第155話














 水滴が落ちる音とかび臭さで、ロキは覚醒した。

 目を開けるとそこは薄暗い神殿の地下牢の中。格子は閉ざされ、ロキは頭の上に持ち上げられた両手を縄で縛られ、壁の拘束具に固定された状態で、地面に座り込んでいた。

 体が痛い、特に後頭部だ。そういえば、強く殴られたのだとロキは思い出した。

 同時に思い出したのは、「黄昏を知っている」と不敵に笑んだミーミルの顔だ。

 どれくらい時間が経った?フェンリルはどうなったんだ?オーディンはまだ戻っていないだろうか。こんなところにいるわけにはいかない。そう思ったロキは声を上げた。


「おい! 誰かいるか! 全部誤解だ! 説明させてくれ! 誰か!」

「静かにしろ」


 まったく気がつかなかったが、どうやら見張り番がいたようだ。ちょうどロキの死角になる壁際に立っていたらしい。

 屈強な体格の男だが、見たことがない。神ではなく人か、エルフだろうか。


「頼む、バルドルを呼んでくれ! ちゃんと説明させて欲しい!」


 ロキが訴えると、男はしばし何か考えるように黙ったまま格子の外からロキの姿を眺めていた。しかし、少ししてから、徐に腰につけていた鍵を取り出し、格子を閉ざしていた大きな錠前を外した。

 牢から出して話を聞いてくれるのだと、ロキはそう思い男の動きを見つめた。


「ありがとう!」


 そうロキが男に声をかけると、男は牢の中に入り込みロキの前にしゃがみ込んだ。


「一回試してみたかったんだよな」

「え?」


 男が下衆な笑いを浮かべたのを見て、ロキの背中が粟だった。


「オメガって相当いいんだろ?」

「なっ……んぐっ!」


 ロキが声を上げるより先に、無骨な男の手のひらがロキの口を掴んで塞いだ。

 もう一方の手がロキの衣服に伸びてくる。ロキが嫌悪感で身を捩ったその瞬間ーー


ーーシャァッ!

「ひっぁぁぁぁぁ! いてっいてぇっ!」


 空気が噴き出すような音の直後、ロキの腕の拘束が解け、同時に目の前の男が悲鳴を上げてのたうちまわった。顔面に紐が纏わり付いて見えるが、男は必死にその紐を引き離し地面に投げつけた。


「ヨルム!」


 紐だと思っていたのは、ロキが創ったオーディンの器、蛇の姿をしたヨルムだったのだ。

 ロキを拘束していたのは、縄ではなく縄に擬態したヨルムだったようで、逃げ出せるタイミングを見計らっていたところ、男がロキを襲おうとしたので噛みついたということのようだ。

 ヨルムに噛まれた男は顔面を押さえたままのたうち回り、フラフラと立ち上がるとあちこちぶつかりながら牢をでた。助けを呼びにいこうとしているようだ。


「あっ、まてっ! 止まれっ!」


 ロキが声をかけた時にはもう遅く、男は地下牢の中心にある冥界の穴の腰壁に躓くと、そのままバランスを崩して穴の中へと飲み込まれていってしまった。

 断末魔が遠ざかり、ロキはゴクリと唾を飲んだ。


「ロキィ……」


 ヨルムが不安げにロキを見上げている。


「ヨルム、大丈夫か⁈ 怪我は⁈」


 ロキはヨルムの体を抱き上げた。

 地面に投げつけられていたようだが、目立った傷はない。ヨルムも大丈夫だと頷いた。


「どうしよう……あいつ、堕ちちゃった……」

「大丈夫、大丈夫だよ、ヨルム……あいつが堕ちてしまったのは俺のせいだ。お前は俺を守ろうとしてくれたんだろ?」


 ロキはヨルムを首にかけ、その丸い頭に頬擦りをする。


「とにかくここを出てよう。バルドルを探して一緒にミーミルや神々に話を聞いてもらわなくちゃ」


 ロキはそう言って立ち上がると、格子の扉を潜った。そのとき神殿に登る階段から、一つの影が降りてくるのに気がつき咄嗟にロキは身構えた。

 ゆっくりと金色の髪を揺らし姿を見せたのは、預言者ミーミルだった。


「ミーミル……」

「見張りはどうしたの? まさか……」


 ミーミルはわざとらしい動作で、冥界の穴に目をやった。もしかしたら、先ほどの一連の出来事を見ていたのかもしれない。









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