一章 学園

3.学園

 メナは杖を持っている。あの魔法の杖だ。

 魔法は使えないけど、頑丈でそれなりに軽くてなによりも長い。素人が使う武器としては十分だから、大事に使っている。歩く時にもちょっと便利。

 わたしは、亡くなった衛兵から拝借した青銅の剣だ。鉄のほうがよかったけど、わがままは言ってられない。うちの店だといくらくらいで売ってたな、なんて、そんなことを考えてしまう。


 アカデメイアまではそう遠くない。朝から歩いて昼頃に到着するくらい。だから、生き残ってる人がいればきっと出会うはず。

 そう思いながら、わたしたちは道を歩いた。初夏の日差しに照らされながら、少し汗ばんで。


 でも、いくら歩いても、人と出会わない。前を歩く人もいなければ、後ろから来る人もいない。そして、こちらに向かう人もいない。

 被害はロゴスだけだと思っていた。そう信じていた。甘かったかもしれない。


「……誰にも会わないわね」


 少し息を切らしながら、メナがわたしに話しかけてきた。杖を支えに使っているから、なんとか頑張れているみたいだった。


「そうだね……」


 二人とも疲れているから、どうにも言葉少なになってしまう。今歩いている所が坂になっているせいもある。つかれる。


 またしばらく歩いて、ようやくアカデメイアとロゴスとの中間のあたりに着いた。ここは丘の頂上付近に位置していて、ロゴスとアカデメイアの両方を見渡すことができる。

 丘の上から見渡すロゴスは、遠くから見るといつもと変わらない美しい街だった。


「……変わらないね」

「そうね。今から戻ったら、いつも通りの日常が戻ってきそう。……そんなはずないのに」


 反対側を見ると、アカデメイアがある。

 大理石で作られた三棟の建物と、大きな庭園。それと運動場。

 ここからは何事も無いように見えるが、ロゴスでさえも綺麗なんだから油断はできない。


「……アカデメイアも変わらないね」

「そうね。何事も無いといいのだけれど……」


 すこしため息をつきながら、わたしたちは歩くのを再開した。さっきよりも歩幅は狭くて、とぼとぼと歩いていく。


 そのまま歩いていると、道の先に人影が見えた。わたしたちの姿を認めたようで、こちらに向かって走ってきている。


「誰……?」

「誰かわかんないけど、一応警戒しとくわよ。ほら、武器をしっかり握っておきなさい」


 人影をぼーっと眺めていたら、レイアに怒られたので言われたとおりにした。まあ、いきなり武器を抜いたら相手も警戒するから手を添えるだけなんだけど。

 ……そもそも、武器の使い方なんてわかんないから、戦えるかどうかもわからない。もしかしたら身を守れるかもな、というくらいなんだから。


 人影はぐんぐん近づいてくる。早い。……早すぎる。

 あっという間にすぐそこまで来ていて、わたしたちにも姿が見えた。――学園長だった。

 彼女もわたしたちに気がついたようで、わたしたちの方を指さして何か呟くと、突然、わたしたちの目の前に現れた。


 わたしたちは驚いて声を出したが、それを遮るように学園長が抱きしめてきた。


「メナちゃんっ! レイアちゃんっ! ……よかった。よかったぁ……」


 いきなり本物の魔法を見せつけられて呆気にとられているわたしたちを尻目に、学園長は涙ぐんで「きみたちになにかあったらどうしようかと……」と言ってから、「さっそく検診するよ。動かないでね」と言ってなにかしらの魔法をかけてきて、「ふむふむ……そうか……」なんて言っている。

 わたしたちは置いてけぼりだった。なにしてんの?

 耐えかねたメナがついに口を開いた。


「あ、あの、学園長様……」

「あ、ごめんね。アレを喰らって生きているなんて不思議だったからさ……いろいろ調べさせてもらったよ。まだ少し吐き気と頭痛は残るだろうけど、もう大丈夫。魔物に変わることは無い」


 よくわからないけど、ひとまず助かったらしい。それを聞いて、わたしは身体から力が抜けるのがわかった。

 どすん、と土埃を立てながら地面に崩れてしまった。 


「よ、よかったあ」

「ちょっと、レイア……って、あら、あらら?」


 わたしを立ち上がらせようとして、わたしの腕を引こうとしたメナは、そのまま転ぶように倒れてしまった。怪我はないようで、でも、起き上がれないみたいだった。


「……よく生き残ったよ、本当にさ。安心して力が抜けちゃったんだろう。後は私に任せてくれ。とりあえず、きみたちをアカデメイアまで連れてくよ。ほら、お手を拝借」


 学園長はわたしたちに手の平を見せるように促した。言われるがままにそうすると――


「さあ行くよ。アカデメイアに向けて――『転移』」


 一言呟くのと同時に、わたしたちは手の平を叩かれた。


 一瞬、白い光に包まれたような気がして、気がつくとアカデメイアの庭にいた。


「おおい! 手助け! 人手! 生き残りだ!」


 学園長がなにやら呼びかけると、三棟の建物からぞろぞろと人が出てきた。何人か見た事がある人もいる。……そのほとんどが有名な学者様だった。


「メナちゃん、レイアちゃん。詳しく話すのは後だ。まずきみたちは元気になること。わかったね?」

「でも……」

「でもじゃない。ロゴスはあれより酷くならないから。気になることがあるなら、元気になってからだ。ああ、きみ、彼女らは多感な少女だ。悲劇を経験したばかりのね。くれぐれも丁重に扱えよ」


 学園長は次々と指示を出していた。この一瞬で全ての段取りを決めたのか、何事も滞りない。それもすごいんだけど、その指示を完璧にこなす学者様たちもすごい。

 アカデメイアの名が色々な都市ポリスに轟くのも納得する。

 布に乗せられて運ばれているわたしたちの隣を歩きながら、学園長が言った。


「いろいろあっただろう。感情が渦巻いているだろう。でもね、二人とも。今はただ、『おやすみ』」


 言い終わると、暖かくてふわふわしたなにかに包まれるような感覚がして、わたしの意識は急に遠のいていった。

 でも、不快だったり嫌だったりする感覚ではなくて――深い眠りに沈みそうなその予感に、身を委ねることにした。



 清潔で、いい匂いがする部屋だった。

 寝床にはさらさらの布が使われていて、すごくさわり心地が良い。彫刻の女神が着ている服みたいだ。

 朝日が差し込んだから、目を覚ました。メナもちょうどわたしと同じくらいに目が覚めたようで、横になりながら、一緒に向き合っている。


「おはよ、メナ」

「おはよう、レイア。よく眠れた?」

「うん。ぐっすりだよ」


 でも、まだ身体は重い。吐き気と頭痛はすっかりなくなったが、身体がだるい。あと、お腹が減った。

 そろそろ起き上がろうかな、とか考えていたら、わたしたちが寝かされているこの部屋――たぶん療養室の扉が開いた。


「おはよう! 今日はいい天気になりそうだよ。気分はどうだい?」


 学園長だった。


「おはようございます、学園長様。少しだけ、身体が重いです」

「そうか。レイアちゃんはどうだい?」

「メナと一緒かな。あ、あと、お腹がすいた」

「そうか、そうか。腹が減るのは元気が出てくる前兆だよ。……それに、君たちは三日も寝ていたからね、腹が減るのも当然さ」


 三日も?

 わたしは驚いて、メナの方を向いた。……メナも同じく驚いて、わたしの方を向いていた。

 視線が交わって、すこしおかしくて、ふたりして吹き出した。


「おやおや、仲良しだねえ……。いつでも食堂においで。この部屋を出たら左、突き当りの大きい扉だ」


 わたしたちに食堂の場所を教えると、学園長は療養室を出ていってしまった。

 いろいろと聞きたいことはあるんだけど、まだそのつもりはないみたい。

 あまり待たせるのも申し訳ないので、すぐに着替えて食堂に行くことにした。


 これまた磨かれた大理石で出来ていた廊下を歩くと、足音が響いた。神殿みたいな内装で、荘厳な雰囲気がある。

 でも、食堂の扉を開いたら話は別だ。オリーブの香り、香草の香り、上手に焼かれた肉の香り。

 どれも食欲を引き立たせて、お腹が鳴ってしまった。


「お、来たか。ほら、きみたちにごちそうだ。ああ、腹が減っているからって一気に食べるんじゃないぞ。お腹が驚いちゃうからね。ゆっくり、よく噛んで、たっぷり水を飲むんだ。時間はたくさんあるのだから……」

「なにからなにまで、ありがとうございます。学園長様……ほら、レイアも」

「ありがとうございます」

「気にしないでおくれ。それと、学園長なんて呼ばなくていい。良くも悪くも、きみたちはもう学園アカデメイアの一員なのだから」

「では、なんと呼べば……?」


 そういえば、学園長の名前を聞いたことがなかった。

 ずっと「学園長」としか呼んだことがなかったから、その名前を知る必要がなかったのだ。たまにしか会わない間柄だったからね。


「アルカナ、って呼んでほしい。私の名前さ」


 学園長――アルカナがそう名乗ると、すとん、と不思議とすごくしっくり来た。人の名前だから、そんなものなのかもしれないけど。まるで昔から知っていたかのように、すぐに覚えることが出来た。


「アルカナ様。……素敵なお名前ですね。異国情緒に溢れていて、魅力的です」

「ふふ、ありがとう。お察しのとおり、私はこの辺りの出身ではないからね。なにか、おかしなことをしてしまったら直ぐに教えてくれ」

「わかった、アルカナ。これからよろしくね」

「ああ、レイアちゃん。メナちゃんもよろしくね……っと、もう空腹が我慢出来ないだろう。さあ、好きなだけ食べてくれ。終わったら、私の執務室まで来てくれ。場所は、聞けば誰でも教えてくれるよ」


 それだけ伝え終わると、アルカナはまたどこかに行ってしまった。どうせわたしたちと話すならずっと近くにいればいいのに。忙しい人みたいだ。

 ……それはそれとして、今はご飯だ、メシだ。目の前には、机を覆い隠さんばかりに沢山の料理が並んでいる。

 魚料理、肉料理。果物もあれば、甘く味付けされた穀物粥も。


「……すっごいごちそうだね」


 溢れ出るよだれをなんとか口内に抑えながら、わたしはメナにつぶやいた。


「遠慮しないわよ。こういう時は、食べ尽くすくらいの方が礼儀正しいのよ」


 メナは髪を後ろにまとめて、本気の眼をしていた。捕食者の眼だ。食い尽くすつもりらしい。


 椅子に座ると同時に、わたしたちの戦いは始まった。

 十六歳はとにかくものを沢山食べる時期だって、アンドロスが言っていた。

 つまり、わたしたちにかかればこの程度なんてことないのだ。


 ……そしてわたしたちは、傲慢を思い知ることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る