第3話 浜の真砂は尽きるとも

「僕の考えは──間違ってたのかも知れない」

 ミナの前で、僕はそう切り出した。


「それは、どう間違えたというのですか?」

 僕の前でカップに紅茶を注ぎながら、ミナが訊いてくる。

「うん──」

 カップを取り、熱すぎず、冷めてもない適温の紅茶で喉を湿してから、僕は答える。

「二回も連続で死ぬのに失敗したのは、楽に死のうとしたからじゃないか、とね」

 カップを置いてミナを見ると、彼女は無言で続きを促してくる。

「僕はこれまで、魔王になって破壊と殺戮なんて罪を犯すくらいなら死んだ方が良い、と漠然ばくぜんとしか考えてなかったけど、それだけじゃ駄目だったんだ。僕は前世でゲームに現実逃避していた上に、親よりも先に死んで親不孝をした罪を重ねてきたから、その分も償わなくちゃいけなかったんだ」

 だから楽に死のうとしても許してくれなかったんだ、きっと。誰が許すんだって? 光明神ミルスか、もしくは前世の世界で崇められていた神様か仏様か。世界中でたくさんいたんだから、その内のどれかじゃないの?

「だからミナ、次の自殺は前世で犯した罪の罰になるくらい、思い切り苦しい方法にして。そうすれば、今度はきっと成功して死ねるだろうから!」

 ミナは僕の僕の言葉に頷くと、姿勢を正して一礼した。

委細承知いさいしょうち致しました。それではこのミナが、後世の歴史に長く残るくらい、苦痛と凄惨せいさんを極めた自殺を、万端ばんたんお膳立て致しましょう」




「どうぞ、お入り下さい」

 その日の夜、ミナに案内されて入ったのは、城の敷地の隅に建てられた、古い物置小屋だった。

「何も無いじゃないか」

「使われなくなって長く経つみたいですからね。だから人目に付かなくて良いんですよ」

「それはそうだけど、どうやって死ぬの?」

 地面にロの字型に積み上げられた石組み以外、何も無い内部を見回しながら、僕はミナに尋ねる。

「はい、それを今から出しますのでお下がり下さい」

 ミナに言われて僕が彼女の後ろに下がると、ミナは石組みの方に向けて手を伸ばす。

 すると、ミナの前にいきなり大きな鉄製の釜が現れて、石組みの上にゴンと音を立てて乗る。釜は人が一人入れる位の大きさで、とてもミナが一人で持ち運びできるとは思えなかったが、

無限収納インベントリか!」

 ゲームでは見る事が無かったミナのスキルに、僕が若干興奮気味に言うと、彼女も「正解です」と返す。

「これで釜茹かまゆでになるのです。実際に刑罰として執行された事もある方法ですし、死ぬまでに目一杯苦しめる事は想像が付くでしょう?」

「石川五右衛門だね。流石はミナ、見事な選択だ」

 全身を煮られる苦痛を想像するだけで震えが来るほどだから、前世で犯した罪の罰として申し分無いね。

「石川五右衛門は『浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ』と辞世で言ったそうですけど、魔王の種なら無くせますよ」


 ──いや、無くさなきゃいけないんだ。


 そう決意を新たにしていると、ミナが無限収納から壺を幾つも出している。

「ミナ、それは何?」

「油です。水だと摂氏百度で沸騰ふっとうしてしまいますが、油の沸点ふってんはそれよりも遥かに高いですから、苦痛がより大きくなる事でしょう」

「そこまで考えてくれてるんだ。あっ──でも、油を使ったら釜『茹で』じゃなくて、『揚げ』になっちゃうよ?」

「石川五右衛門が釜茹でにされた時も、お湯じゃなくて油だったとも言われてますよ。それに、結果的に死にさえすれば、お湯でも油でもどちらでも構わないでしょう?」

「それもそうだね」

 フッと気になって指摘したけど、ミナが言うように、たいした問題じゃなかったね。

「更に念には念を入れまして、修道院の人達が持って来ているランプ用の油も、こっそり拝借はいしゃくして参りました。これで浄化作用も万全です」

 ミルス聖教会が儀式で使う、聖なる火を灯したランプ用の油なら、未来の魔王を滅する効果が加わると考えたのか。考え抜かれた気遣いに、感激で昇天しそうだ。本当にこれで昇天できたら良かったのに。

「早く始めよう、ミナ」

 待ちきれなくなった僕は、ミナと一緒に壺の油を釜に注いでいく。最後に聖なる火に使う油を入れ終わると、ミナが釜の下に入ったたきぎに火を付ける。

「ミナ、もう入っていい?」

 釜の中に入るため、足場を用意しながら僕が尋ねると、ミナは「いいえ」と首を振る。

「油が十分に熱くなってからがよろしいかと思います。その間にヴィルマー様は服をお脱ぎ下さい。服を着たまま入ると、揚げムラが出来てしまうかも知れませんから」

「やっぱり最初から、揚げになると承知して準備したのか」

「分かっちゃいました?」

 そう答えながら、ミナがペロッと舌を出してみせる。

「ちなみにヴィルマー様が無事お亡くなりになった後は、油面から出ている部分も丁寧に掛け油をして、全身を満遍まんべんなく揚げて差し上げます。その後で服を着せれば、どこへ出しても恥ずかしくない、立派な死体になる事でしょう」

 立派な死体というのは良く分からないけど、魔王よりは間違いなくましだろうから、ミナに任せよう。

「それじゃ服を脱ぐね」

 僕が服に手を掛けると、ミナも手伝ってくる。

「ヴィルマー様。この肌が油でキツネ色に揚がって、油で照りも加わった、見事な死体になるように、私、腕によりを掛けさせて頂きます」

 うっとりとした口調で、ミナがささやいてくる。

 そうしてミナの手を借りて上着を脱いだ所で、小屋の扉が乱暴に開けられる。


「遂に現場を押さえたぞ! この背教者共が!」

 入って来た修道士が、僕達に向かって叫ぶ。

「背教者? 誰の事?」

「それだけ物証があって、まだとぼける気か?」

 眉間に皺を寄せながら、修道士が詰め寄ってくる。

「物証って、これの事?」

 後ろで火に掛けられている釜を指して、僕は尋ねる。

「そうだ! こんな深夜にコソコソと暗黒神の儀式をするなんて、背教者以外の何だと言うんだ!?」

「とんでもない。見ての通り、自殺の準備をしていた所だよ。他の何に見えるって言うんだ。そうだよねミナ?」

「いいえ、流石にそれは無理があるかと」

 僕の考えを全面的に肯定してくれると思ってミナに話を振ったけど、予想に反してミナは首を振る。

「こんなに大きな釜を使っているのですから、料理と間違われる可能性だってありますよ」

「そうか。言われて見れば確かにそうだね」

「一つの考えに凝り固まっていると、物事の本質を見誤る事がありますから、注意しましょうね」

「話を横道に逸らすな!」

 修道士が話に割り込んでくる。

「根拠はまだあるぞ! 侍女の貴様、聖なる火に使う油を我々が食事で目を離している間にくすねただろう! そこの釜に入れて怪しい儀式をするなど、背教者の所業ではないか!」

「なるほど、一つの考えに凝り固まっていると、ああいう強引な言動になってしまうんだ」

「そういう事です」

 死ぬ前に一つ勉強になったと、ミナと頷き合う。

「とにかく、今はヴィルマー様が自殺をされるのですから、どうかお引き取り下さい」

 ミナがそう話を切り上げて、修道士を小屋から押し出そうとする。

「そう言われて、はいそうですかと引き下がる訳が無いだろう!」

 だが、修道士はミナを強引に振り払い、僕を押しのけて釜に近付く。

「暗黒神の儀式など、こうしてやる!」

 服の中から取り出した剣を大きく振りかぶり、修道士は釜に向かって斬り付ける。

 修道士は剣術のスキルを持っていたらしく、釜はザックリと裂け目が出来て、そこから油が勢いよく漏れ出す。油は地面に落ちるとどんどん広がっていき、釜の下で燃えていた火にも届き、そうなると当然──

「うわぁぁぁっ!!」

 油に引火した火が一気に燃え広がり、側にいた修道士は服に火が移って悲鳴を上げる。

「ヴィルマー様、建物にも火が!」

 火はなおも広がり、古い木造の小屋にも火が付く。

 僕とミナが小屋から飛び出すと、先に出ていた修道士が地面に転がって服の火を消している所だった。


「火事だ!」

「早く消せ!」

「水だ! 水を持ってこい!」

 間もなく夜番の見張りが火を見つけたらしく、警鐘がけたたましく鳴り出し、城の人達が集まってくる。

「何だこの火事は? 何故こんな小屋から火が上がるのだ!」

 そのうち御爺様も息せき切ってやって来る。

「そいつらだ! そいつらがあの小屋の中で暗黒神の儀式をやってたんだ!」

 服の火が消えた修道士が、僕とミナの方を指して叫ぶ。

「違います! 僕は釜茹でになって死のうとしてたのに、そいつが邪魔をして釜を壊したせいで小屋に火が付いたんです!」

 咄嗟に訂正した所で、僕はハッと気付く。

「そうだ! 思わず飛び出しだけど、あの火の大きさなら楽に焼け死ねるよね?」

「はい。火事の死因は火傷が最も多くて、次いで煙による一酸化炭素中毒か窒息です」

「ミナ、黒焦げの焼死体でも良いよね?」

「全然オーケーです!」

「「全然良くない!」」

 御爺様を始め、城の人達が異口同音に叫ぶけど、僕は構わず炎が全体に広がって燃えさかる小屋に向かって駆け出す。

 けど小屋に入ろうとした所で、炎は生き物のように一箇所に集まったかと思うと、焦げて崩れる小屋の中で人型を形作る。

「また!? またなのか!?」

 炎の人型は、逞しい体格の男性の形になり、僕を見ると破顔して、髪(?)が勢いよく燃え上がる。

「あれ、笑ってるんですかね?」

「あれって、やっぱり、火の上位精霊ですよね……」

 三度目になるせいか、周りの人達がすぐに落ち着きを取り戻す。心なしか、声に呆れが入っている気もするけど。

「いや、そういうの要らないから、ただ僕は焼け死ねれば良いだけで──」

 言いかけた所で、僕の左手が突然炎に包まれる。

(「あ、今度の精霊は話の分かる人(?)なんだ」)

 周囲が騒ぐのとは反対に、僕は心は安堵と期待で満たされる。


 ──そう思ってました。


 ところが炎は左手に留まったまま一向に広がらず、十秒も経たずに消えてしまう。そしてその後には、火をイメージしたデザインの紋様が左手の甲に現れて、また前二回のようにスーッと吸い込まれるように消える。

 火の上位精霊はそれを確認してニヤリと口角を上げると、蝋燭の火を吹き消すようにフッと消えてしまう。

「え~と、あれ、精霊の加護ですか?」

「またですか?」

「三度目ですか?」

 三度目ともなると、流石に周囲の皆も慣れてきたのか驚きの色は少なく、半ば事実確認のように言ってくる。

「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど……」

 まあ、慣れは僕も同じで、公爵家付きの魔術士に尋ねる。

「はい、何でしょうか?」

「今は精霊の加護のバーゲンセール中なの?」

 だって、いくら何でも加護のあげ過ぎじゃない? まして未来の魔王なんかに。

「「そんな訳、あるかぁぁっ!!」」

 魔術士だけでなく、御爺様や他の人達(ミナを除く)まで、大声で言ってくる。

 僕はまじめに質問してるのに、何でそんなに怒るんだろう? 怒りたいのはこっちの方なのに。




「はぁ……海岸の砂が無くなる事があっても、儂の心労の種は無くならんのかな……」

 御爺様が小声でぼそりと呟くのが、風に乗って僕の耳に届いてくる。

 口では色々言ってても、やはり御爺様は僕に消えて欲しいみたいだね。

 御爺様のために、死ぬ事さえできないのかと思うと、僕の心は悲しみで一杯になる。


 ああ、また世界の危機を止められなかった……

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