第38話 思慕

「騎士団長に至急執務室に来るよう伝えてくれ。それから今日の予定は全てキャンセルだ」


侍従のトマスにそう伝えれば、一瞬だけ顔を顰められたもののすぐに部屋から出て行った。王妃の推挙により侍従となったトマスは、信用できないものの優秀な男である。ある程度情報が漏れることも今では受け入れていた。


小さく息を吐きつつ、引き出しから用紙を取り出し必要な情報を書き連ねていく。肩が重く疲労感を覚えるものの、休んでいる暇はない。

会議には王妃派も参加しており、今回の件は既に王妃の耳に入っていると考えた方が良いだろう。


(母上は恐らく関わっていないと思うが、余計な手を打たれる前に動かねばならない)


そう思うのはハルカがアンリの弱点となり得るからだ。息子を便利な駒として使うために有用なハルカを母上が排除する理由がないが、それに乗じて自身の利のために動かれないよう、また狂言であることが気づかれないように慎重な対応が必要となる。


執務室にペンの音がやけに大きく響くようで、その理由をアンリは頭から追い払おうとするが、なかなかうまくいかない。

ハルカから話を聞いてからずっと覚悟はしていたのに、ハルカの不在を実感するたびに胸が締め付けられるような苦しさがあった。


大切で愛しくて幸せになって欲しいと思うのに、どうしようもく寂しい。


「殿下、よろしければこちらをどうぞ」


それでも手を動かしていると、アッシュがミルク入りの紅茶を机の上に置いた。普段はそのままで飲むことが多いが、疲れている時や気分が落ち込んでいる時にはメルヴィンが用意してくれたものだ。


「隊長から教わりましたが、作るのは初めてです。……お口にあうと良いのですが」


伯爵家の次男であるアッシュは自分で紅茶を淹れたことなどないのだろう。緊張した面持ちのアッシュを見て、アンリは紅茶を手に取った。

一口飲むと温かい液体が喉を滑り落ちて、ようやく人心地がついた気がする。


感謝の気持ちを伝えようとしたものの、口から出たのは別の言葉だった。


「……私の騎士を辞めたければ言ってくれ。どこであれ推薦状は書くし、騎士団であれば今なら何かと話を付けやすい」


今回の外出にアッシュを連れてはいなかったが、他の騎士たちから事情は聞いているだろう。隊長であるメルヴィンは部下からの人望も厚く、憧れている者は多い。今回のアンリの処断に不満を抱えている者も少なくないはずだ。


「殿下のご判断に従いますが、私はメルヴィン隊長ではなく殿下にお仕えしております。私は貴方のために剣を振るいたく思います」


淡々とした口調だが真剣な表情に、アンリは自分の言動を恥じた。仕えてくれている騎士を信用してないと暗に告げているようなものだ。


「すまない。不適切な発言だったな。これからも頼りにしている」

「勿体ないお言葉です。もう一つお伝えさせていただけるのであれば、部屋の外に控えている男も殿下を案じております」


アンリの脳裏にはジェレミーの姿が思い浮かんだ。移動中もずっと心配そうな表情で気遣うような眼差しを向けていた。

だがメルヴィンを尊敬していたジェレミーこそアンリに失望してしまった一人ではないだろうか。


「アレは少々考えが足りませんが、実直な男です」


そんなアンリの内心を察したのか、アッシュは先刻の出来事を語り始めた。



アンリの襲撃とハルカの暗殺について、戻ってきた護衛から知らされたアッシュは言葉を失った。さらにメルヴィンがその責任を問われ追放されたと聞いて、アッシュはすぐさまアンリの下へと向かった。

城内とはいえ襲撃されたばかりなのだ。誰の仕業かは分からないが、メルヴィンが不在ならば相手が絶好の機会と捉えてもおかしくはない。


逸る気持ちを抑えながら駆けつけたものの、アンリは国王に談判中で扉の前に立っている訳にもいかず、近くで控えていようと引き返したところで何やら言い争うような声が聞こえてきた。


「あれは隊長のせいじゃないだろう!全員でご進言すれば殿下だって考え直してくださるはずなのに、どうして邪魔をするんだよ!」

「殿下が決められたことに護衛騎士である俺たちが異を唱えるのが正しいことなのか?」


(人気がないとはものの、誰が通るとも分からない場所で諍いを起こすなど……)


そんな愚かな行為をしでかしているのが自分の属する部隊であることに、アッシュは嘆息を漏らした。


「お前は隊長にあんなに目を掛けてもらったのに、この薄情者が!」

「隊長はそんなことを望んでいない。殿下のことを気に掛けて俺たちに託されたんだ」


言い争っているのはジェレミーとデニスだが、その周囲にいる騎士たちもデニスの肩を持っているようだ。


「だがそんな隊長を殿下は切り捨てたんだぞ!長年殿下のために尽くしてきたというのに、あんな方だとは思わなかった」


デニスの発言にジェレミーが顔色を変えた。眉を下げてデニスを宥めようとしていたのに、鋭い眼差しで睨んでいる。


「隊長とアンリ殿下の事情に外野が好き勝手言うなよ!大体アンリ殿下がどれだけハルカ様のことを想っていらしたか知らないわけではないだろう。大切な人を目の前で亡くしたアンリ殿下の気持ちを考えたか?護り切れなかった責任は隊長だけじゃない。俺たちを咎めない殿下をお前たちは責め立てようとしているんだぞ?!」


押し殺した声には悔しさと怒りが滲んでいて、デニスたちは怯んだように息を呑んだ。そろそろ頃合いだと見て取ったアッシュがわざと足音を立てて近づいていく。


「確かにこんなところで囀っている暇があったら、研鑽を積んだ方が余程有益だな」


気まずそうに目を伏せる者、悔いるように肩を落とす者、一様に先ほどまでの苛立ちは収まったようで微妙な空気が漂っている。


「騎士の本分を忘れるなよ。不満がある者は副隊長に申し出るんだな」


そんな人間に殿下の護衛を任せるわけにはいかない。そうしてアッシュはジェレミーとともにその場を後にしたのだった。



「全員が納得しているわけではないでしょう。ですが、殿下に忠誠を誓い騎士としての役目を全うしようとする者も存在していることを、どうかお心に留めておいてください」

「……ああ、ありがとう」


話し終えたアッシュに、アンリはそう返すのが精一杯だった。いつも側にいて護り続けてくれたメルヴィンをあんな風に責め立てれば、騎士たちからの失望や不信感は仕方がないと諦めていたのだ。

それがまさかアンリの心情を慮ってくれるとは思いもよらず、その気遣いが心にしみる。


『あの日の殿下に恥じない行動を取りたいと思っているだけですわ』


そう微笑んだジゼルの表情と、あの日の光景が脳裏に浮かぶ。


ぎこちない所作から周囲に委縮し怯えている様子が伝わってきて、まるで自分を見ているようだと思った。

身体をふらつかせた時に咄嗟に動いてしまったのは、そんな風に考えていたからかもしれない。青ざめ不安を宿した瞳のジゼルを悪意に晒すのは忍びなく、その場から連れ出したのだ。


母上からの言いつけを破ることに躊躇いがなかったわけではないが、ほっとした様子で小さくお礼を告げた少女を見て、自分の行動を誇らしく思えた。少女が傷つかなくて良かったと思えたことが、まだ自分が空っぽの人形でないと実感できたことが嬉しかったのだ。


(あの日の私の行動は無駄ではなかったのだな……)


胸の中の空虚さが少し和らいだような気がした。ジゼルの保護を考えながら、アンリは気分を切り替えて必要な書類へとペンを走らせたのだった。

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