第142話
フレイは両手で目元や鼻をこすりながらしゃくり上げている。
「フェ、グスッ……フェンが、昨日……グスッ……ロキが泣いてたって……て、ヒック……きっとオーディンに、意地悪されたんだって……怒って……」
犬の姿のフェンは嗅覚や聴覚が鋭い。だからきっと少しの距離があってもロキの声が聞こえていたのだろう。
「そんな……フェンって、怒ること巨大化するのかっ⁈」
ロキが尋ねると、フレイは大きく首を振った。
「ぼ、僕の……研究中の薬……勝手に飲んで……そ、それでおっきくなって……」
「なんてことだ……」
嘆いたのはトールだ。
「丸呑みならまだ腹を切り裂けば……」
「ふ、ふざけんなよ! そんなことさせない!」
トールに向かってそう言いながら、ロキはフェンを背にして両手を広げた。
しかしトールは、今なお泣きじゃくるフレイを床に下ろすと、今度は腰の剣を抜いた。
「どくんだ、ロキ!」
「嫌だっ!」
ロキは叫んだ。
その直後、背後でどたりと大きな音が鳴り響く。
「フェンッ!」
振り返ったロキはその光景に驚き、転がるようにフェンに走り寄った。
巨大化した白狼が、突然床に倒れ込んでしまったのだ。その体は四肢を伸ばしてビクビクと不自然に震え、口から泡を吹き、目元からはぼろぼろと涙を流していた。
「どうたんだよ! フェン! 苦しいのか⁈」
ロキは震える体を抑えるように、フェンの頬にしがみついた。
「フレイ、どうなってるんだこれ、薬の副作用かっ⁈」
「わ、わからない……っ、でも、今までこんな風には……」
フレイの言葉を遮り、突然、突き抜けるように空気が震えた。
その音に、苦しむフェンリル以外の誰もが一瞬ピタリと動きをとめる。
音は数度にわけて、遠く長く響き渡る。
「今度はなんだ‼︎」
とロキが叫ぶと、トールが中空を眺め、息を飲んだ。
「ギャラホルンだ……」
「はぁっ? ホルン⁈ こんな時に⁈」
誰かがホルンを奏でている。
一体それが何を意味するのか、この場でそれを知らないのは、どうやらロキだけのようだった。
「ヘイムダルの知らせだ……ビフロストが突破された」
トールの声は僅かに震え、その表情は驚愕したかのように眉を寄せている。
「ヘイムダルってだれだよ! ビフロスト……って確か、中層と上層を繋いでる橋だよな……?」
ロキは自らそう言った後で、恐ろしいことに気がついた。ハッと息を止め、その視線を扉の外に向ける。
「巨人族が……蜂起したのか……それって、つまり……」
ーー
誰のものかはわからない絶望の混ざった声音が、どこからともなく聞こえた。
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