4.杖と剣

 ……食べすぎた。

 お腹がくるしい。なにかが出てきそうなのを、なんとか意地で堪えている。

 メナも同じようなものだった。あれを全部食べたのは無理があったね……。

 そんな状態でも、わたしたちはアルカナの前に立っていた。アルカナは、気だるげな垂れ目をさらに傾かせてわたしたちのことを見てくる。


「ひどい顔をしているな。どうする? もう少し休むか?」

「……大丈夫です。アルカナ様のお時間は貴重でしょうから」

「レイアちゃんは?」

「……このくらいっ、へいき」


 意固地なわたしたちを見て、アルカナはため息をついた。

 ふわりと揺れたアルカナの髪から、甘い香りがした。


「きみたちが良いなら、良いが。まずは杖の話からだな。あれは本物だ」


 やっぱりな、と思った。

 アルカナが買おうとした時点でほぼ確定だったけど、武器代わりとして持ってきてよかった。うまく使ってくれると思う。


「そしてメナちゃん。きみに譲る。効果を調べてみたら、魔法の素質を何倍にも増幅する杖だったよ。こんな杖は滅多にない」


 でも、次に言った言葉はわたしたちが予想もしていなかった事だった。魔法の道具を渡されたところで、魔法が使えなければただの道具と変わらない。

 なのに、その効果は素質を増幅するものだという。ということは。


「私は魔法が使える、ということですか?」

「そうだ。メナちゃん、きみには魔法の才能がある。まだ目覚めてないだけだ。その杖を使って魔法の鍛錬を積めば立派な魔法使いになれるだろう」


 メナは大きく目を見開いて、ふるふると震えていた。喜びを爆発させたいけれど、アルカナの手前、はしたないことはできないみたいだった。

 だからわたしが代わりに喜ぶ。あと、聞いてみる。


「すごいよ、メナっ! あ、アルカナ! それじゃあわたしは……?」

「……レイアちゃんは、魔法は、うん、がんばればできるさ。そんなことより、きみは身体能力が高いからね。戦う時は剣や槍を使うと良い。ああ、大丈夫だ。私はそっちもできる」

「あ、そう……」


 ……露骨に話を逸らされた。まあ、わたしは身体を動かすのが好きだし、身長もそれなりにあるから文句は無い。メナが魔法を使うなら、その身を守る盾になるつもりだ。

 わたしが恥を晒しているうちに、メナは落ち着きを取り戻していた。

 ふう、と大きく息をついて、アルカナに質問を始めた。瑞々しい唇がかわいらしく動いている。いいね。


「そうすると、アルカナ様が直接私たちに教えてくださるということでしょうか?」

「そうだ。私が直接きみたちに教えるよ。ここだけの話だが、竜の災害はロゴスに留まらない。さらなる被害を抑えて魔物を駆除するためにも、戦える人が一人でも必要なんだ」


 衝撃の事実……という程でもなかった。なんとなく察していた。

 わたしたちが頷くと、アルカナは「そうだ」と呟いて言葉を付け足した。


「それと杖なんだが、先端に大きな宝石が埋め込まれている。だから、殴るのには使わないようにしてくれ。壊したら直せないよ」


 メナはそっと目を逸らした。



 訓練は早速始まろうとしていた。


 アルカナは動きやすいように、いつもの服ヒマティオンの腰のあたりにベルトを巻き付けている。そこに紐を通して、剣を吊り下げていた。

 長い髪を後ろでまとめていて、陰鬱で神秘的な普段の印象が、活動的なものへと一変している。


「よしっ。うんうん。ふたりとも、似合ってるじゃないか」


 アルカナはわたしたちを見て満足そうに笑った。


 メナは金糸で装飾が施された服を着ていた。曰く、刻まれた意匠には魔法を強く、扱いやすくする効果があるらしい。不思議だね。

 わたしは、胸を守る革製の鎧を渡された。手首と足を守るために金属製の防具も渡されて、兵士の防具をさらに機能的にしたような感じだった。

 わたしにぴったりの大きさで、見た目だけだと動きにくそうなのにそんなことはない。


「あら、レイア。結構似合ってるじゃない」

「ありがとう、メナ。メナもすごくかわいい……ううん、美しい。いや、その両方を兼ね備えてるね……完全無欠だよ。今すぐ抱きしめたいくら――」

「おいおい、いきなり私を置いていちゃつかないでくれ……」


 アルカナが横槍を入れてきて、わたしは我に返った。この格好のメナは危ない。飲み込まれるかわいさがある。早く抱きしめたい。


「はあ……始めていいかい?」


 腰に手を付けて、アルカナは頭をふるふると揺らした。演劇のような大仰なしぐさで、いつもの控えめなアルカナとは雰囲気がちょっと違う。


「ご、ごめんなさいね。レイアにはあとでしっかりと言っておきます」

「それだけの元気があればいいけどね。実際に動く前に伝えておくが、きみたちに教えるのは対人術じゃない。魔物を駆除するための戦い方だ。人と戦うことになったら、逃げろ。わかったね?」

「わかった」

「わかりました」

「よしっ。それじゃあレイアちゃん、私に切りかかっておいで」


 ゆらり、と姿勢を崩しながらアルカナはわたしの方を向いた。簡単に怪我を負わせてしまいそうだったけど、わたしは剣を抜いてアルカナを切ろうとした。

 けど、ほんの少し動くだけで避けられてしまう。


「うん、そうするよね。だけどダメだ。魔物は痛みを感じない。だから、当てやすい所を狙うと骨を折ったり、体を壊しながら動かれて簡単に避けられる。つまり、どこを狙うべきか分かるかな?」

「……足とか?」

「そういうことだ。まず、動けなくする事を第一に考えろ。それから――」


 経験を通じて、アルカナはわたしにあの化け物――魔物を駆除するための技術を教えてくれた。

 何度も、何度も。アルカナは決して手加減をしてくれず身体の傷は増えていった。

 

 それから、わたしが滝のように汗をかいて足も腕も動かなくなると、ようやく終わった。

 次はメナの番だ。


「お疲れ様、レイアちゃん。よく休んでおくんだ。明日も同じことをするからね。……さて、メナちゃん。きみにはまず、初歩の魔法を教えよう……といっても、難しいことではないが」


 わたしの様子を見て、メナは戦々恐々としていた。一体どんなことをされるのか……わたしは心配しながらも、ちょっと楽しみだった。


「よ、よろしくお願いしますっ!」


 勢いよく頭を下げたメナを、アルカナはやんわりと窘めた。


「そこまで気張らないでくれ。厳しくはしないさ」


 ……なんかわたしより甘くない?


「魔法の大原則として、『魔力の限り、創造に余地は無い』だ。魔力というのがいわゆる魔法の素質でね……言ってしまえば、筋肉みたいなものだ。あればある程、強い力が出せる。さあ、私が言ったことをメナちゃんも言ってごらん」


 アルカナが促すと、メナはそっと呟いた。


「『魔力の限り、創造に余地は無い』……わ!」

「はは、すごいだろう? それが魔力の感覚だ。……うん。やはり、杖の効果を抜きにしてもメナちゃんの魔力量は凄いな。稀代の魔法使いになれるぞ……そうだ、レイアちゃんも唱えてみるか?」


 地面に座ってやり取りを眺めていたわたしに、急にアルカナが話しかけてきた。どうやら、魔法が使えるようになるにはその言葉を唱える必要があるらしい。


「やってみる。……魔力の限り、創造に余地は無い…………何も起こんないけど」

「魔力が入ってないな。もう一度。これはもう感覚なんだが……世界の裏側から力を吸い取るような感じでやるんだ」


 世界の裏側……?

 なにを言っているのかよくわからないけど、とりあえずやってみる。……こうかな?


「『魔力の限り、創造に余地は無い』」


 身体の奥底から、今まで生きていたのとは全く別の感覚が湧いてくる。――乾いた身体に水が染み渡るように、身体中にその……恐らく魔力が行き渡る。


「お上手。でも、魔法は使わない方がいいな。レイアちゃんの魔力は普通の人とそう変わらない。つまり、魔法を使うと体調が最悪になる。だからやめておけ」

「あ……うん」

「さて、メナちゃん。早速魔法の授業と行こうか」


 くるり、と服を靡かせてアルカナはメナの方へと振り返った。

 相も変わらず、上品で甘い香りが漂った。



 メナの魔法の才能はすごかった。

 基礎の『炎』、応用の『氷』、更には発展の『雷』などなど、次々に魔法を覚えていった。

 すごい。わたしも嬉しい。……そのはずなんだけど、隣に立っていたはずのメナが遠くに行ってしまったような気がして、初めて感じる感情が心の中に渦巻いている。

 ずるい、とか、うらやましい、とか。

 良くない感情が沢山湧いてきてしまって、一人で浴場に来ていた。


「いつっ……」


 お湯に浸かると傷口が沁みた。

 メナもそうだけど、アルカナだって。わたしのメナを取ってしまったみたいに、独り占めしてる。メナはわたしの方よりアルカナの方ばかり見ていて……ああ、もう、嫌だ。

 

 お湯に頭を突っ込んで、ぶくぶくと泡を吹いた。ごぽごぽ。

 あのままロゴスに引きこもっていたら、二人だけの世界で静かに暮らせたのかもしれない。――とか考えてしまって、自分のことが嫌になる。ごぽごぽ。


「ちょっと、レイア!?」


 嫌な感情に呑み込まれそうなわたしの耳に、メナの声が入ってきた。

 メナも浴場に来たみたいだ。

 肩を掴まれて、頭をお湯の外に引き出された。


「なにしてんのよ、このおばかっ! 危ないでしょ!」

「……あ、メナ。ごめん」

「どうしたのよ、まったく」


 ぷりぷり怒りながらも、わたしのことを心配してくれる。そんな器用なことをしているメナは、どんな姿でもかわいい。


「メナってかわいいね。裸でも」

「……も、も、もうおどろかないわよっ。なによ急にっ」


 冗談を飛ばすと、メナは期待通りの反応をしてくれる。それが嬉しくて、わたしもいつもの調子を取り戻していく。


「メナの魔法がすごかったからさ、わたしなんて要らないんじゃないかって」


 メナから目を逸らして、お湯に映ったわたしの顔を覗きながらそう言った。


「……おばか。そんなことで悩んでたの?」

「……わかってたの?」

「もちろんよ。ずっと一緒なんだから、気付くに決まってるじゃない。あのね、レイア」


 ぱしゃり。

 水音と共に、メナが隣に座った。

 首をこてん、と倒して、わたしの肩に乗せてきた。濡れた金髪がくすぐったい。


「なに?」

「私はね、レイアがいるから頑張れるのよ。魔法だって万能じゃないし、アルカナ様ほどの人にでもなければ、絶対なんて無いの。いつだってあなたは必要だし、あなたが要らなくなることなんて、絶対に無いわ」


 メナの直球の好意。

 それにはあんまり慣れていなくて、頭の中が熱くなる。ずっとお湯に浸かっていたせいかもしれないけど、メナの言葉でさらに熱くなる。くらくらする。


「えへ……へぁ……?」


 くらくら、くらくら……ぁ。


「ちょ、レイア!? ああもう……あんなに沢山動いて頑張ったのに、こんなに長風呂するからよおばかっ! むむ……『浮かべ』! このままお部屋に連れてくわよ」


 ふわふわ浮かんで、きもちよかった。

 そのまま意識は沈んでいって、メナに包まれる夢を見た。変な夢だった。

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