな。

 なにかやる事が見つからないかな、とか考えながらアカデメイアの廊下をとぼとぼ歩いていた。差し込む日差しが気持ちいい。部屋の前を通る度に、いろいろな声が聞こえる。どれもこれも難しい話なのであんまりわかんないけど。


 ……アカデメイアを一周して、部屋に戻ってきてしまった。結局やりたいことは見つからず。


「ただいまぁ……」

「あら、レイア。戻ってきたのね」

「やる事見つからなかったよお」

「仕方ないわよ……あ、そうだ。手合わせでもする?」


 ぽふんと寝床に座ったわたしに、メナがそんな事を言ってきた。

 魅力的ではある。だけど……


「……メナ、手加減できる? わたし、まだ死にたくないんだけど」


 メナの魔法の出力が大問題だった。

 あの『貫く』魔法なんてされたら身体に大きな穴が空いてしまう。


「……それを言うなら私だってそうよ。あなたの槍でも剣でも掠ってみなさい。私の身体が吹き飛ぶわよ」


 結局、それが問題なのだ。

 アルカナ相手だと全力を出しても問題ない。むしろ、足りないくらいなんだけど、他の人にそんな事をしたら確実にやりすぎる。

 人間より堅くて強い、そんな魔物を駆除するための技術のみを磨いてきているのだから、人間にそれを向けるのはあまりにも危険だ。アルカナは別。


 正直、アルカナが言っていた、人間と戦うようになったら逃げろ、というのはあまり分からない。だって、負ける気がしないもの。


「……でもさあ。なんでわたしたちって、たった一ヶ月の訓練でこんなに強くなったわけ? おかしくない? アンドロスさんだって、戦争に出て毎日訓練してたわけなのに、こんなに強くはなかったよ?」

「そうね。私は魔法だから、そのようなものだと考えてしまっていたけれど……レイアはおかしいわね。力だけなら、大人の男の人にも勝てるんじゃないかしら?」

「うん。多分、余裕」


 毎日、限界のさらに先まで追い込まれていたからその事を考える余裕がなかったし、実際に戦うことも無かったから実力がどの程度かなんてわかっていなかった。

 けど、一度実戦を経験して、その後にたっぷりと考えられる時間が与えられてしまうと否が応でも実感してしまう。

 異常だ。


「……どうせ、アルカナがなんかしてるんだろうけど」

「そうよね。あの方はどんな魔法も使えるから――わっ! レイア、後ろ」


 後ろを振り向くと、わたしとメナ、二人きりで話していたはずなのに、いつの間にやらアルカナがすぐ側に来ていた。

 足音もしなければ、扉を開けた音もしなかったのに……


「その疑問は当然だ。……だけどね、正直なところ、私も想定外なんだよ。でも、推測は出来る。聞かせてあげようか?」

「あ、うん、よろしく」

「承った。といっても、そう難しい理由では無いよ。恐らく、竜の魔力をその身に受けながらも、生き残ったことが原因だな。きみたちの魂の煌めきは、他人と比べても抜きん出ているんだ」

「なるほど。死地を生き残った英雄が、他の戦場でも活躍することは多々あると聞きます。それと同じようなものでしょうか?」

「そうだね。さすがメナちゃん。でも、それにしたってきみたちの成長は異常だ……しかも、昨晩の魔物討伐をしてから、さらに魂の煌めきは増してる。……もっと強くなれるぞ」


 ほん。ふん。……なるほど?

 まあ、つまり、追い詰められた危険な状況を生き残る度に魂がさらに強くなっていくらしい。そう考えると単純だ。そして、普通の兵士がそうならない訳もよくわかる。

 勝つ時は圧勝、負ける時は皆で敗走。たった一人で抵抗するなんてこと、滅多にないからね。


 でも、昨日の魔物討伐でさらに強くなったというのは不思議だ。全く苦戦しなかったのに……というより、そもそも、魂ってなに? なんで煌めきとかわかるんだ、アルカナは。


「ていうか、魂ってなに?」

「人の根幹にあたるものさ。見てみたいか? コツを掴めば簡単だぞ。ほんの少しの魔力があれば見れるから、レイアちゃんもやってみるといい。……ほら、目に力を込めて――」


 言われたとおりに、いろいろと魔力を流したり、集中したりしてみると――見えてきた。

 魂というから、なにか大きな塊でも見えるのかと思ったけど、身体の周りにぼんやりとしたふわふわが見えてくるだけだった。


「わ! すごいです、アルカナ様。レイアは……眩しいわね。あら、でも、色が付いてるのね。黒っぽい青よ。髪の色と似ていて素敵だわ」


 メナがそう言ったので、わたしもメナの方を見てみた。まぶしい。けど、目が疲れるわけではない。

 よく見てみると、確かに色が付いている。


「メナは……黄色だね。目立つ色だけど、上品な色してる。髪色と似るのかな?」


 好奇心のままに、アルカナの魂の色も見てみた。

 ……全く眩しくない。

 でも、色はわかる。白だった。何色にも染まっていない純白。髪の色とは全く違った。なにを元にしているんだろう。


「魂の色はあらゆる人が持つたった一つの色だからね。人混みから誰かを見つける時とか、すごい役に立つよ。……っと、ごめんね、そろそろ行かなくちゃ。ああそうだ、やる事がないならアカデメイアの掃除を頼まれてくれないか? ……恥ずかしながら、他の子はそうしたものに無頓着でね。できる範囲でいいから、頼むよ」


 去り際に、さり気なく面倒事を頼まれた。

 まあ暇だからいいんだけどね。ちょっとめんどくさいけど、メナと一緒なら楽しい。


 アカデメイアは結構広い。その割に、住んでる人は少ないから掃除は行き届いていない。

 その分汚れも少ないから、ホコリがたくさん溜まってたりくらいの汚れなんだけど。

 それでも、ロゴスが壊滅してからは仕事をする人も呼べないから、汚れは貯まる一方だった。


「……もしかしたら、魔法で楽に掃除できるかもしれないわ」


 ホウキを片手に掃除するわたしに、メナが唐突に話しかけてきた。


「……たしかに。魔法って、いろいろできるんだよね?」

「ええ。アルカナ様が言うには、生き物を生み出すこと以外はなんでもできるらしいわ。つまり、お掃除も、よ」


 そう言ってメナは早速魔法を使おうと、目を瞑って想像を始めた。

 魔法というのは、想像をそのまま起こすものらしい。だから、魔法使いは必然的に諸学に通ずるようになる。

 まあ、その点メナはまだまだ初学者だ。つまり、失敗は付き物で……なんで気づかなかったんだ。


「ちょ、メナ。本当に平気?」

「ええ。任せなさい――これが魔法の真髄よ! 『大掃除』!」


 ――瞬間、風が起こった。

 嵐のような突風で、部屋はみるみるうちに――


「……ごほっ、ごほっ。ねえ、メナ。やっちゃったね」

「……そうね」


 家具はそこら中に吹っ飛び、窓はもはや機能を無くし、ホコリが天まで舞っていた。

 どうしようかと二人して頭を抱えていると、扉が急に開かれる。

 アルカナだった。


「二人とも! ……何だこの惨状は。話は後で聞くよ、今は急いで来てくれ。生存者だ」

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