第10話 何でそうなる!?

 私はミナ。

 フルネームはもっと長いんですけど、それはここで出す必要はありませんし、この先出すことも無いでしょう。

 何しろ、仕える家の子供を城から連れ出した挙句、自殺の手伝いまでしたのですから。

 けど後悔はしてません。それはこの世界の平和と人類の幸福のためだそうですし、あと私の趣味もありますけど、そのくらいの役得はあっても良いと思いますよ。




 私と冒険者パーティー『灰色の鴉』の皆さんは、地下深くに建造された暗黒神の大神殿を、地上に向かって上がっていました。

「ほら、もっと急いで下さい」

 私は『灰色の鴉』の皆さんに急かしますが、

「何をそんなに急いでいるんだ?」

 リーダーのフィデリオさんがそう尋ねてきますし、他の人達も訝し気に私の方を見ています。

「それにヴィルマー様とナリシアだって、まだ下にいるんだぞ」

 ジーモンさんも続いて言ってきます。

「あのお二人は良いんです。とにかく早くしないと──」

 そう言いかけた所で、辺りが小刻みに揺れ出します。

「何だ? 地震か!?」

 ウルズラさんが周りを見回し、他の人達と一緒に警戒態勢に入ります。

「早く出ましょう! 大神殿が崩れ始めたようです!」

 私が言うと、『灰色の鴉』の皆さんは『何でそんなことが分かるのか』と言いたげでしたが、時間の経過とともに揺れがどんどん大きくなっていくのを見て、頷き合うと出口に向かって駆け出しまして、私も全力で後を追います。

 私達は揺れ続ける大神殿の通路を大急ぎで戻り、長い階段を上がると、地上からの光が差し込む出口が見えてきます。

「ち、地上だ、出られた──」

 出口を抜けて、私達の足が地上の土を踏んでいるのを確かめると、荒い息を吐きながらペーターさんが地面に倒れ込み、他の皆さんと私も地面に崩れ落ちます。

 それを合図のように、地面の揺れは立ち上がる事もできない程に激しくなり、辺り一面に轟音や、木が倒れる音などが鳴り響きますが、私達は身を低くして堪えているのが精一杯で、とても周りを見ている余裕なんてありません。

 そのうちに揺れと轟音は一層激しくなったと思うと、近くの地面が沈み込んでいきます。

「ここも危ない! 早く離れるぞ!」

 フィデリオさんの指示で、私を含めて皆が一斉に走り出すと、数秒前まで私達がへたり込んでいた場所も陥没して、下へと崩れ落ちます。私達は陥没に追いつかれまいと、揺れに足を取られそうになりながらも夢中で走り、おかげで揺れが収まった時、全員が無事に立っていました。

「こんなの普通の地震じゃないだろ。一体何をやったんだ!?」

 そうジーモンさんが迫ってきますが、私は敢えてスルーして、逃げた道を戻ります。

「おい、また揺れるかも知れないんだぞ」

 フィデリオさんが止めようとしますが、大事な事ですから、この目でちゃんと確認しなくてはいけません。

「わぁ……」

 そこに広がっていたのは、地下にあった暗黒神の大神殿が破壊された事で生じた、巨大な地面の陥没でした。




「ヴィルマー様──遂に、本懐を遂げられたのですね……」

 胸に湧き上がる感慨が、思わず口から洩れてしまいます。

「はあ!? これを、ヴィルマー様がやったって言うのかい!?」

 ウルズラさんが間抜けな声を上げます。

「はい。ヴィルマー様が暗黒神の神殿を破壊して、あのダークエルフ諸共自殺をされたのです!」

「「自殺!?」」

「そうです。神体兵器の核は破壊され、大陸に破壊と殺戮を撒き散らす者達は地の底深くで土砂と瓦礫の下敷きになって、世界の平和は守られたのです!」

「何言ってんだよ? 神体兵器の核をブッ壊したのは分かるけど、何でヴィルマー様が死ぬ必要があるんだよ!?」

 全然分かんねーよ、とジーモンさんが頭を掻きむしります。

「ヴィルマー様はおっしゃってました。自分は死ななくてはいけない人間なんだ、と」

「それは闇魔法のスキル適性の事を言ってるのか? いくら聖教会でも、精霊の加護を授かった上に、神体兵器が復活するのを阻止する功績まで上げた者を廃嫡して修道院に押し込むなんてしたら、ノルドベルク公爵家はもちろん、公爵家麾下の軍閥や、下手をしたら別の派閥に属する貴族や王家だって黙ってないだろう!?」

 フィデリオさんも、理解できないという様子で言ってきます。

「それもヴィルマー様はおっしゃってました。何故そんな事で自分が死ななくて良いのか分からない、と」

「ヴィルマー様の頭の方が分からないよ! あんたも、自分の主人が死んで平気なのか!?」

 ジーモンさんは頭を抱え、『灰色の鴉』の他の皆さんも頷きます。

「私、生きてる人間よりも死体の方がずっと好きなんです! ですから自殺を手伝う代わりに死体を頂けると持ちかけられたら、断る理由なんて無いじゃないですか!」

「それが目当てなのか!? ヴィルマー様も大概だけど、あんたもまともじゃないよ!」

「人を異常者扱いしないで下さい! 私はまともな人間です! ただちょっと死体が好きなだけで! それよりもまだヴィルマー様が生きている可能性がありますから、あと三日間待ってヴィルマー様と、あとナリシアさんの死体を回収して、王都へ行きましょう。あ、お二人の死体を探す時は、またジーモンさんの魔法でお願いしますね」

 災害救助で七十二時間──三日間を過ぎると致死率が跳ね上がると言いますから、確実を期するためとはいえもどかしいですね。でも、ヴィルマー様に加えて、ダークエルフの死体までコレクションできるなんて──ファンタジーの世界に転生して良かったと、改めて思います。

「もう良いだろうジーモン。趣味は人それぞれだから、是非についての論争なんて時間の無駄だ」

「でも、フィデリオさん!」

 フィデリオさんが間に割って入ります。

「だが私達が受けた仕事は、ヴィルマー様とあなたがアーヴマンの大神殿へ行くための護衛であって、自殺の手伝いなんかじゃない。最悪の場合、私達が貴族殺しで捕まる危険があるのを分かっているのか?」

 これまでに無く鋭い視線でフィデリオさんが睨みつけて来ます。

「そこはご心配なく。お城を出る前にちゃんとヴィルマー様が遺書を書き残してあります。闇魔法のスキル適性持ちとして公爵家の家名をけがして生きる事に耐えられないので自殺する、闇魔法のスキル適性持ちの血で公爵家代々の城を汚すのも耐えられないから外で死ぬ、私も一緒に行って、護衛も雇うけれど私達は関係ないという旨を、私の指導の下でしっかりしたためてありますから、ご迷惑はおかけしません。むしろ闇魔法のスキル適性持ちを死なせるのに貢献したという事で、聖教会からお褒めの言葉を頂けるかも知れませんよ」

 その辺りはちゃんと準備をしてありますとも。

「……百歩譲って法的にはそれで何とかなるとしても、公爵家がそれで納得すると思うか? おまけにアーヴマンの大神殿をこんなに派手に壊したとダークエルフ達に知られたら──」

 そう言いかけた所で、フィデリオさんが不意に後ろを振り向いて剣を抜き打ちで一閃すると、真っ二つに斬られた矢が足元に落ちました。

「この矢は──ダークエルフか!?」

 フィデリオさんの言葉に周りを見回すと、周辺の木々の枝からダークエルフ達が弓に矢をつがえて構えているのが見えます。

「しまった──さっきの揺れと轟音で集まって来たか!?」

 フィデリオさんに続いて、『灰色の鴉』の皆さんも急いで身構えて円陣を組みます。

「ミナさん、さっきの火薬は残っていないか?」

「すみません、地下でヴィルマー様にお渡ししたので全部です」

 円陣の中へ入る私に、フィデリオさんが肩越しに小声で尋ねてきますが、私の答えに「むぅ」と唸ります。

「ダークエルフと言えば弓の名手で魔法も使えて、おまけに暗殺も得意だって言うじゃないか。それがこれだけ数がいたら、あたし達でもどれだけ粘れるか……」

 ウルズラさんが悲観的な事を言ってきますが、他の人達は言い返して来ません。

「待って、馬が走って来る音が聞こえる。それも沢山──」

 ペーターさんが言ってくるので耳を澄ませると、沢山の馬蹄ばていの音が近付いてくるのが聞こえまして、ダークエルフ達も気付いたらしく、周り中がざわめいています。そうしているうちに馬蹄の音は次第に大きくなり──

「いたぞ、ミナだ! ──って、ダークエルフ!?」

 武装した騎兵の集団が、木々を抜けて現れます。彼らが持っている旗に描かれた紋章は──

「ノルドベルク公爵家! 騎士団がこんなに早く追い付いて来たんですか!?」

「騎兵の精鋭だけで輜重部隊を連れずに、途中の村や町で補給をしながら強行軍で追い掛けて来たようだな」

 そう答えるフィデリオさんの口調に、僅かながら安堵の色が混ざっているようです。

「ミナだけか! ヴィルマーはどこにいる!?」

 自身も完全武装した公爵様が、馬上から声を上げますが、私の側にヴィルマー様がいないのを見て、眉間の皺を深くします。

「はい! ヴィルマー様は暗黒神の大神殿を破壊して、ご自身も大神殿諸共御命を絶たれました!」

 地面の巨大な陥没を示しながら私が答えると、公爵様は頭上を仰いで言葉にならない叫びを上げます。

「まあまあ公爵様、暗黒神の大神殿を見付けて壊すなんて、ノルドベルク家の家祖様以来の偉業じゃないの。これでもう、大司教や聖教会の他の神官連中も、ヴィルマーちゃんを廃嫡だの去勢だのとは言えないわよ」

 後ろから修道士──クレメンス様が馬でトコトコと近付いて、公爵様に声を掛けます。

「それで死んでしまっては、何もならないだろうが!」

 公爵様が声を荒げ、クレメンス様が「いや~ん、怖~い」とおどけた反応を見せている所に、ダークエルフ達の矢が飛んで来ます。

「人族どもめ、アーヴマン様をどこまで邪神扱いすれば気が済む!」

「ノルドベルク公爵まで現れるとは好都合だ! 全員纏めて殺せ!!」

「ほざくな! 返り討ちにしてくれる!」

「総員構え! ダークエルフ共を倒せ!」

 公爵様の号令で、『灰色の鴉』、ノルドベルク家の騎士団とダークエルフ達との戦いが始まると、私を含めてこの場の全員が思ったその時──


「うわっ!」

 再び地面が激しく揺れ出して、立っていられなくなった私は地べたに倒れ込みます。

 ダークエルフ達も木の枝から落ちたり、慌てて飛び降りますし、騎士団の人達も揺れに驚いて棹立さおだちになる馬を必死で抑えたりするので精一杯のようです。

「何だ!? またどこかが崩れるのか?」

 いち早く馬から下りた公爵様が、激しい揺れにも慌てず周りを見回します。

 すると、ダークエルフ達が囲んでいるちょうど真ん中、私達の前の地面が盛り上がって、あっという間に私達の背丈の倍くらいの大きさの小山になって、揺れが止みます。

「「な、何だ!?」」

 私と『灰色の鴉』の皆さんはもちろん、騎士団とダークエルフ達も戦いの手を止めて、いきなり現れた小山を注視していると、小山の上の辺りで穴が二つ並んで開いて、その二つの穴の中間から少し下の所にもう一つ、さらにその下、地面に近い所で横長の穴が開きます。

 そうして小山がまるで目と鼻、そして口の配置で穴が開いて大きな顔のようになると、口に当たる穴が上下に開いて、中から二人の人が外に吐き出されます。

「ヴィルマー!」

「ナリシアさん!?」

 公爵様が駆け寄ると、お二人はウゥッと唸りながらゆっくりと目を開けます。

「ん……御爺様……何だ夢か。まだ死んでないんだ」

 そう言って再び目を閉じるヴィルマー様を、公爵様は肩を揺すって強引に起こします。

「馬鹿者! これは夢でなく現実だし、お前は死ぬどころか死にかけてもおらん!!」

「いや、だってあんなものが現実にある訳無いじゃないですか……」

 すぐ側にある小山を指さして、ヴィルマー様は答えます。

「そう言えば、あれは何だ?」

「新手の魔物か!?」

「でもヴィルマー様と、ダークエルフを助けたんだろ?」

 困惑する騎士団と『灰色の鴉』の人達に対し、ダークエルフ達が「ハッ、無知な人族め」とせせら笑います。

 騎士団の人達が「何だとコラ!」と睨みつけますが、公爵様は手で制します。

其方そなた達は、あれが何か分かるのか?」

「あれ程の事ができるのと言えば、土の上位精霊様に決まってるだろうが」

 問いかける公爵様に、ダークエルフ達はフンと鼻で笑って答えるものだから、騎士団の人達が声こそ上げませんでしたが険しく睨みつけます。

「馬鹿な! あんなに大きな精霊がいるなんて、文献でも見た事が無いぞ!」

 騎士団に帯同していた魔術士が、異議を唱えますが、

『そこの、ダークエルフの言う通りだ──』

 小山の口から、ゆっくりとした口調で声が響いて来ます。

「「喋った!?」」

「精霊が言葉を話すなんて、聞いたことが無いぞ!」

「それほど力が強いという事か!?」

 騎士団とダークエルフ達の両方から、声が上がりますが、ひとしきり落ち着いた所で、『そろそろ良いか?』と土の精霊が言ってきます。

『儂は、土の精霊でも特に長ぁく生きとっての、力もそれ相応にある。それでずうっっと昔にダークエルフ達に捕まっての、地下に自分達の神殿を造るのに、柱や壁を強化するために縛り付けられとった──』

 私達人間とは時間の感覚が、文字通り桁違いに違う精霊さえ『ずっと昔』と言ってたのですから、あの土の精霊は相当長い年月を、アーヴマンの大神殿で呪縛されていたようですね。

『じゃが、そこの少年が宝珠を壊してくれたおかげで、こうして自由になれた。ありがとうな──』

 そう言うと、土の精霊の目の前に黄色い球形の光が現れます。

『お礼にこれをあげよう。大地に関わる事なら、これを通して儂が力を貸そう』

 光はヴィルマー様に向かって飛んでいくと、スウッと胸に吸い込まれてます。

 それを見た公爵様が、ヴィルマー様の服の前を開けると、光明神ミルスの聖印を焼印で押した胸の火傷の上に紋様が見つかって、すぐ吸い込まれるように消えていきます。それぞれ意匠の違いこそあったものの、同じものを三度も見てきたので、それが何なのかすぐに分かりました。

「またか? また精霊の加護か!?」

 公爵様が後ろを振り返ると、土の精霊は『それじゃぁの』と言って地面に沈み込んで姿を消し、後には平らになった地面が残されました。


「またか」

「またですか」

「あ、でも土、水、火、風で四元素の精霊全部の加護が揃ったんだ」

 もう四回目という事で騎士団側が落ち着いた感想を口にします。

「精霊様の加護だと? 本当に人族が!?」

「しかも四元素の精霊様全部の加護だと!?」

「そんなのダークエルフでも聞いた事がないぞ!」

 一方ダークエルフ達は対象的に大騒ぎして、ついさっきまで戦闘寸前だった事も忘れているのではと思ってしまう程です。

「だから何だと言うんだ!」

 おっと、ナリシアさんは忘れてないようでした。

「こいつは我らダークエルフの王国再建の切り札である神体兵器の核だけでなく、アーヴマン様の大神殿までも破壊したんだ! 数日掛けて苦しめた末に殺し、アーヴマン様に許しを請わねば!」

 いつの間にか手足を縛っていた縄も外し、ヴィルマー様を指さしてナリシアさんが叫びます。

「地の利はこちらにある! 神体兵器は失われたが、ノルドベルク公爵とその孫の首が手に入れば、大陸中に散らばっている同胞に号令を掛けてブロッケン王国を攻め滅ぼし、それを足掛かりに大陸を制覇する事も夢では──」

「悪いがナリシア、それはできない」

 興奮気味にまくしたてるナリシアさんですが、味方であるはずのダークエルフから否定の声が上がって、何を言ってるんだという形相で振り返ります。

「上位精霊様の加護を受けた方に、弓なんて引ける訳無いだろうが」

 ダークエルフの人が続けて言うと、他のダークエルフ達からもそうだそうだと賛同の声が上がります。

「そうか、ダークエルフはアーヴマンへの信仰と同じくらい、精霊への信仰も厚いと聞いた事がある」

 騎士団側の魔術士がハッと気付いたように言ってきます。ダークエルフを刺激するのを避けるため、暗黒神と呼ばないよう意識しているのが口調から取れます。

「大体俺達は、信仰の拠り所としてアーヴマン様の大神殿を探してきたが、神体兵器を復活させるなんて本気で考えてるのは、お前を含めてほんの一握りだぞ、ナリシア」

「しかし、神体兵器を復活できれば聖教会とミルスの信者共を皆殺しにして、大陸を我らが支配する事も夢ではないだろうが!」

「そのために大陸中の国を敵に回して戦争をしろと言うのか? それでどれだけの同胞が犠牲になると思ってるんだ?」

「確かに先祖や長老達は神体兵器を復活させて人族に復讐する事も考えてただろうが、我々は聖地であるこの森で静かに暮らせれば十分なんだ!」

「殺せ、殺すぞというのだって最近はほとんどは脅しで、滅多に殺してはいないのだって、分かってるだろう?」

「下手に殺して公爵家や王国を刺激して戦争になったら、俺達の方が滅ぼされるだろうが!」

 ナリシアさんと他のダークエルフ達とで繰り広げられる言い争いを、私や『灰色の鴉』、騎士団の人達は茫然ぼうぜんと見ています。

「これってつまり、長命なダークエルフでも、何百年と迫害を受けながら隠れて暮らしているうちに、世代交代や意見の相違とかが生まれたって事かしら?」

 クレメンス様が一言で状況をまとめて言うと、公爵様や他の人達が納得気に頷きます。

「つまり、僕が死ねば全部解決するという事だね」

 そこへヴィルマー様が進み出て言うので、私は地面に刺さっていたダークエルフの矢を引き抜いてヴィルマー様に差し出します。

「「「だから何でそうなる!?」」」

 公爵様が矢を取り上げ、公爵様や騎士団、『灰色の鴉』の人達に加えて、ダークエルフ達も同時に叫びます。

「この、自殺バカがぁぁぁっ!!」

 続けてナリシアさんの叫び声が、黒の森に響き渡りました。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 アーヴマン大神殿全壊事件


 新聖暦六一一年五月、ヴィルマー・フォン・ノルドベルクがノルドベルク公爵領内の黒の森にあったアーヴマンの大神殿を破壊した事件である。


 事の発端は、ヴィルマーが一〇歳を迎えて受けた、スキル適性を鑑定する儀式で闇魔法と出た事だった。

 ミルス聖教会の影響力が強かった当時、闇魔法は習得しているとされただけでも宗教裁判で死刑とされ、スキル適性が闇魔法と出た者は修道院に送った上で去勢されるのが通例であったため、貴族などの家では継承権を失う事に繋がった。

 時のノルドベルク公爵家の当主でヴィルマーの祖父グレゴールは、既に息子に先立たれており、唯一の直孫であるヴィルマーまでも失わずに済む方法を求め、闇魔法の対極である光魔法のスキルを習得させようとしたが、当時光魔法の修得方法はミルス聖教会において門外不出の秘伝とされていた。そのためグレゴールは苦渋の思いでヴィルマーに虐待同然の苦行を強いた。

 ヴィルマーは公爵家の城にある礼拝堂に連れて行かれ、ミルスの祭壇の前で昼も夜も、聖句や祈りの言葉を延々と唱えさせられ、少しでも間違えたり姿勢を崩せば即座に監視係の鞭が飛び、しかもその間食事も睡眠も一切禁止という状態が何日も続いたという。

 だがヴィルマーに光魔法のスキルが身に付く兆候すら見えず、業を煮やしたグレゴールは、ミルスへの信仰をより強烈に見せ付ける事で光魔法が授かるようにと、ヴィルマーの左胸に、ミルスの聖印の形をした焼印を押した。

 それまでの苦行と焼印でヴィルマーは意識を失い、それでも光魔法は身に付かず、修道院からの迎えがいつやって来るかと焦りを募らせる様子が、当時のグレゴールの日記からも見られる。


 ヴィルマーは意識を取り戻すと、侍女の手を借りて城の尖塔に登って投身自殺を図った。

 だが、ヴィルマーが尖塔から飛び降りると、風の上位精霊が現れてヴィルマーを助け、更に加護を授けた事は、後の時代に演劇やドラマなどでしばしば取り上げられている場面である事から世界的に知られている。

 当時においても精霊の加護は闇魔法のスキル適性というレッテルを打ち消すには十分な栄誉であり、これでヴィルマーが修道院送り及び去勢される事は無くなったと、グレゴールを始めノルドベルク家の関係者は大いに喜んだ。

 しかしその後もヴィルマーは古井戸に入る、大釜に入るという具合に自殺未遂を繰り返し、しかもその度に精霊の加護を授かるという、色々な意味で全体未聞の事態を引き起こし、周囲が神経を尖らせている中で引き起こしたのがこの事件である。


 ヴィルマーは自分の侍女と、後にこの時代で最も成功した冒険者パーティーの一つと言われる『灰色の鴉』を伴って、ダークエルフの聖地とされる黒の森へ行き、森の地下深くに隠されたアーヴマンの大神殿へ侵入した。そして最奥部に安置されていた古代ロマリア帝国の兵器『神体兵器』の核を破壊し、更に大神殿の構造強化のために土の上位精霊を呪縛していた宝珠を破壊したという。

 壁や柱が弱くなって支えきれなくなり、崩壊する大神殿に生き埋めになって死ぬというのがヴィルマーの目的だったようだが、解放された土の上位精霊がヴィルマーを助け、更に返礼として加護を授けたというのが事件の顛末である。


 既にダークエルフさえ分からなくなっていた、アーヴマンの大神殿と神体兵器の核の場所を、何故ヴィルマーが知る事が出来たかは、その後ノルドベルク家と冒険者ギルドによって、ヴィルマーと『灰色の鴉』に対して事情聴取が行われたが、『灰色の鴉』はヴィルマーから詮索無用の条件で護衛を依頼されており、ヴィルマー自身も肝心な所をはぐらかすばかりで詳細を掴めずに終わる。そのためミルス神の啓示を受けたなど、演劇やドラマなどを始め様々な説が出されるが、現在では昔話やノルドベルク家の記録からヴィルマーが推測したというのが定説になっている。

 また、ヴィルマーが風の上位精霊の加護を受けた後も自殺未遂を繰り返した動機については、闇魔法のスキル適性持ちとして公爵家の家名を汚して生きる事に耐えられないので自殺する旨の遺書こそ残しているが、周囲を納得させるために書いたもので、本心から思ってのものではないというのが、現在における歴史家達の大多数の見解である。


 なお、後にノルドベルク家からダークエルフに対して多額の賠償金が支払われ、それを資金に闇の森に再建されたのが現存するアーヴマンの大神殿で、現在も世界中から大勢の信者達が巡礼に訪れている。


 新聖暦九二〇年刊『グリムニア史』より

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る