帰れない 1

 ふたりの乗る車が村の中心部を通る頃には辺りは完全に陽が落ちていた。


 田舎空には星などひとつも見えず、車のヘッドライトと点滅する街灯、そして不気味にも明るく光る村の建物だけが周囲を照らす。


 「この村、人が住んでるんだね」


 翔が無言の車内の空気を壊すように呟く。


 その言葉には非現実な世界から抜け出したのどうかを確認する意味合いも含まれていた。


 「人だといいな」


 豊は翔にそう返した。


 その言葉は翔を励まそうとするものであり、豊は未だ脳裏にこびりつく先ほどの怪異の影を恐れていた。


 街灯に照らされる桜はやはり錆びついた色であり、散る桜の花びらはじっとりと落ち、血が滴るようにさえ感じられるほど不気味に見えた。


 「あそこに人がいるよ」


 翔が指を指す桜の木の陰からぬうっと人影が現れる。


 警察官の服装をしているが、車で近寄るにつれて異界のものの動きだということが分かった。


 その動きは前方の筋肉のみで脱力した身体を無理やり引っ張るようであり、人間の身体の使い方を知らないモノが無理矢理に身体を動かしているように見える。


 ぬらりぬらりと歩くソレは車道にまで到達し、豊はソレにぶつからないように反対車線まで大回りしてその脇を通る。


 豊はソレに目もくれずに走り去りたかったが、翔はソレがもし本当に警察官であったならどんなに気持ちが楽になるだろうという思いで恐る恐る警官の顔を車内から覗き込んだ。





 翔と警察の目が合う。





 ドチャッ。


 翔と目が合ったソレは急に加速し、車の側面にこびりついた。


 ニタついた表情はその気持ちの悪さをさらに助長し、滑らかな車のボディーに腕力だけで張り付く力は怪異の力の強さを示していた。


 翔は身を退け反って距離を保ち、豊は振り払おうと車をゆする。


 そのソレは豊の抵抗をものともせず這うようにフロントガラスまで来るとふたりの顔を覗き込む。


 人間の皮を被ってはいるが、黒目が際立ち頬が妙にこけている様子は明らかに人間ではなかった。


 豊は視界が塞がれて危険を感じ、急ブレーキをかける。


 するとソレは慣性で吹き飛んだ。


 受け身を取らなかったソレは体を強く地面に打ち付け、のたうち回る。


 そして、「キヒヒヒヒ。キーン。」と、男の声帯から出るとは思えないような声をあげる。


 その声の表すものは痛みによる苦しみなのか、吹き飛ばしたことに対する怒りなのか、はたまた目を丸くして見ているふたりを笑っているだけなのか分からないものであり、異常なまでに響くその声を脳内で処理できないふたりは、ただただそれを見つめることしかできなかった。


 思考停止するふたりの視界の端に、何か蠢くものが見える。


 豊は反射的ににアクセルを踏み込むと、立ちかけの警察をドンと轢き倒した。


 おそらくその声が仲間を呼んだのだろう。


 桜の影からゾロゾロと怪異が車に向かってきて、少しでもタイミングが遅れたらたちまちに囲まれて助かりはしなかっただろう。


 引き倒したソレのその後を確認することなく、車は村を抜けようと加速する。


 「父さん…」


 翔はソレを轢いた光景が脳裏にこびりつき、ソレと車がぶつかった時の減速を身体で何度も味わった。


 翔は吐き気と悪寒に襲われる。


  「あれは人じゃない。忘れろ」


 豊は現実的な判断だったと翔と自分に言い聞かせるように強く言い、ハンドルを力強く握る。


 車はさらに加速すると、まばらに見える人影を今度は目もくれずに通り過ぎた。

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