第14話 お詫びの品

カーテンの隙間からこぼれる光を見て、アンリは寝台の上から身体を起こした。

昨晩はあまり眠れなかったが、このまま横になっていても寝付けそうにない。それなら冷たい水で顔を洗ったほうが、まだ気分がすっきりするだろう。


(ハルカは泣いていないだろうか……)


メルヴィンは淡々と報告していたが、アンリの脳裏には何故か泣き出しそうなハルカの表情がちらついていた。誰にも悟られないように自分の感情を深く沈めて何でもない振りをし続けるのは、知らず知らずのうちに心が削られていくものだ。


そんなアンリに気づき躊躇わず手を差し伸べたメルヴィンなら、ハルカもいつか安心して頼れるようになるだろう。そして――その信頼がやがて好意に変わっても不思議ではない。

そう考えれば胸に刺すような痛みが走る。


メルヴィンだけでなく、他の誰かがハルカの恋人になる可能性はあるのにアンリだけは該当しない。誰よりもハルカを傷付け苦しめている張本人なのだから。


大切な人の幸せを願いたいのに、醜い感情が邪魔をする。嫌われても彼女が無事ならそれでいいと思ったことも嘘ではないが、いざその光景を目にして自分は平静でいられるのだろうか。


用意していた詫びの品も自己満足に過ぎず、引き出しにしまいこみ小さく息を吐く。アンリからの贈り物をハルカが望まないのは分かっているものの、謝罪だけでは誠意に掛けるのではないかと考えあぐねている。

メルヴィンからの伝言を預かった従者から、ハルカが二日酔いで寝込んでいると聞いて、心配しつつもどこかほっとした自分に嫌悪感が湧いた。


(会いたいのに拒絶されるのが怖いだなんて情けなさ過ぎる……)


ハルカとメルヴィンを護ると決めたのだから、もっとしっかりしなくてはならない。外出から戻ったとの報せを受けて、アンリはハルカに会いに行くことを決めた。

普段と変わらない表情で迎えられたが、体調も戻ったようで何よりだ。


「護衛の見極めが甘く、ハルカには不快な思いをさせて本当にすまない。詫び……といっては何だけど、よかったら受け取ってくれないかな?」

「……元々は殿下にもらったものでしたし、余分に出来たものだったので大丈夫です」


予想通り断られてしまったが、そもそも詫びの代わりになるかどうか自分でも疑問だったので、良かったのかもしれない。


「中身だけでも確認してから決めたらどうだ?」


メルヴィンが助け舟を出すようにそう告げたが、今回ばかりは流してくれて構わなかったのだ。そんな動揺が表情に出てしまったのか、ハルカが怪訝な表情でアンリを見てから、視線をアンリの手元に落とした。


(興味を抱いてくれたのは嬉しいけど……やっぱり……いや、でもせっかくメルヴィンが口添えしてくれたのだから……)


ハルカの返答を待つことなく、アンリは袋から贈り物を取り出した。


「………ヒヨコ、ですか?」


手のひらサイズのふわふわの布とフェルトで出来たヒヨコだと分かってくれたことにほっとしながらも、説明するのが少し恥ずかしく言葉に詰まる。


「その……これぐらいの大きさなら邪魔にならないだろうし、一応愛らしい見た目にはなっていると思う。……少しは気が紛れればいいなと思ったんだけど、やっぱり要らないよね」


言いながらも居たたまれない気持ちに襲われて、ハルカの顔を見ることが出来ない。ぬいぐるみであれば既製品を買えば良かったのだ。

宝石やドレスであればいつもの商人を呼べばいいだけだったが、ぬいぐるみとなると心当たりがない。

何となく人に頼むのも憚れて、昔教えてもらった簡単な作り方を思い出しながら、ちくちくと針を刺した。


「……ヒヨコ殿下。いえ、もしかしてこのヒヨコは殿下が作られたのですか?」


誤魔化すように素早く言葉を重ねたハルカだったが、その呟きはアンリの耳にも届いていた。ただしそれがどういう意味なのかは分からない。


「うん……。目の辺りが少し歪んで不格好になってしまった。もしハルカがこういう物に興味があるなら、ちゃんとした店の物をいくつか取り寄せよう。その中から気に入った物を選んでくれたらいい」

「じゃあ、これがいいです」


そう言ってハルカはアンリの手からひょいとヒヨコを取り上げる。手に取ってしげしげと眺めているハルカの口元が僅かに弧を描いていた。


(――君が好きだ)


溢れそうな気持ちを何度も胸の中で告げる。伝えてはいけない言葉なのにその笑顔が、存在が、とても愛おしくて堪らない。


(だから君を護るためなら、何でもしよう)




「それで、貴方の運命はどんな子なのかしら?」

「奴隷に落とされていたせいで少しマナーが足りませんね。正妃には難しいかもしれません」


悲しそうに眉を下げる王妃だが、それが本心でないことは知っている。アンリは彼女の望む言葉を与えたに過ぎない。


「そうなのね。異世界から来た子ですもの。あまり重責を負わせるのは可哀想だわ」


最初から運命の相手を正妃に据えるつもりなどなかっただろうに、アンリやハルカのためを思ってのことだと告げれば慈悲深い王妃と捉えられるだろう。王妃が運命の相手の召喚に賛成したのはアンリを懐柔するためであり、自分の派閥に属し従順な令嬢を正妃に据えるためである。


「近いうちに連れてきてちょうだい。挨拶をしておきたいわ」

「母上に会わせるなら、粗相がないようある程度の教養を身に付けさせる必要がありますね」

「まあ、そんなこと言っては駄目よ。可哀そうでしょう」


困ったように窘めているが、その実アンリの運命に何の感慨も抱いていない。役に立つか立たないか、従順か否かという以前に、いなくても困らない存在だからだ。

話を切り上げて席を立つため、不躾にならない程度にカップを空にしようとしたが、少し遅かったらしい。


「セシリア王妃様、ご機嫌麗しゅう存じます」

「いらっしゃい、ジゼル嬢。よく来てくれたわね。アンリ、こちらはジゼル・バゼーヌ侯爵令嬢よ。気立てが良くて聡明な子だから私の話し相手になってもらっているの」


本題はハルカではなく、侯爵令嬢との顔合わせが目的だったようだ。バゼーヌ侯爵と王妃が懇意にしているのは知っていたが、縁を結ぶほどだとは思っていなかった。


「こんにちは、ジゼル嬢。母上の話し相手になってくれてありがとう。女性同士の会話を邪魔してはいけないから、私は失礼するよ」

「お声掛けいただき光栄ですわ。アンリ王太子殿下にお目に掛かれましたこと、嬉しく存じます」


短い会話で切り上げたものの、王妃から制止の声は掛からなかった。


(バゼーヌ侯爵家か。……調べておく必要があるな)


そう思いながらも、アンリは王太子の笑みを張りつけたままその場を後にしたのだった。

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