第43話 助っ人

襲撃から数時間後、陽が沈む前に山間の小さな町に辿り着く。唯一の宿屋で手続きを行い、部屋に入ると陽香は思わず安堵の溜息を漏らした。


「……人が訊ねてくるかもしれないが、ハルカは扉を開けないようにな」


万が一を考えて依頼していた助っ人と、この街で落ち合う予定にしていたと言う。最初からメルヴィンは王妃の介入を予測していたのではないだろうか。


一度しか会ったことはないが、優しげな風貌に対して、警戒心を掻き立てるような不穏さを孕んだ女性だった。陽香よりも接点の多いメルヴィンなら王妃の思考を理解していても不思議ではない。どれだけ警戒しても足りないような不安に駆られ、陽香はふるりと身体を震わせる。


「少し変わったところはあるが、腕は立つし信用できる男だからそう構えなくていい」


陽香の震えを見知らぬ相手に対する緊張と捉えたのか、メルヴィンは安心させるように柔らかな笑みで告げる。わざわざ訂正することでもないので、陽香はそれよりも確認したいことを訊ねてみた。


「その人が来たら、メルは少しは休めそう?」


目を丸くするメルヴィンに、陽香は少しむっとしてしまった。四六時中、気が休まらない状態なのにどれだけ自分を酷使するつもりなのだろうか。


「いや、これでも日頃から鍛えているんだ。そんなこと心配しなくていい。まったく……他人のことよりも自分のことだろう?目の下に隈が出来ているし、顔色も良くない」


大きな手の平で頬を包み込まれて、親指が目元を優しく撫でる。心の奥まで覗き込まれるそうなほど深く真剣な眼差しに目が逸らせず、そのまま見つめ返す。


その瞳が一際輝いたかと思うと、後頭部に手が添えられて視界がメルヴィンで埋め尽くされる。吐息が触れるほど顔が近づいた瞬間、ちりりんと微かな鈴の音が聞こえて、弾かれたようにメルヴィンが離れた。


「……っ、悪い。少し隠れていてくれ」


指し示されたのは入口から死角になる場所で、無言で頷いた陽香は音を立てないよう慎重に移動する。だが心臓の音が激しくて上手く出来たか自信がない。


(そんな場合じゃないけどっ……どう考えてもキスするところだったよね?!)


初対面で同意もなしにキスをした陽香が言えることではないが、どういうつもりだったのかと頭の中で疑問が駆け巡っている。


それでも視線は扉のほうに向けていると、細く開けた隙間からメルヴィンが引きずり込むように相手の腕を引き、素早くドアを閉めた。


「わざわざ待ってたっていうのに扱いが乱暴すぎやしないか、旦那」


流れるような仕草に感心したのも束の間、へらりとした笑みとその口調にぎくりとした。


「ルカ、一応これが助っ人だ。名はロジェと……ルカ?」


睨みつけるような陽香の眼差しに気づいたメルヴィンが、戸惑うように声を掛けてきたのを無視して陽香はロジェと呼ばれた男に視線を定めたまま言った。


「奴隷商の知り合いがいるの?」

「そう言うお嬢ちゃんには奴隷のお友達でもいるのかい?」


飄々とした口調だが、含みのある笑みは口にせずとも陽香の質問への肯定だと伝えてくる。間髪入れずに言葉が返ってきたのが何よりの証拠だった。あの時は声しか聞こえなかったが、特徴的な口調と声はかつて自分がいた奴隷商の元を訪れた人物に間違いないようだ。

ちらりとメルヴィンを見ると僅かに眉を顰めている。


(あの日、ロジェは珍しい奴隷がいないかと訊ねていた……)


それから十日ほど経って、陽香は新たな主人が決まったと告げられたのだ。メルヴィンが関与していないのであれば、あの時ロジェはトルドベール王国の誰かの命令で陽香を探っていた可能性が高い。その相手に陽香の生存を知られれば、これまでの苦労が水の泡になってしまう。


「ロジェ、遊ぶな」


警戒心が否応にも高まるが、メルヴィンは窘めるようにロジェに声を掛けると陽香のほうに向きなおった。


「彼は情報屋でもあるから様々な場所に出入りしている。別の仕事と重なるような依頼は受けないし、そこで知り得た情報を漏らすような男じゃない。何処にも属していないから自由に動ける半面、信用を無くせば大きな損失に繋がるから約束を違えるような真似はしないだろう。ルカが警戒する気持ちも分かるが、もしもの時はロジェを頼ることを覚えていて欲しい」


陽香が危惧していることなど、メルヴィンは分かっているだろう。それでも揺らがない態度にロジェへの信頼が見て取れる。

メルヴィンがそこまで言うのならと頷きかけた陽香の耳に、ロジェの声が届いた。


「自分で物事を考えて判断できそうなお嬢ちゃんで何よりだが、せっかく変装しているのに自分の正体をわざわざ晒してどうするんだ?何も分からないお姫様より百倍ましだろうけどさ」


確かに正論ではあるものの、どこか当てつけがましいというか含みを感じさせる物言いに反感を覚える。


「ロジェ」


叱りつけるように名前を呼んだメルヴィンに対しても、のらりくらりと躱す態度を見てロジェを頼る自分を想像できずに、陽香は溜息を吐いたのだった。

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