第135話

 








 翌朝、広間に現れたロキを見るなり、オーディンは朝食を取る手を止めた。

 

「ロキ、もう平気なのか?」


 そう問いかけてきたのはトールで、ロキは「うん」とだけ応えると、オーディンには視線を向けないまま食卓についた。


「俺の分ある?」


 何も置かれていないテーブルを見つめながらロキが言うと、給仕係が動く気配があった。


「軽めのものにするか? フルーツでも……」

「いや、それと同じのでいい」


 トールの言葉に、ロキはテーブルに視線をおとしたまま、オーディンの食べていた食事を指差した。

 程なくして食事がロキの前にも運ばれてくる。肉類の多いメニューだ。ロキはフォークを握りしめると、勢いに任せて料理に突き刺し、無理やり口に捩じ込んだ。注がれた水でそれを喉奥に流し込むと、また次の一口を捩じ込んでいく。


「なんだチビ。昨日までヘロヘロだったくせに」


 オーディンが「フンッ」と鼻を鳴らした。笑ったのか呆れたのかはわからない。

 ロキはソースのついた口元を手の甲で拭い、今度はパンをちぎってスープに浸してまたそれを口に押し込んだ。


「ロキ……いきなりそんなに食べるのは……」

「レイヤを呼んだのはトール?」

「え?」


 不安げにロキの肩に手を伸ばしてきたトールに、ロキは振り返らないまま尋ねた。その頬は口に押し込んだパンで膨らんでいる。


「あ、いや……呼んだのは俺だが……呼べと言ったのは……」


 そこでトールは言葉を濁した。その視線はおそらくオーディンを向いたのだろう。

 ロキはまた水で口の中にあるものを流し込んでから、オーディンの方へと顔を向けた。

 オーディンはフォークとナイフをテーブルに置き、フルーツジュースの入ったグラスを優雅に傾けている。ロキのことなど素知らぬように振る舞ってはいるが、なんとなくやりどころの無さそうに視線が泳いでいた。

 ロキは椅子から半分立ち上がり、その手をオーディンに伸ばした。

 一瞬周囲が息を止め、オーディンの左眼も驚いたように見開かれる。

 ロキは伸ばした手でオーディンの皿を引き寄せ、自分の前に並べた。そして、上に残っていた肉をフォークで刺してまた口の中に押し込んでいく。


「行儀が悪いぞチビ」

「今更許さないからな」


 ロキとオーディンの言葉が重なった。


「あ? なんだと」

「俺、あんたのこと嫌いだし」


 また重なる。

 オーディンが舌打ちをしながら、グラスを置いた。


「クソみたいに性格捻じ曲がってるし、俺が虐めてるみたいだろっ?って、その自覚がないとしたら、性根からして腐ってる。相手が弱ったら急に焦って取り繕い出しやがって、心底腹が立つ」

「……なっ……ぐっ……」


 オーディンが呻き、トールが口元を押さえて笑いを堪えるように咳払いをした。


「なんだ、神殿を出ていくとでも言いたいのか? 俺は構わないがな? 他の神々やつらが許すかどうかは知らんぞ?」


 テーブルに肘を置いて顎をさすりながらオーディンが言う。眉が歪み、口角を無理やり持ち上げていた。


「出て行かないよ、絶対」

「あ?」

「器を作るまでは、出て行かない」


 ロキは皿の上の最後の一切れを口に押し込むと、フォークをテーブルに投げ置いた。


「さっさと体調戻して、あんたと器を創る。それで俺の役目は終わりだ。あんたはあんたで役目を果たせよ。黄昏を止めろ、何がなんでも止めろ」

「俺に指図するのか」

「指図じゃない、役目を果たせって言ってんだよ、最高神」


 ロキは怯むことなくぴしゃりと言ってのけた。


「あんたが何に絶望しようが、誰に裏切られようが知ったこっちゃないんだよ。自分勝手に世界を終わらせようとすんな、働け! 神だろ! 神!」


 声を荒げ、ロキはテーブルをパシリと叩いた。

 その音に驚いたわけではないだろうが、オーディンは面食らったような表情で瞬いている。

 ロキはグラスに注がれていた水を飲み干し、また腰を上げるとオーディンの前に置かれていたグラスの水も飲み干し、手の甲で口元を拭う。

 広間の中にしばしの沈黙が流れた。


「俺は、あんたから逃げない」

「あ?」

「目的を果たすまでは、ここを離れない」


 自分に言い聞かせるかのように、ロキは言葉を重ねた。

 オーディンは腕を組み、椅子の背もたれに背中を預け、フンッと鼻息を漏らし、「好きにしろ」と一言だけ言った。


「ああ、好きにさせてもらう」


 ロキはそう言うと、テーブルに手をつき立ち上がる。この場を後にしようと、扉の方を向いて数歩進んだところで、ぴたりと足を止めた。


「トール」


 傍に控えていたトールの名を呼び、ロキはゆっくりと足元から顔を上げる。


「な、なんだ?」


 トールは戸惑いながら、ロキの様子を覗き込んだ。


「トール……あの……その……」

「なんだ? どうした……」

「は、」

「は?」

「吐きそう……」


 口を抑え、フラフラとよろめいたロキの肩をトールが慌てて抱き支えた。

「いきなりあんなに食べるからだ!」と焦るトールの声を聞きながら、ロキは必死に逆流を促し蠕動する胸元を抑えて蹲った。








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