第39話 休息

長閑な陽気と一定間隔の揺れが眠気を誘う。

昨日のうちに王都を出て近くの宿屋で一晩過ごしたものの、熟睡できたとは言い難い。身体は疲労を感じていたものの、なかなか寝付けず浅い眠りを繰り返す羽目になったのだ。

それは命を狙われることへの緊張感のせいだけではないだろう。


(最初から分かっていたのに、今更だよね……)


アンリに対する罪悪感を遅まきながら感じるのは、自分でも偽善的だと思う。

だがアンリ一人に押し付けて逃げ出したという事実が、棘のように心に引っかかっている。本物ではないと分かっているのに陽香の胸から流れる血を見た時の辛そうな表情や、最後に見たぎこちない笑顔がふとした瞬間に頭をよぎるのだ。


「次の町までしばらくかかる。休める時に休んでおけ」


目を閉じていた筈のメルヴィンからそう声を掛けられて、陽香は曖昧な笑みを返した。


昨日は御者を雇っていたが、今日からはジェイとメルヴィンが交代で馬車を走らせている。エディットは休憩中の食事の支度から馬の世話などをテキパキとこなし、移動の合間に繕い物などをしているのに、自分だけが何の役にも立っていないのだ。人に任せきりなのにその上のん気に居眠りなどしていられない。


(なんかうまく切り替えられないな……)


溜息を呑み込んで陽香は馬車の外に目を向けると、再びメルヴィンから声を掛けられた。


「もし良ければ少し肩を貸してくれないか?」


床を軽く叩いて自分の左側を示すメルヴィンの頼みを、断る理由もなく陽香は隣に座る。僅か身体が触れるがもたれかかることもなく、重さも感じない。

肩を貸す意味があるのかと首を捻ってしまう。


「側にいると分かると安心して休めるからな」


未だに目を離せば隙を見て逃げ出してしまうと思われているのだろうか。

複雑な心境だが、それでメルヴィンが休めるのなら陽香に異存はない。自分よりもずっと身体も心も休まらない状況にいるはずなので、少しでも休んで欲しかった。


伝わる体温は僅かなのにしっかりと相手の存在を感じられるので、確かに安心できるのかもしれない。

そんなことを考えていたのに、その後の記憶はふつりと途切れている。


「あらあら、仲良しさんね」


揶揄い交じりの軽やかな声に、はっと目を開ければエディットの笑顔があった。隣でメルヴィンが伸びをしたことで肩の辺りに感じていた温もりが離れるが、すっかり眠ってしまっていた自分に呆然とする。

おまけに陽香の身体には上着が掛けられているではないか。

ぐっすりと熟睡してしまった自分に落ち込んでしまったのは言うまでもない。


馬を休ませるために二時間ほど街で休息を取ることになった。

今度こそ挽回のチャンスだと意気込む陽香は、ジェイに馬の世話をしたいと手伝いを申し出たがあっさりと断られてしまう。それどころかちょうど月に一度の大きな市が立つ日だという情報を仕入れてきたエディットから、散策へと送り出されてしまった。


「甘やかしたくて仕方がないらしい。少し付き合ってやってくれ。……エディットたちの子供の話は聞いただろう」


幼い頃に亡くした息子に対する後悔や苦しみはきっと消えることはない。子供という逆の立場でありながら突然家族を失った陽香もその気持ちは痛いほど分かるし、だからこそ二人は良き理解者であり庇護者として振舞ってくれるのだろう。

陽香に自分たちの息子を重ねていたとしても嫌な気持ちではないし、むしろそんな風に思ってくれるのなら嬉しくなる。


折角なら二人が喜びそうな物を買おうと陽香は意識を切り替えた。


「ルカはああいうのが好きなんじゃないか?」


メルヴィンが指さしたのは串に刺さった艶やかな果物だ。一口大の小さな果物に飴をコーティングしているようで、祭りの屋台を思い出して思わず買ってしまった。

真っ赤に熟したラズベリーに薄く飴が絡んでいて、カリカリとした食感とじゅわっと甘酸っぱい果汁が口の中に溢れる。


(美味しい!)


想像していた以上の美味しさに目を丸くしつつも、幸せな溜息を漏らすとメルヴィンが柔らかい眼差しでこちらを見ていることに気づく。


何だかメルヴィンにまで子供扱いされているようだと少しだけもやもやした気分になるが、それでも辛そうな表情よりもずっといい。

少しは気分転換になればと手に持った飴をメルヴィンに差し出してみた。


「美味しいよ。メルも食べてみて」


完全な偽名だといざという時に反応出来なければ困るということで、愛称のような呼び方に変えたがまだ少し気恥ずかしさを感じてしまう。

メルヴィンが無防備な目をしたのは一瞬で、くすりと笑ってぱくりと飴を口に入れる。


「ん、初めて食べたがラズベリーの酸味で甘すぎず美味しいな」


口の端を親指で拭う仕草がやけに色っぽい。近くから押し殺したような歓声が聞こえてきて、陽香は自分の行為が傍から見てどういう風に映るのか理解して愕然とした。


(い、いちゃいちゃしてる恋人同士みたいに見える……!)


名前の呼び方に気を取られている場合ではなかった。居たたまれなさにメルヴィンの手を引っ張って、陽香は足早にその場から離れたのだった。

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