第15話 呼び出し
(面倒なことになった……)
美人だが厄介そうなこの人は、今のところ陽香に対して友好的な態度を示している。だが昨日こそメルヴィンから要注意人物だと聞かされたばかりなのだ。
こちらの心情を知ってかしらずか、王妃は慈愛の微笑みを浮かべて陽香の正面に座っている。
アンリがヒヨコならこの女性は猛禽類だろう。
優しげに微笑んでいるものの、半ば無理やり連れて来られたのは、王妃付きの騎士のせいではなく王妃に命じられた可能性が高いと陽香は踏んでいる。
外出から戻ってきたばかりの陽香たちへ、まずメルヴィンに陛下からの呼び出しが掛かった。訝しみながらも断るわけにはいかず、大人しくしているようにと言われた直後に、今度は陽香に王妃の使いと名乗る騎士が訪れ呼び出しを受けたのだ。
咄嗟にアンリの名を出して部屋にいるように言われていると断ったのだが、王太子よりも王妃の言葉が優先されるとにべもなく撥ねつけられてしまった。
メルヴィンの代わりに残された護衛もこのタイミングでの呼び出しを不審に思ったらしく、急すぎることを理由に異を唱えてくれたものの、身分と王妃の名を盾にされると逆らえないようで、大人しく応じることにしたのだ。
そんな強引な招待からも、陽香はよく知らない王妃よりメルヴィンの言葉を信用することに決めていた。
「そんなに緊張しないでちょうだい。貴女はアンリの大切な女性なのだし、礼儀作法がなっていなくても仕方のないことだから、気にしないでいいのよ」
鈴を転がすように軽やかに笑っているものの、さらりと嫌味を言われて陽香は王妃を敵だと認定した。
(でも、この人何がしたいんだろう?)
嫌味を言うためだけに時間を取ったわけではないだろう。余程の暇人でなければ、何か目的があるはずだ。それが分からないうちは下手に動くと、後々問題になるかもしれない。
このような駆け引きが得意なわけではないので、さっさと退場させてもらいたいのだが、王妃はどうでもいいような話題ばかりを振ってくる。
「アンリとはいつもどんな話をしているの?」
「アンリはちゃんと贈り物を用意出来ているかしら?あの子はそういうところに疎いから心配だわ」
息子を案じている母親のようだが、何か別の意図があるように感じるのは穿ち過ぎだろうか。
「大した(大して)話はしておりません」
「大丈夫です」
あまり情報を与えなくなくて陽香は簡潔な答えしか返していないが、控えている侍女たちの表情が徐々に険しくなっていく。
繰り返される質問に淡々と返していると、王妃がふっと表情を変えた。
「あら、私ばかり話してしまっているわね。何か聞きたいことはないかしら?何でも答えてあげるわ」
質問ばかりに辟易としていたが、迂闊に訊ねて藪蛇になる事態は避けたい。それに先ほどからじわじわと王妃に対する不快感が募っている。
時折見せる傲慢さや嫌味は大したことはないのだが、形にならない理由が陽香に警鐘を鳴らす。
「いえ、ございません。そろそろ失礼してもよろしいでしょうか?」
「もう帰るの?折角だからお茶ぐらい飲んでいってちょうだいな」
立ち去りたい気持ちが先走って暇を告げたことで、嫌な流れになってしまった。悠然と笑って紅茶を飲んで見せるのは何も入っていないというアピールのようで、逆に怪しいと言わざるを得ない。
「アレルギーがあるので、申し訳ございません」
「アレルギー?……苦手ということかしら?それなら果実水でも用意してあげるわ。お菓子もいかが?市井では口にできないものだから遠慮しないでね」
執拗に勧められるほどに、絶対に口にしてはならないと警戒心が強くなる。だが、断れば好意を無下にしていると取られるだろう。
嫌われるのは一向に構わないが、不敬罪の文字が頭をよぎる。一体どちらがましだろうか。
諦めてはいるものの、積極的に死にたいわけでもないし、相手の思惑通りに事が進むのも面白くない。
「王太子殿下だけでなく、王妃殿下のお気遣いも無下にするとは信じられないな」
小さな声だが静かな庭ではよく通った。陽香の後方には不機嫌さを隠そうともせずにエタンが立っている。
「二人とも喧嘩しちゃ駄目よ。エタンも忠誠心が高いだけで悪気はないの。この機会に仲直りしたらいいわ。ほら、一緒にいただきましょう?」
侍女が運んできたのは、オレンジ色の液体が注がれたフルートグラスが3つ。エタンが口を挟んでくることを予め知っていなければ用意できなかっただろう。
トレイの上に残された最後のグラスに陽香は渋々と手を伸ばす。
(わざわざ自分の領域で毒を入れるのは悪手のはず。多分これは脅しだから何か入っていても死にはしない……証拠ごともみ消されなければだけど)
取り敢えず一口は飲まないとここから逃げ出すことも出来ない。覚悟を決めた陽香を見て、王妃がにこやかに告げる。
「仲良くしてちょうだいね。乾杯」
王妃とエタンがグラスに口を付けるのを見て、陽香はグラスを傾けた時――。
「ハルカ!!!」
必死な叫び声とアンリの表情を見て、陽香の手からグラスが滑り落ちた。
「まだ早いと申し上げたはずです。それに護衛も付けずに連れて行くなんてどういうおつもりですか?ハルカ、部屋にいるように伝えたはずだ。勝手なことをしないでくれ」
温度の低いアンリの表情と声音に面食らったものの、呼び出しを断る際に使った言い訳をアンリが口にしたということは、恐らく伝えたいのは最後の言葉なのだろうと察した。
「そんなに怒らないでちょうだいな。貴方は忙しくて手が回らないと思って、少し躾を手伝ってあげようと思っただけよ」
躾という言葉にまるで犬猫に対する扱いのようだが、きっと王妃からすれば大差がないのだろう。それよりも気になるのは陽香に背を向けたアンリが、その言葉に反応するよう身体を強張らせたように見えたことだ。
「……余計なことをしないでください。ハルカ、行くよ」
手首を摑まれ早足で歩きだしたアンリに陽香は大人しくついて行く。
「ハルカ、あの人に出された物を何も口にしていない?体調は?どこか異常があれば隠さず教えて」
無言で歩いていたアンリだが、部屋に着くなり焦ったような表情で畳み掛けて来る。
「殿下が来てくれたから大丈夫です。……殿下は、大丈夫ですか?」
握られた手から微かにアンリの震えが伝わってくるのをずっと感じていた。だがアンリ自身は気づいていなかったようで、陽香の視線を辿り慌てて手を離している。
「ご、ごめん!触れるつもりはなくて、ただ母上から遠ざけることばかり考えていたから、わざとじゃないんだ!」
「……あの方が何をしようとしていたのか、殿下はご存知なのですか?」
陽香の言葉にアンリはそっと目を逸らして俯くばかりだ。嫌な想像にこれ以上触れるべきか迷っていると、性急なノックに続いてメルヴィンが現れた。
「ハルカ、アンリ、側を離れて悪かった。……大丈夫か?」
「しばらくハルカの周辺には注意したほうがいい。父上にはメルヴィンを呼び出さないよう伝えておくから、今後は無視して大丈夫だ。執務が残っているから後は頼んだよ」
逃げるように去っていったアンリにメルヴィンから目線で問いかけられた。
隠すことでもないと王妃の呼び出しから部屋に戻ってくるまでの経緯を説明すると、メルヴィンは無言で何やら考え込んでいる。
結局何も教えてもらえることもなく不満と疑問は残ったままだったが、ある種の予感に陽香はそれを口に出すことはなかった。
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