第4話 公爵の苦悩 前編

 儂の名は、グレゴール・フォン・ノルドベルク。

 ノルドベルク公爵家の現当主だ。


 ノルドベルク公爵家は、ブロッケン王国が建国される以前、ダークエルフの支配下にあったこの地域にグリムニア騎士団が遠征し、ダークエルフ達を打ち破った時代から続く、王国屈指の名家として名を馳せている。

 儂自身も、父祖より受け継いだ家を守り、王国の貴族としての務めを果たすべく、長きに渡り働いてきた。


 代々の王も守りに力を注ぎ、国内を富ませる事に腐心してきたが、先代の国王ジギスムント陛下がブロッケン王国を始めとする幾つもの中小国に分かれたグリムニアを統一するという野望に取り憑かれ、即位するや領土拡張路線を打ち出した。

 代々の王が営々と国庫に蓄えてきた財産を軍備の増強に費やし、それでも足りずに国内のインフラ整備などの予算を削り、新たな税を次々と課した。

 当時軍務大臣だった儂は、こうした急速な軍備の増強に危うさを感じ、幾度となくジギスムント陛下に止めるよう諫言かんげんしたが、陛下は聞き入れる事が無く、儂を弱腰、不忠者とののしり、時には他の家臣の面前で殴打おうださえした。

 そして圧政の数々に、とうとう民衆が反乱を起こすと、陛下は儂にその鎮圧を命じてきた。それも、『一人残らず皆殺しにせよ』と。

 他国の軍勢が攻めて来るなら、国と民を守るため戦う事を恐れはしないが、反乱とは言え自国の民を、それも圧政に抗議して立ち上がった民を皆殺しにせよなどという命令には従えなかった。儂は抗議の意を示し、その場で軍務大臣を辞したが、新たに任命された大臣が陛下の命令に従い、皆殺しという形で反乱を鎮圧した事を、儂は王都を離れて自領に向かう馬車の中で知った。




 その後ブロッケン王国は周辺諸国に向けて戦争を仕掛け、ジギスムント陛下の武勇と増強した軍勢の力で連戦連勝。隣接する国々の大半を勢力下に置く程になった。


 それがジギスムント陛下の絶頂だった。


 更に領土を拡張しようと西へ遠征した所で軍は奇襲攻撃を受け、陛下が自分の後継者にと考えていたアンドレアス王子が討ち死にして、遠征軍は少なからざる打撃をこうむった。

 これを機に相手の国が反撃に転じ、ブロッケン王国側も奮戦するも、アンドレアス王子を始め多くの兵を失った遠征軍では応戦するのは厳しく、更には占領した国の残党などもこれに呼応して蜂起ほうきした事で、ブロッケン軍は広げた戦線を維持する事が不可能になり、後退を余儀なくされていった。

 当然ジギスムント陛下はそれを認めるはずが無く、何があろうと踏み留まれと声高に命じ、それでも後退する部隊にはより強硬に抗戦を命じた。だが戦線は後退を続け、獲得した領地を奪い返される状況に、陛下はより一層の奮戦を促すため指揮官達の妻子の左手を切り取って送る命令を出した直後、卒倒して倒れ、その後意識を取り戻す事は無かった。

 ひとがりな理想で国内外を問わず多くの犠牲者を生んだ『狂王』ジギスムントの、あまりにも呆気あっけない最後だった。




 元々ジギスムント陛下がもたらす恐怖で辛うじて統制を保っていた遠征軍は、陛下の死が伝わると途端に崩壊を始めた。

 強引な徴兵で集められた兵達はそこかしこで脱走に及び、あまりの多さに下士官は制止もままならず、終いには下士官さえ責任を問われるのを嫌がって逃げ出す部隊まで出るほどだった。

 そうして士気が落ち、兵も総崩れになっていく部隊に他国の軍勢が攻め掛かり、遠征軍は瞬く間に壊滅。獲得した領土を全て失ったブロッケン王国の本領に周辺諸国が攻めに掛かるのは、当然の成り行きと言えた。

 弱った獲物の肉を、他国よりも少しでも多く切り取ろうと攻めてきた周辺諸国の軍勢だったが、そこで儂が腰を上げた。

 かような事態に陥る事を予感して、遠征軍に参加せず本領の防衛に徹するよう命じてきた、我がノルドベルク公爵家と麾下きかの派閥の軍勢を率いて、儂は侵略者達の迎撃に当たった。兵力的にはこちらの不利であったが、先走らず国土と国民を守る事を第一とせよという命令を徹底させ、地の利を生かして粘り強く侵攻を食い止め、遂には相手を押し返すまでに至った。


 そうして滅亡を免れた王国の中央は、儂に復帰を促してきたが、儂は辞退して自領に留まった。国境線は未だ緊張が解けず、儂が睨みを利かせる必要があったし、年寄りが戻っては、新しく国王に即位したフリードリヒ二世の成長の妨げになると思ったからだ。

 フリードリヒ二世陛下は、先代ジギスムント陛下の長男ではあったが、生来病弱で気も弱かったため、生前のジギスムント陛下から事あるごとに軟弱と罵倒ばとうされ、殴られる事も数知れず。次男のアンドレアス王子がジギスムント陛下好みの武人肌に育った事もあり、周囲からも半ば廃嫡はいちゃく同然に扱われた事で、より一層消極的な性格に育ったようだった。

 しかし無礼を承知で言わせて貰えば、フリードリヒ陛下にとって強権的な父親だったジギスムント陛下と、事あるごとに比べられてきたアンドレアス王子が死んで、後は為政者として動くきっかけさえあれば、力の無い者、虐げられてきた者の気持ちを知る賢君になれる望みはあった。そのきっかけを作るため、そしてフリードリヒ陛下を補佐するために、儂は息子を王都へ送ったのだ。

 だが良くも悪くも厳しく目を光らせ、『王族は強くあらねばならない』『一日も早く大人になれ』と自分の理想を押し付けてきたジギスムント陛下が死んだ事で、子供の頃から抑圧されてきた自我が反動で一気に吹き出したフリードリヒ陛下は、失われた子供時代を取り戻そうとするように絵本や玩具を収集し、息子を始め周囲がいさめるのにも耳を貸さず、政務を放り出して遊びふける日々を送った。

 そんな息子達の諫言に嫌気が差したフリードリヒ陛下に、東の大国である神聖ロマリア帝国と親しい派閥が擦り寄ってきた。


『神聖ロマリア帝国の皇女を、陛下の妃としてお迎えするのです。そうすれば周辺の国々も帝国の威光を恐れてブロッケン王国に手を出せなくなり、陛下のお心をわずらわせるものは一切無くなります』


 親帝国派のその提案に、息子は安易に大国に頼る事の危険を説いて反対に回ったが、ジギスムント陛下の領土拡張の失敗で、息子が属する軍閥は影響力を失っていた事に加え、フリードリヒ陛下本人が乗り気だった事もあって、提案は承認された。この婚姻によって、確かに周辺諸国がブロッケン王国を狙う動きはある程度収まったが、代わりにブロッケン王国は帝国の顔色を絶えずうかがっていなくてはならず、宮廷内でも親帝国派が幅を利かせるようになった。

 それでもなお、息子は諫言を続けた。もっと強い意志を持ち、国と民を導く王になるようにと。


 だが、フリードリヒ陛下が息子の言葉を受け入れる事は、遂に無かった。


 フリードリヒ陛下が帝国から王妃を迎えておよそ二年後に生まれたコンラート王子が五歳の誕生日を迎えるに当たり、盛大な誕生日パーティーを催す提案が王妃から出されたのだが、これに息子が反対したのだ。

 この直前、隣国から嫁いできた第二王妃が、身ごもっていた御子共々亡くなられたばかりなのに、盛大な祝い事とは不謹慎であると。

 息子の反対意見に王妃は自分と王子を侮辱ぶじょくされたとフリードリヒ陛下に泣き付き、親帝国派もこれに追従して息子を非難した。

 これに対して陛下は息子を家臣達の前に呼び出すと、一方的に『王妃と王子に謝罪せよ』と命じると、早々に謁見の間を去ったという。息子は一切の意見の具申も許されず、王妃と王子の足元に平伏して、誕生日パーティーに反対した事を謝罪するしか無かった。加えて、パーティーには出産間もない妻のクリスタを同伴で出席するよう命じられ、流石にこれには息子も抵抗したが、受け入れられなかった。


 こうして息子は周囲の嘲笑ちょうしょうの中、未だ産褥期さんじょくきで休養が必要な妻に無理をして同伴させるという二重苦を背負って誕生日パーティーに出席する事になったが、事はそれだけでは終わらなかった。


 どうにか誕生日パーティーが終了するまで『務め』を果たして屋敷へ戻る帰り道、息子夫婦を乗せた馬車に横合いから御者のいない荷馬車が突っ込んできた。横転させられた馬車から息子が出てきて、クリスタも出そうとした所へ、黒覆面、黒ずくめの一団が襲ってきたという。

 自慢するわけではないが、公爵家の後継者とするべく小さい頃から鍛え抜いた息子だ。万全な状態であれば賊相手に後れを取る事など無かっただろうが、不意打ちで馬車を転倒させられて怪我を負った上に、産褥期とパーティーの疲れ、更に怪我まで負ったクリスタも守らなくてはならないとあっては分が悪すぎる。知らせを受けて救援が到着した時には既に遅く、息子はクリスタをかばう体勢で何本もの矢を受けた状態で、夫婦共々息絶えていたそうだ。


 急報を受けて王都へ駆けつけた儂の前に突きつけられた息子夫婦の死体を目にした時の悲しみは、筆舌に尽くし難い。

 当時儂はあと数年のうちに爵位を息子に譲るつもりでいたのに、その予定が崩れてしまった落胆も。

 だがそれ以上に、生まれて間もないヴィルマーの成長を見ることができず、息子夫婦はどれだけ無念だっただろうか?

 息子夫婦を襲った賊の正体は暗黒神の信徒であると、王都に到着した直後に聞かされたが、現場に暗黒神のシンボルのペンダントが落ちていたというだけでそう結論付けられ、その後の調査は一切打ち切られたとあれば、何者かの意図を疑うのが自然だろう。

 儂は事件をもっと深く追求するようあちこちに訴えたが、ある所からは諦めの表情で、別の所からは嘲笑混じりに、ことごとく退けられた。挙げ句の果てにはフリードリヒ陛下からも『これ以上余を煩わせるな』と切り捨てられるに至り、もはや今の陛下の代で国の立て直しは叶わないと悟った。


 子の代で無理ならば、その次の代に──


 儂は心と体を奮い立たせ、ヴィルマーを連れて自領に戻ると、ヴィルマーを公爵家の跡取りとして、国の再建の担い手として立派に育てると、息子夫婦の墓前に誓った。




 時は流れ、国政はすっかり親帝国派に牛耳られ、帝国との外交という名目のご機嫌取りで多くの予算が費やされ、その皺寄しわよせで軍備や治安維持の予算が削られるせいで、国内は盗賊による略奪などの犯罪が増え、国境守備の不安などから軍の内部では不満が募り、それによって最も割を食う平民達の怨嗟えんさの声は高まるばかり。

 王国はゆっくりと、衰退に向かっていた。


 そんな中でもヴィルマーは両親がいないながらも健やかに育ち、一〇歳の誕生日を迎えるまでになっていた。


 この大陸の国に生まれた人族は、一〇歳になると光明神ミルスを奉じる教会でスキル適性を鑑定する儀式を受ける習わしがあり、ヴィルマーも同じ年の他の子供達に混ざって儀式を受けた。

 儀式ではどちらかの親の適性が出る事がほとんどなので、儂と息子の剣術か、母親のクリスタの風魔法と出るだろうと、儂を含めて周囲は皆思っていた。だが結果は、


 闇魔法──


 神話上でこの世界の主導権をミルスと争って敗れたという暗黒神アーヴマンの力を使うと言われる魔法で、光明神ミルスを崇めるミルス聖教会の教義で邪悪なスキルとされており、使う事はもちろん、習得しているとされただけでも、聖教会による宗教裁判で死刑判決が下されるというものだった。


「残念ですが、このような結果が出た以上、ヴィルマー様は修道院に送られた上、去勢の処置がされる事になるでしょう」

 重い口調で、儀式を行った司祭は告げる。

「去勢……それでは、ヴィルマーの、公爵家の跡目は……」

「子供を作れなくなるのですから、当然廃嫡となるでしょう」

「廃嫡……」

 その言葉の重みに、儂はテーブルに崩れ落ちそうになるのを辛うじてこらえる。

「どうにかして、誤魔化す事はできないか?」

「他の子供も儀式に参加して、その親も立ち会っている以上、噂はすぐに広まるでしょう」

 司祭は首を横に振る。

「失礼ながら、公爵閣下には他の家へ嫁がれたお嬢様方から生まれた男のお孫様が何人もいると伺っております。その中から跡を継ぐ方を選べばよろしいではございませんか?」

 沈黙する儂に、司祭は言ってくるが、今度は儂が首を横に振る。

「いくら領地に引き籠もって、王都には年に一回行くか行かないか程度でも、向こうの情報は入ってくる。娘とその家族についてもな」


 確かに儂には死んだ息子の他に三人の娘がいて、それぞれ嫁いだ先で男子をもうけている。だが──


 ロルベーア侯爵家に嫁いだ長女は、結婚して間もなく大病を患い、快癒こそしたものの長い病床生活で自分は寝たまま他人にあれこれ世話して貰う事にすっかり慣れきってしまった。病気が治った後も夫のロルベーア侯爵が妻に甘いのを良い事に、怠惰と美食に溺れ、体の幅が嫁ぐ前の倍にまで膨れ上がる始末。それから生まれた息子にも父親は甘かったらしく、周囲の評価は『母親似の息子』で一致しているという。無論、似ているのは昔の母親でなく、今の母親にだ。


 シュタール侯爵家に嫁いだ次女の息子は小さい頃から身体強健、スキル適性も剣術と出たが、その腕っ節と親の権力を笠に着て威張り散らし、自分の家より低い家柄の貴族や平民の子弟を相手にしょっちゅう暴力沙汰を起こしてきたらしい。その度に両親が被害者とその家族に頭を下げたり、金や権力で揉み消したりで収めてきたが、それで反省するどころか、親が後始末をしてくれるからと調子に乗る始末。

 長じて年齢が近い事と家柄からコンラート王子の学友に選ばれるとますます増長し、王立学園の悪友達とつるんで学生騎士団を名乗り、風紀粛正と称して自身が気に入らない者や邪魔な者に私刑リンチを行っているという。


 三女の息子に至ってはまだ赤ん坊な上に、父親のグリュンバウム伯爵は鉱山事業への投資に失敗して、穴埋めの金策に右往左往。先日こちらにも借金を頼む手紙を送って来おった。無論断りの手紙を返してやったがな。


 正直娘の子供の誰に継がせても、代々築き上げてきた公爵家の財産と名誉を食い潰される未来しか見えん。


「……どうにかして、ヴィルマーが修道院送りにならない方法は無いか?」

 絞り出すように訊く儂の様子に、司祭も察したらしく、難しい顔でしばしうなった末に口を開く。

「ヴィルマー様が光魔法のスキルを修得すれば、光明神ミルスへのこれ以上は無い信仰の証明になって、修道院へ送る必要は無いとお墨付きが貰えるかも知れません。ですが……」

 そこまで言って、司祭は口を閉ざし、ご存じでしょうとばかりにこちらを見る。

 破壊と混沌を司る闇魔法に対し、癒しと浄化を司る光魔法。

 だが光魔法の修得方法はミルス聖教会において門外不出の秘伝とされ、スキル適性を持つ者にしか伝えられていない。そもそもスキル適性を鑑定する儀式が、光魔法のスキル適性の持ち主を探し出し、聖教会で囲い込むための手段である事は公然の秘密になっている。そうやって光魔法による治療を『光明神ミルスの恩恵』として独占する事で、聖教会は大陸の諸国における権力の源泉としてきたのだ。

「だが、聖教会の秘伝だけが、光魔法を修得する方法であるまい。修道院に送られるまでに、どれくらい日数があるのだ?」

 儂はテーブルの上に身を乗り出して、司祭に尋ねる。

「そうですね……今回儀式で行った子供達全ての鑑定結果を報告書にまとめるのに二日、報告書が王都の大聖堂に届くまで五日、ヴィルマー様は貴族の子ですから、修道院から迎えが来るとして、大司教の決裁から修道院側の準備も含めて七日という所ですか」

「合わせて一四日、か……一日でも長く、引き延ばしてくれるか?」

 テーブルの上に皮袋を置くと、中身がジャラ、と音を立てる。

「公爵閣下とヴィルマー様に、光明神ミルスのご加護がありますように」

 司祭が胸の前で手を組んで祈りの文句を口にすると、時間が惜しい儂は急いで席を立った。

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