第5話 公爵の苦悩 後編

 儂は城に戻るとすぐヴィルマーを城内の礼拝堂に連れて行き、ミルスの祭壇の前で昼も夜も、ひたすら聖句や祈りの言葉を唱えさせた。光魔法の修得方法が分からない以上、信仰をミルスにアピールして光魔法のスキルを授けて貰うしか、儂には方法が思い付かなかった。それも時間が限られている以上、通常の倍以上の信仰を見せるやり方で、それこそ聖教会が広めている聖人伝にあるような過酷な修行を真似る事さえためらう余裕は無かった。

 だからヴィルマーに監視を付け、少しでも間違えたり姿勢を崩せば即座に鞭を振るう事も止む無しとした。一〇歳の子供に食事も睡眠も一切取る事も許さずそのような苦行を課すなど、人間のやる事ではないとは承知の上だ。それでも儂は祖父として、公爵家の主として、ヴィルマーを手放したくはなかった。

 だからヴィルマーが光魔法のスキルを授かるまでの一時の事だからと自分に言い聞かせ、儂自身も政務の合間に僅かでも時間があれば、ミルスへ祈りを捧げた。

 ミルスよ、何卒なにとぞ我が孫にあなたの慈悲をお与え下さい、と。

 だが、一日経ち、二日、三日と経っても、ミルスからは何も返ってこない。ヴィルマーの体に負った鞭の跡も、増えこそすれ消える兆候すら無かった。

(「このまま祈りを続けるだけでは、いたずらに日数を無駄にするだけではないか?」)

 焦りが募る中、そう考えた儂は、職人に金を積んで、ミルスの聖印の形をした焼印を急いで作らせると、ミルスへの信仰をより分かりやすい形で示すため、苦行で衰弱した体でそれでも抵抗するヴィルマーの心臓の上──左胸に、真っ赤に熱された焼印を押した。

 皮膚が焼け、肉が焦げる音と匂いにヴィルマーの悲鳴が混ざり、悲鳴が止むと同時にヴィルマーの首はガックリと垂れた。


 意識を失ったヴィルマーに、司祭を呼んで調べさせたが、修得スキルの中に光魔法は無く、そのまま目を覚まさずに日数ばかりが過ぎていき、いつ修道院からの迎えが城についてもおかしくない頃になったある日。

 儂は内心焦りながらも政務に当たっていたが、そこへ家令がいつになく慌てた様子で執務室に入って来た。

「大変です!」

「どうした。修道院の迎えが来たか?」

「いいえ。そうではありませんが……」

「では、ヴィルマーが目を覚ましたか?」

「おそらくそうでしょう。ですが……」

「何だ、そのはっきりしない答えは?」

「申し訳ありません。ですが、ヴィルマー様が、お部屋から姿が見えなくなりました!」

「何だと!」

 思わず儂は椅子を蹴って立ち上がる。

「それは逃げたという事か!?」

「恐らく。何日も意識を失った後で、一人では動くのも厳しいでしょうから。恐らくミナも一緒かと」

 成る程。専属侍女のミナが、ヴィルマーに同情して一緒に城から逃げようとしているのか。

「城門や、城の外に通じる出入り口や窓を固めさせろ。決して外に出すな!」

 このまま城にいても、ヴィルマーには過酷な未来しか無い以上、いっそ公爵家や聖教会の目が届かず、誰もスキル適性の事を知らない場所まで逃げられればと、祖父としては思わなくもないが、公爵家の主という立場上、ヴィルマー達を見逃す訳にはいかなかった。

「はっ、直ちに」

 家令が執務室から出ようとした所へ、扉がノックされる。

 儂が「入れ」と言うと、兵士が入ってくる。

「失礼致します。修道院からの馬車が、只今エントランスの前に到着しました!」




 エントランスに着くと、前に着けられた馬車から既に数人の修道士が降りていて、儂に気付くとそのうちの一人が前に進み出てくる。

「公爵閣下。大司教からの命により、御孫様を迎えに参上致しました」

 深々と頭を下げてくる修道士に、儂はフンと鼻を鳴らす。

「らしくない事をするな、クレメンス。いつから其方は大司教にびるようになったのだ?」

「あらやだ、媚びてるなんて心外ね。せっかく場の雰囲気に合わせてあげたのに、公爵様ったら意地悪なんだから」

 あっさり口調を変えて、修道士──クレメンスはプンプンと怒る仕草をしてくる。


 クレメンス・フォン・ゲーレン。

 ノルドベルク公爵家の遠縁に当たるゲーレン伯爵家の長男だったが、スキル鑑定で闇魔法と同様に邪悪とされる死霊魔法と出たために廃嫡、修道院送りの上に去勢の処置を受けた、元男だ。

 こいつが送られた修道院は当時、素行の悪さで家を追い出された貴族の子弟や、聖教会の組織内で出世争いに敗れた聖職者達が放り込まれる、まさに掃き溜めと言うべき場所で、その中でクレメンスのような去勢された子供は最下層の立場に置かれ、他の修道士達に不平不満のけ口にされ、家族に捨てられた絶望も加わって、ほとんどが数年と持たずに自殺していたという。

 クレメンスもその例に漏れず、周囲から指導と称して殴る蹴るのみならず、時には性的虐待さえ受け、更には死霊魔法の適性持ちを産んだという理由で母親がゲーレン伯爵家から離縁され、戻された実家でも冷遇された末に病で死んだ事から、じきに母親の後を追うだろうと思われた。

 だが、クレメンスは苦しみの中で生きる事を選び、修道院の中で必死に這い上がって院長にまで就き、父親が死ぬと、父親が愛人との間に作っていた幼い異母弟を次の伯爵に据え、自身は後見人に収まった。

 ──と、これだけなら立派と言えるが、その裏では前任の修道院長を始め、クレメンスに『指導』をしていた修道士達が全員変死を遂げているのに加え、異母弟の母親も急激に衰弱した末にこの世を去り、父親は別の愛人と同衾どうきんの際に突然の腹上死を遂げている事から、裏でクレメンスが関与しているのではないかという黒い噂もあった。


「それで、ヴィルマーちゃんはもう、アソコとお別れの挨拶は済んでるかしら?」

「良くそんなに軽く言えるものだな。自分も過去に同じ思いをしているのに」

 他人事だからと去勢される覚悟を軽く言ってくるクレメンスに儂は詰め寄る。

「経験者だから言ってるのよ。男でなくなっちゃう事は、初めは辛くて死にたくなっちゃうけど、アタシみたいに解脱げだつして母性に目覚めちゃえば大丈夫だいじょーぶ。だからマ・カ・セ・テ?」

 口元に手を遣りながら、女言葉でクレメンスが言ってくると、化粧もしてないのに不気味な色気が漂ってくる。

生憎あいにくだが、ヴィルマーは何日も夜を徹して祈りを捧げた無理がたたって倒れてしまってな。悪いが動けるようになるまで待って貰えるか?」

 ヴィルマーが目の前の変態クレメンスと同じようになったらと、思わず浮かんだ想像に、こみ上げてくる吐き気を抑えながら、儂は口を開く。

「あら、もしかしてミルス様にお祈りすれば光魔法を授けてくれると思ったの?」

 あっさりクレメンスに見抜かれてしまう。

「適性もマニュアルも無くて、お祈りだけで光魔法が身に付いたら、私はこんな風にはなってませんよ」

 それまでのヘラヘラした態度を一変させ、険しい表情でクレメンスが迫ってくる。その落差もあって、思わずたじろぎそうになるが、後方から感じた視線に、儂は反射的に後ろを振り向く。

「あれは──!」

 視線の元は城の尖塔の上からで、遠目にミナとヴィルマーがこちらを見ているのが見えた。

 まさか、部屋から抜け出したのは逃げるのでなく、自殺するのが目的だったのか!?

「早く中に知らせろ! ヴィルマーを止めるんだ!!」

 儂がやってきた事が、ヴィルマーの心と体に深い傷を残すのは覚悟していたが、自殺を図る程に追い詰めていたのか。

 直ちに城の者が尖塔に上がってくるが、ミナが阻止している僅かなうちに、ヴィルマーは手摺の向こうに身を乗り出して、そのまま下へと落ちていく。

(「済まん、儂は誓いを果たせなかった──」)

 もはや儂には、天上の息子夫婦に向けて許しを請う事しかできなかった。


 そう思っていた。


 だが次の瞬間、強烈な風が一面を吹き荒れて、儂は反射的に目を閉じてしまうが、すぐに目を開けた視界に飛び込んできたのは、空中に浮かぶヴィルマーと、その側に現れた風の上位精霊だった。

 精霊はヴィルマーを優しく地上に降ろすと、ヴィルマーの額に口づけをした。するとヴィルマーの額に紋様が現れて、吸い込まれるように消えていった。一呼吸分遅れて紋様が精霊の加護の証だと、公爵家付きの魔術士が騒ぎ出し、それはあっという間に周囲に広がる中、儂は人目もはばからず涙を流し、天上の息子夫婦とミルスに感謝した。

 精霊の加護と言えば、闇魔法のスキル適性という烙印らくいんを上書きするには十分すぎる栄誉。これでヴィルマーがこれ以上苦しむ事も、修道院に送られる事も無くなって、公爵家の未来も安泰あんたいだ。


 そう思っていた──


 ところがヴィルマーは、精霊の加護を得た翌日に、また自殺を図ったのだ。

 城の裏庭にある、随分前に水が涸れて封鎖された古井戸を見つけると、それに入って窒息死しようとしたらしい。幸いその古井戸には水の上位精霊が封じられていて、解放してくれた礼としてヴィルマーを地上に上げ、更には加護まで授けたがな。


 その次は古い物置小屋にミナと二人で大釜を持ち込んで釜茹かまゆでになろうとしたそうだ。

 修道士達が聖なる火に使う油を、ミナがこっそり持ち出す所を修道士の一人が目撃して、現場を押さえた際に勢い余って大釜を破壊したせいで、釜に満たされた油が火に引火して小屋が全焼し、結果的に阻止されたがな。

 その時の油に聖油が混ざっていたからか、小屋が燃える炎の中から火の上位精霊が現れて、ヴィルマーに加護を授けるというおまけまで付いてだ。




「それで、火事で服に火が付いたあの修道士は大丈夫なのか?」

「ええ、軽い火傷やけどで命に別状はないわ」

 ヴィルマーが三度目の自殺を図った小屋に乗り込んだ修道士について尋ねると、対面に座るクレメンスが微笑みながら答える。

「それでね、治療のついでに色々訊いてみたら面白い事が聞けたのよ」

 噂話に興じる婦人のように手をヒラヒラさせながら、クレメンスは続ける。

「あの子ったら、ヴィルマーちゃんが闇魔法を修得しているか、暗黒神を崇拝している証拠を見つけてくるように、王都の大司教から内緒で言われたみたいなのよ。首尾良くヴィルマーちゃんを宗教裁判で死刑にできたら大聖堂付きの聖騎士に取り立てると言われたそうでね。騎士爵の家の三男で、軍や王立学園へ入るお金の余裕も無く、養子や入り婿の口も見つからなくて仕方なく修道院に入った身の上には、立身出世のチャンスだと思ったのね」

「おのれ、廃嫡と去勢だけではまだ足りないというのか!」

 両手の拳でテーブルを叩くと、クレメンスが「テーブルが壊れちゃうわよ」と言ってくるが、これが怒らずにいられようか。

「それだけ念入りにヴィルマーちゃんを消したいって事よ。アタシが小耳に挟んだ話だと、聖王国の枢機卿の一人がお歳で倒れて、いつミルス様の所へ行ってもおかしくないそうで、その後の空いた席をあの大司教が狙ってるみたい。だから今、根回しとその資金集めに余念が無いって訳」

「成る程。だとしたら、公爵家の跡目争いが始まれば格好の金儲けのチャンスという事か」

「そーゆー事。『最も信仰が篤い者が次期公爵となるように、ミルス様は思し召される事でしょう』という大司教語を翻訳すると、『一番多く私の前に金を積んだ者を、次期公爵に推薦してやる』ってなるわね」

 あの血筋と金で成り上がった大司教の声真似を交えながら、クレメンスは答える。

「だがこれを見たら、大司教や、公爵家の跡取りの座を狙っている連中はさぞかし驚いて、落胆するだろうな」

 テーブル上の紙に目を遣りながら言うと、儂の中の怒りが途端に収まっていくのを感じる。それは今朝改めて教会から司祭を呼んで、ヴィルマーのスキルやその他を鑑定して貰った結果で──


 名前:ヴィルマー・フォン・ノルドベルク

 種族:人族

 スキル適性:【闇魔法】

 修得スキル:【落下制御:自動】【水中呼吸】【火属性耐性】

 称号:【上位精霊の加護:風】【上位精霊の加護:水】【上位精霊の加護:火】


「しかし、こう何度も連続で精霊の加護を授けられると、ヴィルマーではないが加護の安売り中なのかと思いたくもなるな……」

 精霊に対する不敬は承知ながら、つい口から出てしまう。

「まあこれを見たら、そう言いたくなる気持ちはわかるわ」

 クレメンスも、紅茶のカップを口に運びながら相槌を打つ。

「この修得している三つのスキルは、それぞれ精霊の加護を授かった時、一緒に付いてきたようだな」

「そうね。他にも風魔法は精霊の加護と、母親の血があるからすぐ覚えられそうだし、水魔法と火魔法もそう難しくないんじゃないかしら?」

「流石の大司教も、これを知ったら金儲けを諦めざるを得ないだろうな」

「さあ、それはどうかしら? あの大司教の事だから、不確かな報告で修道院送りの決定は覆せないと言って、ギリギリまでお金を掻き集めるるんじゃないかしら」

「とすると、大司教が次に打つ一手は、直接自分で鑑定するためにヴィルマーを王都の大聖堂に呼ぶと言った所か?」

「そんな所ね。それも、できるだけ長くお金を集めるために、一日でも長く引き延ばそうとするはずだわ」

 かつて儂達がやろうとした引き延ばしを、今度は向こうがやってくるという皮肉に、二人で笑いが漏れる。

「今はこちらの方が、一日でも早く大司教自ら鑑定をして貰いたい位だ。修道院送りの決定を取り消して貰えば、ヴィルマーも自殺をする理由が無くなる訳だしな」

 正直こうも度々ヴィルマーに自殺を図られては、気が休まらん。せっかくヴィルマーが廃嫡されるのを免れそうなのに、死んでしまっては元も子もない。

「大変です!」

 そこへ家令が部屋に入ってくる。

「どうした。大司教からの使者が来たか?」

「いいえ」

「では、ヴィルマーがまた自殺を図ったか?」

「おそらくそのつもりでしょう。ですが……」

「何だ、そのはっきりしない答えは?」

「申し訳ありません。ですが、ヴィルマー様がお部屋に姿がなく、城内のめぼしい所も全て探しましたが見当たりません!」

「またか! また逃げ出したのか!」

 儂は両手の平でバンとテーブルを叩く。

「恐らく。ミナも姿が見えないので一緒かと」

「城の外に通じる出入り口や窓を固めさせろ。既に町に出ているかも知れんから、人を遣って探せ!」

「はっ、直ちに」

 素早くきびすを返して部屋を出る家令の後ろ姿を見送りながら、こめかみを押さえる。

りないわね、ヴィルマーちゃんも」

 ティーカップと受け皿を自身の両手に避難させたクレメンスが、暢気のんきな口調で言ってくる。

「懲りるもトリルもあるか! 何回止めたところで、一度でも止められなかったら、ヴィルマーは死んでしまうんだぞ!」

「まあまあ落ち着いて。スキルがあるから飛び降りと溺死、焼身自殺は無理でしょ。あとは他にどんな自殺を図るかしら?」

「むぅ……すぐ思い付く方法は、首吊りに刃物、毒だろうか。おい、誰か!」

 儂は使用人を呼び、町の雑貨屋や鍛冶屋、薬屋を押さえるよう手配を命じる。

「良いか、一刻も早くヴィルマーを見つけ出せ。連れ戻したら、大司教から修道院送りの取り消しが出るまで、決して目を離すな!」

 自殺を図る度に止めるばかりでは後手に回ってしまう。先回りして自殺の道具を調達できなくしてしまえば自殺できまい。


 そう思っていた。


 まさか、あのようなやり方で自殺を図るなど、誰が考えつくだろうか──




───────────────


 今回の補足として、ブロッケン王国の貴族制度についてざっくり説明しようと思います。


 ブロッケン王国では国王をトップにその家族である王族、その下に貴族、平民という階級がありまして、王族と貴族は姓の前に「フォン」を名乗る事ができます。


 貴族は公爵をトップに階級がありまして、図にするとこうなります。




      _______


公爵




侯爵      上級貴族




伯爵    _______




子爵


        下級貴族


男爵


      _______


準男爵


         準貴族


騎士爵   _______




 このうち公爵・侯爵・伯爵が上級貴族で、国王から領地を与えられ、徴税や騎士団を持つ権利を持っています。


 その下の子爵・男爵は下級貴族に属し、国王もしくは上級貴族の家臣として文官・軍人などの仕事で収入を得ています。


 更に下の準男爵・騎士爵は、厳密には貴族には属しませんが、貴族と同様に姓の前に「フォン」を名乗るなど、平民にはない特権を持っている事から準貴族と呼ばれています。




 ですが、準男爵・騎士爵くらいだと収入的には平民に毛が生えた位か、裕福な平民にも劣るのもザラで、例えば騎士として従軍するにも武具や馬の調達費や維持費、従者の賃金は自分達で賄わなくてはなりませんから、当主と跡取りである長男までが精一杯というのも珍しくありません。そうなると次男以下は作中でクレメンスが言及したように、養子か入り婿の先を探すか、他よりも飛び抜けた才能を示して王立学園に特待生として入学するか(王立学園には原則として王族と『貴族』の子弟しか入学できません)できなければ、実家に使用人同然で働くか、修道院に入るしか道はない訳ですね。

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