復讐で咲く百合は徒花

むあのむあむあ

序章

1.掴んだ幸せ

「えぇ……? アレ欲しいの? 言っちゃ悪いけど、たぶん偽物だよ?」


 わたしは、目の前の女の人――学園長にそう言った。一応売り物として置いてある「魔法の杖」を買おうとしているのだ。それも、相当な高値なのに根切りもせず。

 商店に恩義はあっても大した商売根性を持たないわたしは、ここ数年はずっと置物状態だったその杖を買おうとする学園長を信じられないような気持ちで見つめてしまった。

 まあ、大事な客にそんな目線を向けたら怒られるのが当たり前で――


「こら、レイア。学園長様になんてこと言うのよ」


 わたしの大事な人であり、愛すべき人であるメナは、綺麗な金髪をふりふりと揺らしながらかわいらしく叱ってきた。

 商店の名前が描かれた茶色のエプロンを身に付けていて、下に着ている白い普段着とのその対比は、そこまで特別なものでもないのにわたしの目には世界で一番かわいい人に見えた。


「でもさ、メナだってわかってるでしょ? これ絶対にせも――」

「真贋はどうでもいいのよ。私は、学園長様の審美眼を信じるわ。ね、学園長様。レイアはこう言っていますが、きっと、おそらく……たぶん。本物です。魔法の杖ですよ。少しお高いですが、貴女に買ってもらえたらこの杖も幸せでしょう」

「はは……ありがとうね、レイアちゃんも、メナちゃんも。いや、久しぶりにこの店に来てみたが、きみたちも随分と大きくなったねえ。まさか店番をやっているなんて。ところで、アンドロスは元気かい?」


 学園長は昔を思い出すように目を細めて、わたしたちのことを見つめてきた。きっと、昔のわたしたちと比べているのだと思う。

 学園長はこの都市ポリス、ロゴスの郊外にある学園アカデメイアという施設の長をしている。いわゆる学者様で、自然科学やら、美術やら、わたしにはあまり想像もつかないようなことを色々としているらしい。むずかしいね。

 そんな学園長だが、メナの親であり、この商店の主であるアンドロスさんとは昔からの付き合いがあるという。とはいっても、あくまで商品を融通する関係が長いだけのようで、わたしたちが憧れるようなかっこいい関係ではない。ちなみに、アンドロスさんはロゴスで一人働くわたしの保護者でもある。実質義父だね。つまり、実質メナとは結婚しているようなものなのだ。


 そんなこんなで昔から付き合いのある学園長とアンドロスさんだけど、その関係でわたしたちも昔から学園長と付き合いがある。わたしにはいないからわからないけれど、親戚の叔母さんというのがいたら、こんな感じなのだろう。

 あんまり会わないけど、たまに会うと仲良くお話したり、最近あった出来事を話したりする。そんな関係だ。


「お父さんですか? そうですね、元気ですよ。なんでも、さらにお店を大きくするらしくって」

「へえ! あの金がなくて死にかけていたアンドロスがなあ。感慨深いね。……っと、そろそろ行かなくちゃ。今はまとまったお金がないから難しいけど、次来る時に持ってくるからさ。その杖、置いといてくれる?」

「そんなことしなくても、誰も買わないよ」

「ちょっと、レイア! ……わかりました、倉庫の方に置いておきますので、次いらっしゃた時にお伝え下さいね」

「ふふ、うん、よろしくね。それじゃ、レイアちゃん、メナちゃん、元気で過ごすんだよ」


 学園長は私たちに別れを告げると、店の外で待たせていた馬車に乗ってどこかへ行ってしまった。

 馬車には豪奢な装飾がされていて、まるで神殿の偉い人のような装いだった。

 学園長を見送りながら空を見上げると、いつの間にか紅色に染まっていた。もうすぐ日が落ちて夜になる。そろそろ店じまいの時間だ。


「あら、もうこんな時間なのね」

「ね、忙しいとあっという間だよ」

「それじゃ、お店の片付けしましょうか」

「めんどくさいな……っと、睨まないでよ。真面目にやるって」


 仕事は、やる前は本当に嫌なのに、やっている時はたのしい。不思議なものだ。それと同じように、やっている時はたのしいけど、終わったあとの片付けは本当に面倒くさい。不思議なものだね。

 でも、メナと一緒なら話は別。もちろん、面倒くさい気持ちは変わらないけれど。

 隣に大事な人がいるだけで、その時間は大事な思い出を作る大切な時間に変わってくれる。


 メナに急かされながら、私は片付けを行っていた。お店の戸締まりをして、安いものとか大きいものは店頭に置いたままで、高いものとか戸棚に仕舞える小さいものとかは、お店の奥の倉庫へ持っていく。

 学園長に頼まれた魔法の杖も倉庫に持っていく。骨董品市でアンドロスさんが格安で買ったものらしくて、今まではずっと店頭に置かれていたから、倉庫に持っていくのは今回が初めてだった。


「それにしても、魔法の杖ねえ」


 わたしの身長よりすこし小さいくらいの、大きな杖。古い木材で作られていて上品な雰囲気を持つその杖。真贋は別として、その見た目はわたしも好きだった。これを持って戦争に行ったら、英雄みたいな活躍ができそうだ。


「どうしたの、レイア?」

「いやね、学園長が買うって言うからもしかしたら本物なのかな……って」

「どうかしらね。魔法を使える人そのものが滅多に居ないから、その杖が本物かどうかもわからないのよね」

「そういえば学園長は使えるんだっけ? 羨ましいなあ」


 古代の遺物として、魔法の杖だったり、魔法の本だったり、そういったものが出回るのは珍しくない。魔法が使えるようになるとかいう売り文句で、たまに騙された人が高値で買ったりする。

 本当に魔法を使える人は、数えるほどしかいない。学園長はその一人だ。学園長という役職よりも、『本物』の魔法の道具を集めて、その効果を確かめたりするお仕事が本当の仕事らしい。いわゆる『魔法使い』だった。

 と、まあ、魔法使いなんてめったに居ない。だから、適当にそれっぽく作った偽物の魔法の道具は世の中にたくさんある。だから、この魔法の杖も、同じような偽物だと思っていた。


「でも、そうね。あの学園長様が大金を払って買うのだから……本当に、本物かもしれないわね」


 メナは、手を顎に当てながらそんな事を言った。

 ……ちょっと、試したくなってきたな。


「……ね、本物だったらさ、わたしたちも魔法使えるのかな?」

「………………売り物で遊んじゃいけないって、私、もう何回も言ったわよね?」


 うぐ……。

 メナの鋭い眼光が私に突き刺さる。これは、今度こそは本気で怒られるやつだ。

 ……諦めるしかない。


「わかったよ、わかったよ。だから怒らないでってば」

「怒ってないわよ」

「それって怒ってる人が言う言葉じゃん……」


 メナの視線に突き刺されながら、わたしは大人しく杖を倉庫にしまった。暗くて、少し広めの倉庫に杖を置くと、からん、と乾いた音が響いた。その音すらもどことなく上品で、本当に魔法の杖なのかもしれない。


 お店の片付けが終わったら夕飯とお風呂、それからようやく自由時間だ。まあ、油ももったいないからあまり夜ふかしはしないけど。

 ともあれ、今は夕飯だ。今日は狩人の人が持ってきてくれた鳥を煮込んだスープらしい。香草とオリーブも一緒に煮込んであって、鳥の臭みが上手に取られている。


「そういえば、学園長が来たんだってな。俺になんか言ってたか?」


 アンドロスさんが口を開いた。夕飯の時間は貴重な家族で過ごす時間だから、こんな風にいろいろとお話することが多い。真面目な話は滅多にしないけど。


「そうね、お父さんは元気かしら? って聞いてたわよ」

「なんだ、あの人、顔を見せてくれればよかったのに。レイアちゃんはなんか言われたか?」

「いえ、特には。いつも通りの不思議な方でしたよ……あ、でも、あの杖を取り置いてくれと頼まれたので、倉庫に移しておきました」

「ああ、アレか……。大金を得て浮かれたヤツにでも売れればよかったから、適当に置いておいたんだが……学園長が買うのか、そうか」


 わたしの報告を聞いて、アンドロスさんは顎に手を当てて考え事を始めてしまった。「もっと高くしとけばよかったか」とか「まさか本物とは……」とか、いろいろ呟いている。

 でもすぐに元に戻って、わたしたちに伝えたいことがあると言ってきた。


「なにかしら?」

「うーん、わたし、最近はなにもしてませんよ」

「メナ、それにレイアちゃん。俺が少し前に商店を大きくしたいって話したのは覚えているか?」

「はい。学園長ともその事を話しました」

「そうか。それなら丁度いいな。お前たち二人に、新しく作る店の主になって欲しいんだ」


 アンドロスさんの発した衝撃的な言葉に、わたしとメナは同時に固まった。

 ……わたしたちが、商店の主に?

 嬉しさよりも、唐突な出来事への驚きの方が勝ってしまう。

 わたしよりも先に正気に戻ったのはメナで――


「な、なんでかしら。もちろん、その決定が嫌なわけじゃないわ。でも、私たちに任せるなんて」

「まあな。何事も経験だ。責任と失敗から学べることは沢山ある。お前らには、それを学んで欲しい」


 責任。失敗。わたしの嫌いな言葉だった。

 でも、メナが一緒ならなんとかがんばれる……たぶん。


「レイアちゃん、良いか?」

「……レイア。もう遊んでられなくなるわよ。いいかしら?」


 ふたりの視線がわたしに集中する。

 その身一つで自身の商店を歴史あるロゴスでも有数の商店にまで育て上げた敏腕と、その娘の視線だ。薔薇の棘のように、じわりじわりとわたしを突き刺す。


 でも、その程度何ともない。わたしの気持ちはただ一つ。

 つまり――


「メナが一緒ならがんばれるよ。……任せて」


 一緒なら、どんなことにも立ち向かえるんだ。



 それから少しして。

 わたしは家具を新しいお家へと運んでいた。お家兼お店なので、結構大きい。

 学園長に手紙を出して、わたしたちのお店の最初の客になってもらう事にした。最初の客を、知り合いでいちばん凄い人にすると商売繁盛するというおまじないだ。


 馬車に積み込まれたたくさんの家具の最後の一つを汗だくになりながら家の中へと運び込んだ。陶器の壺だから、慎重になる必要もあってすごく疲れた。

 黒い髪が汗で首に張り付く。気持ちわるい。


「つかれたあ」


 家具は置かれているけど、まだ馴染んでいないわたしたちの部屋。汗を少し拭って、身体が求めるままに寝床へ横になった。

 ずしーん、と身体が重くなる。このまま眠ってしまえたら気持ちよさそう。

 重くなっていく瞼をそのままに、意識を微睡みに委ねていく――


「レイア。まだ続きがあるわよ」


 メナに起こされた。

 わたしと同じか、それ以上は動いているのにメナはまだまだ元気だ。わたしより背も低くて、身体も細いのにどこからそんなに力が湧いてるのか不思議でならない。


「んえぇ……。つかれたよお」

「んもう。それは私だって同じよ。ほら、次は学園長様専用に店頭の品揃えをするわよ。あの人が好きそうな物を沢山揃えたんだから。明日には来るんだから、今やらないと夜中までやる事になるわよ」

「夜中まで……やだね」

「でしょ? ……それに、私たちの時間も必要よ、夜は」


 段々と小さくなっていくメナのその声で、わたしも頬が赤くなった……気がした。ともかく、メナの顔を直視することは出来なかった。

 ……夜が楽しみだね。


 そこからは、メナに言われるがままに働き始めた。ものを運んで、並べて、学園長ならあれが好きだ、いやこっちの方が好きだ……いろいろ話し合いながらより良い方向へとお店の形を整えていく。

 こんな風な労働を忌避する人は結構多い。まあ、仕方ないのだけれどもね。本当ならわたしたちみたいな市民ならこういう事をする必要は無い。でもやっぱり、いくら面倒くさくても実際に体を動かし始めるとたのしい。

 お店にやって来る人のことを考えて、お店に来た人といろいろお話をして、わたしの世界が広がっていくのを感じられる……みたいな。


 メナと一緒にずっとこのまま幸せに過ごせたらいいな、なんて。妄想してたら、ほとんど終わっていた。


「よしっ。お疲れ様、レイア」


 メナに頭をぽんぽんと叩かれる。

 わたしの首あたりまでの身長だから、少し背伸びしてることに気がついた。かわいい。


「ふふふっ。メナもね。……つかれたあ」


 外は既に暗くなっていた。少しだけ持ってきていた油を大事に燃やしながら、灯りが部屋を照らしていた。

 夜のご飯は一応持ってきていた保存食。もう少し早く終わったらご飯を作れたのだけれど、もう家の中は真っ暗だから今から料理は少し危ない。


「まさか初日は干し肉になるなんて……」

「ちょっと品物揃えすぎちゃったね」

「浮かれすぎかしら」

「そんな事ないよ。だって、やっと、二人きりの生活だもん」


 暖かい炎の光に照らされたメナの横顔は、いつもより美しく見えた。

 どんな苦労でも、この顔が眺められるなら乗り越えられる。……まあ、このくらいの苦労は、そんな大変なことでもないから言い過ぎか。


 そして、わたしたちは寝床に向かった。

 大きなものが一つだけ。枕はふたつ。

 つまり、そういうこと。


「……なんか、ドキドキするね」


 心臓の鼓動を強引に押さえつけて、メナの方をちらりと見てみると、メナも同じようにわたしの事を見ていて目が合ってしまった。どちらともなくくすりと笑った。

 そのお陰で緊張がほぐれて、いつも通りのわたしたちに戻った。


「でも、ようやくね。お父さんにはなんて言おうかしら?」

「……え、言っちゃうの?」

「嫌なの? 私は、レイア以外と一緒になるつもりなんてないわよ」

「……ふふふ。そうだね、アンドロスさんにも言っておこうか」


 いじらしいメナがかわいくて、抱きしめたくて、手を広げた。

 わたしの胸に飛び込んできたメナを抱きしめて、深く息を吸った。

 メナの香りがする。大好きな匂い。わたしの太陽。わたしの全て。


 たくさん抱きしめて、たくさん触れ合って、仕切り直しで一度体を離す。

 メナの瞳がわたしを見つめる。それに気付いているということは、わたしもメナを見つめているということで、秋の枯葉のように静かで落ち着いた色のメナの瞳に、熱情を孕んだわたしが映っていた。恥ずかしかった。


 目を瞑った。暗闇に包まれる。

 吐息が感じられる。目の前、愛する人。


 唇が近づいて、ようやく触れ合いそうで――




 その瞬間だった。

 警鐘が鳴り響いた。

 都市の衛兵が自身の命を顧みずに数多の命を救うための、決死の叫び声だ。


 竜が来るぞ――


 外から、誰かの大声が聞こえた。

 それと同時に、透明の波がわたしたちを襲う。

 押し潰されるような、吸い込まれるような。不思議で不快な、透明の波。

 気持ち悪くて、お腹の中身を全部吐き出してしまうと、頭の中が焼かれるような、刃物で切り刻まれているような頭痛がやって来た。

 痛さがひどくて、どうにかしたくて、頭を掻きむしった。爪が真っ赤に飾られた。


 薄れゆく意識をなんとか保ちながら、メナのことを見た。

 わたしと同じで、ただ苦しんでいた。

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