第42話 綻び
「残念ながら捕らえた者の中には、ハルカ様を殺めた者はおりませんでした」
「そうか。オスカー・バゼーヌ侯爵の尋問と並行して引き続きよろしく頼む」
騎士団を挙げての動きは早く、ほとんどの襲撃者を既に捕縛しているようだ。
アンリの返答に頭を下げたものの、騎士団長はその場に留まり動こうとしない。普段であれば報告を終えるとすぐに立ち去るため、何か言いたいことでもあるのかと視線で問えば小さく頷いて口を開いた。
「いつ、誰が、ハルカ様を殺めたのか分からないと全員が同じことを言うのです。最初は仲間を庇って口裏を合わせているのかと思ったのですが、どうもそうではないようなのです」
静かな口調は淡々と事実を告げていたが、探るような眼差しにアンリは自嘲的な笑いを浮かべる。
「私がハルカを手に掛けた、そう考えているのかな?」
馬車の中にはアンリとハルカしかいなかった。騎士たちが応戦している中、外からの襲撃が難しくても同じ空間にいる相手が凶行に及ぶ方がはるかに容易いのは言うまでもない。
初対面でハルカがアンリに対し激しい拒絶を示したのは羞恥の事実だ。好意が憎しみへと変わり、思い余った末の行動だと考えてもおかしくなかった。
だが、そんなことは決してあり得ないのだ。
「大好きだったんだよ、とても……言葉で表せないほどに。彼女にどう思われても、ただそこにいてくれさえすれば、生きてさえいてくれればとそれでいいと思えるぐらいに、彼女のことを想っていた」
冷静に伝えているつもりでも、抑えきれない感情に言葉が揺らぐ。ハルカを護るために、彼女の幸せを願ったからこそ引き留めなかった。傷つけることも、ましてや自分の手でその命を絶つぐらいなら、自分が死んでしまったほうがましだ。
「余計な事をお伝えして御心を乱して申し訳ございません。引き続き尋問と捜索を続けます」
アンリの密かな激昂に気づいたのか、それ以上追求することもなく騎士団長は一礼して退出した。
「……塩でも撒きましょうか?」
ぽつりと漏らしたジェレミーの言葉に、胸の裡で暴れていた感情がふっと収まった。生真面目な顔で、だがアンリの気持ちに寄り添った言葉に心が凪いでいく。
「それは……掃除の手間を掛けることになるから止めておこう。騎士団長は職務に忠実なだけで他意はない。ただ少し気分転換がしたいからお茶を頼んでくれないか?」
微笑みを浮かべて告げると、ジェレミーも表情を明るくしながら隣室へと向かう。
(……ハルカ)
目を閉じれば薄紅色の花を挿した艶やかな黒髪と、彼女の笑顔が脳裏によぎる。幸せな記憶は鮮明で、愛しさが溢れそうなのに同じぐらいに苦しい。
それでも自分の幸せとハルカの幸せ、そして罪の重さを量りにかければ、どちらが傾くのは分かり切っている。
心の底から願うには執着が邪魔をするけれど、愛しい人の幸せを願う気持ちに嘘はない。
その執着による怒りや悲しみが、騎士団長たちの目を欺くのに役に立っていることは皮肉な気がしたが、万が一にでもハルカの生存を知られるわけにはいかなかった。
もう二度と運命に翻弄されないようハルカを自由にすることが、アンリにできる唯一の贖罪なのだ。
気がかりなのは王妃が事態を静観していることだが、恐らくはバゼーヌ侯爵を切り捨てても支障がないということなのだろう。
バゼーヌ侯爵も婚約者候補だったジゼルも王妃にとって替えが効く駒なのだ。
バゼーヌ侯爵を排除しても王妃が関与していない以上、糾弾することはできない。しかしハルカの安全のため、そして過去を断ち切るためにも王妃の罷免は必須だ。
これまでもアンリに対する虐待やメルヴィンへの暗殺未遂などがあったが、いずれも証拠不十分で糾弾できずにいた。
そんな中、何食わぬ顔でアンリの執務室を訪れた王妃を警戒するのは当然だろう。
「……何の御用ですか?」
「可哀想な息子を慰めたい一心で会いに来たというのに薄情な子ね」
憂いを含んだ表情だが、一挙一動を窺うような冷然とした視線が苦手だったことを思い出す。幼い頃にアンリが隠し事をしていないか、自分の意に反した行動を取っていないか、探る時の目だ。
今では余程のことがない限り、大抵のことは許容範囲だと大目に見ていたようなのに、このタイミングとなると、まず間違いなく王妃に怪しまれているに違いない。
「あの子の亡骸はどうしたの?」
「……メルヴィンが丁重に弔ったと聞いています」
遺体がないことは怪しまれる原因になることは分かっていた。それでもハルカに似た遺体を用意するのは困難であり、また露見した時のリスクを考えて、暗殺に巻き込まれたハルカを王家と関係のない場所で静かに眠らせてあげたいという理由を付けた。そうすればメルヴィンとともに姿を消してもおかしくはない。
「あなたの運命の相手なのに傷心の隙をついて連れ去るなんて、信義にもとる行為ではないかしら?素材さえあれば、今度は貴方に従順なお人形を作ってあげられたのに。王家の物を勝手に持ち出すなんて、窃盗と同じだわ。罪は償わせなければいけないわね」
困ったように眉を下げながらも、嗜虐的な笑みを隠そうとしない王妃にぞわりと肌が粟立つ。幾つかの単語が不穏な響きを帯び、王妃が何か企んでいることは間違いない。
「嫌だ、忘れていたわ。貴方にプレゼントよ」
そっと机の上に転がされた物に眉を顰め、それが何か思い至った瞬間に椅子を倒す勢いで立ち上がり、震える手でそれを掴んだ。
手の平に伝わる硬い質感にガラス玉だと分かり、安堵するとともに激しい怒りが沸きあがる。
「……っ、悪趣味にも程があります!このような物を私が欲しがるとお思いですか?!」
「あんなにみっともなく焦がれて望んだ相手でしょう?死んだからといって手放すほうがおかしいわ。ふふ、お母様が取り返してあげるから、楽しみに待っていなさい」
愉悦を湛えた顔を殴りつけたい衝動を抑えられず、閉じた扉にガラス玉を叩きつけた。無言で側に控えていたジェレミーがガラス玉を拾い上げ、それが何を模した物か気づいて呻き声を漏らす。
「……殿下、これは……」
「ハルカの瞳を模したものだ。あの方はハルカに似た人形を作るおつもりらしい」
表向きの理由も十分悪趣味だが、これはアンリに対する脅しでもあった。
精神的にも肉体的に焦燥していたが、あれほど大切にした相手を失ったにしては塞ぎこんでいないことが不自然に思われたようだ。
そしてアンリが本物ではなく作り物であることに安堵してしまったことで、王妃に確信を与えてしまったのだ。
ハルカの生存を明らかにできず、また下手に動けばハルカの命を危険に晒すことになる。
拳を強く握りしめながら、アンリはハルカの無事を祈ることしか出来なかった。
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