第3話 謝罪よりも必要なもの
慌ただしい足音と人の声で目が覚めた。
「意外とよく眠れたな……」
ふかふかのクッションのおかげで固い床の上でも問題なかったようだ。伸びをした時に右手の甲が鈍く痛み、昨日の出来事を思い出す。
無邪気な顔で戯言を抜かすアンリ王子を殴ることに成功したものの、少々威力が弱かったと反省している。もっと練習しておけば良かったと今更ながら鏡の前で拳を交互に突き出していると、乱暴にドアを叩かれた。
「ハルカ様、こちらにいらっしゃるのですか?ドアを開けてください」
聞き覚えのある声は陽香を城まで連れて来た騎士の一人だ。いつまでも洗面室に閉じこもっているわけにはいかないが、開けたら開けたで面倒な気がしてならない。
「何の用?まだ着替えてないんだけど」
扉越しに返事をすると、やけに大きなため息が聞こえた。
「貴女が部屋にいらっしゃらないので、皆大慌てで探していたのですよ。子供じみた振る舞いで迷惑を掛けるのはお止めください」
口調には棘があり、先程の溜息もわざと聞こえるように吐いたのだと察した。騎士と言うのは王族に忠誠を誓うものらしいので、アンリに暴力を振るった陽香は許しがたい存在なのだろう。
とはいえ陽香がそれに付き合う義理はない。
無造作にドアを開け放つと騎士はぎょっとした表情で陽香を見て、慌てて視線を逸らした。
「着替えていないと言ったのにいつまでいるの?朝から淑女の寝室に押しかけるのは失礼な行為ではないのかしらね?」
寝間着として渡されたのは、ノースリーブのワンピースタイプだが、生地がしっかりしており丈も長いため、陽香の感覚では夏の外出用に着てもおかしくないものだ。
だがこちらでは家族以外に見せるものではないらしく、遠巻きに見ていた侍女が表情を引きつらせて駆け寄ってくる。
「ハルカ様、異性の前でそのような姿を見せるのははしたないことですわ!」
「じゃあ何で騎士を部屋に入れているの?自分たちで確かめれば良かっただけでしょう?」
痛いところを突かれたのか、侍女の表情が悔しげに歪む。恐らく碌に確認しないまま、騒ぎを大きくしてしまったのだろう。
(もしくは、それが狙いだったのかもね……)
部屋の入口付近に控えている年嵩の侍女は冷静な態度を崩さずに、静かにこちらを観察しているようにも見える。そんな彼女は陽香と視線が合うと小さく礼をして、悠然とこちらに歩み寄ってきた。
「私どもの確認不足で失礼いたしました。お支度を整えさせていただきますので、少々お待ちくださいませ」
彼女の一言で若い侍女は口を閉ざし、騎士もそそくさと部屋を後にした。彼女がこの場における最高責任者の立場にいるのは間違いないようだ。
「自分で出来るから結構です。思慮の足りない侍女など不要ですので出て行ってください」
そんな彼女に淡々と告げると、陽香を一瞥したものの表情を変えないまま深々と一礼して部屋から出て行く。
信用できない者に身支度を任せたくはない。
「一人で着られる服があるかな……」
昨日のような煌びやかでたっぷりの布やリボンを使った重いドレスは、流石に一人では無理だ。おかげで動きにくく、アンリを殴るのにも向いていなかった。
(何度思い出しても腹が立つ……!)
「運命の相手」だと言われる王子を見ても陽香は何も感じなかったが、アンリのほうはうっとりとした眼差しを向けてきた。いくら外見が整っていようが、憎むべき誘拐犯に好意を寄せられても気持ちが悪いだけだ。
夢を見るのは勝手だが、巻き込まないでほしい。
おかげで「運命の相手」に対する嫌悪感は増す一方で、嫌がらせのつもりで自分の邪魔をした護衛騎士を「運命の相手」に仕立て上げた。まさか失神するほどショックを受けるとは思わなかったが、溜飲が下がったのは言うまでもない。
着替えが終わり暫くソファーで寛いでいると、ノックの音とともに現れたのはアンリと例の護衛騎士だ。
(確かメルヴィンという名前だったっけ?)
成り行きで運命の相手にしてしまったが、変わらずにアンリの側に付いているということはそれなりに重用されているのか、もしくは身分が高いのかもしれない。
立ち上がることもなくむしろ尊大な態度で陽香は彼らを観察していた。
本来であれば立ち上がって頭を下げるのが礼儀だろうが、一度でも相手より下の立場になれば、覆すのは難しい。何より今の陽香にとって王子というより様々な受難の原因を作った張本人なのだ。
当然、部屋の隅に控えている使用人の視線が鋭くなったが、無視する。
絶対に許すものかという態度で臨んでいると、おもむろにアンリが勢いよく頭を下げた。
「今回のことは私の思慮不足で申し訳ないことをした。運命の相手を切望するあまり、同意もなく召喚するなど、あるまじき行為だったと反省している。本当にすまなかった」
素直に頭を下げるとは思っていなかったが、だからと言って受け入れるつもりはない。謝って済むなら警察はいらないのだという言葉をこれほど実感することになるとは思わなかった。
「謝罪は不要ですから、私を元の世界に戻してください」
言葉を詰まらせるアンリの様子に察しは付いた。異世界に行き戻ってきた人の話など、情報で溢れたあちらの世界でも聞いたことがないのだ。
(分かっていたから、ショックもないわ)
「その方法はないと、聞いている。本当にすまない」
「では慰謝料を請求します」
ここからが本題だ。
目を丸くするアンリと対照的に背後に控えていたメルヴィンの表情がすっと真剣なものに変わる。
「慰謝料として5万ベルを支払うこと。直接、間接関わらずアンリ王太子殿下が今後一切私に干渉しないこと。私がトルドベール王国から出国することを妨げないこと。以上を持って、今回の誘拐については不問といたしましょう」
アンリに対する恨みは消えないが、元の世界に戻れない以上怒りをぶつけてもどうしようもない。平民であれば毎月1500ベルあれば十分に暮らせるので生活費3年分程度を慰謝料として要求することにした。生活の基盤を立て直すのに必要な時間に、迷惑料を含めても妥当な金額だろう。
慰謝料をけちるような相手だと嫌だなと思いながらアンリに視線を向けると、未だに驚きの表情を浮かべたまま固まっており、こちらの要求が理解できているのかと苛立ちが募る。
メルヴィンが何やら耳打ちをすると、はっと我に返ったようだ。
「も、もちろん生涯にかけて君の面倒を見るつもりでいる。だが干渉しないと言うのは……」
「殿下の謝罪は口先だけのものでしょうか?」
お金よりも何よりもそこが重要だというのに、何を寝ぼけたことを言っているのだろうか。項垂れてしまったアンリに、一人の騎士が堪りかねたように声を上げた。
「王太子殿下相手に非礼にも程があるだろう!いかに運命の相手であってもそのような口の利き方を看過できない」
「エタン、止めないか」
制止するアンリの声は弱々しい。今朝の陽香の行動に苛立っていた騎士エタンは、憎々しい眼差しを隠しもせず、陽香を見据えている。
「貴方は人攫いに対しても礼儀正しく接するのですか?」
エタンは陽香の言葉がすぐに理解できなかったようで、数秒眉を顰めたのち怒りに顔を染め陽香に詰め寄ろうとしたところメルヴィンに取り押さえられた。
「王太子殿下をあのように侮辱されて大人しくしているなんて、それでも騎士ですか!」
「アンリ殿下は望んでいない。控えろ」
そのやり取りを冷めた表情で見ながら、陽香はさらに付け加えた。
「相手の意に反して連れ去る行為は、私のいた国ではどのような立場の人間であっても、犯罪行為なのですが、こちらでは違うのですか?拉致が許されているなんて随分と野蛮な国ですね」
激昂するエタンとそれを宥めるメルヴィン、声もなく落ち込むアンリに陽香は口の端を上げて微笑んで見せた。
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