月夜の逢瀬
第130話
◇
揺らめく水光の向こうに手を伸ばすと、その姿は当たり前のように、ロキの体を引き上げる。
しっとりと濡れた皮膚、水滴の落ちる白い髪、ロキが鼻筋にキスを落とすと、薄いブルーの瞳が愛しげに細められた。
ーー帰りたい
明確に言葉にしたと言うのに、その声はどこか朧げだ。
ウテナの砂浜、スヴェルトの閑散とした街道、寒い寒いヨトの雪山、暗闇に浮かぶ冥界の泉、アースガルドの壮観な星空。
ーーどこでもいい、お前がいるなら、どこでもいいんだ。早く帰りたい。
「また泣くのかチビ」
差し込む日差しに瞼を照らされ、ロキはゆっくりと覚醒した。
視界に映った薄いブルーの瞳は、同じはずなのに全く違う色に感じる。
ロキはベッドに仰向けに寝ていた。いつのまにか涙が耳を濡らしている。
どうやら力尽きたロキは、昨夜オーディンの寝所で眠ってしまったようだ。
「おい、なんか言え」
オーディンはロキの隣で体を起こし、顔を覗き込んでいる。しなやかな黒髪が肩から流れ落ちていた。
言葉を紡ごうとするのに、声が出てこない。体が酷い怠さを感じていた。
オーディンの髪を掴んでやろうと持ち上げた手は、ほとんど力が入らないままだらりとシーツの上に落ちていった。
ーーもういいや、めんどくさい
ロキはもう一度瞼をゆっくり閉じていく。
「おい、人のベッドで二度寝する気か、起きろ、おいチビ」
オーディンの指が無理やりロキの瞼を持ち上げる。目が乾くしうざったい。
ロキはどうにかみじろぎして、その手を交わすと、毛布を持ち上げ頭まで被った。
「おーい、こら、おいって!」
オーディンは何度も何度も毛布越しにロキの体を揺らしたり突いたり。とにかくしつこかった。
反応を返す気も起きなくて、ロキはそれを無視し続ける。
やがてベッドのスプリングが揺れ、背後の体温がなくなった。諦めたのだろうかと思った矢先、扉を開けたオーディンが廊下に向かって何か声をあげている。
「おい、トール! トールはいるか!」
程なくして足音がすると、呼びつけられたトールが部屋に現れた。
「なんだ? どうした、朝から騒いで」
どこか呆れたようなトールの声がする。
「トール、これはどうなってるんだ、チビが俺のベッドに入ったまま動かないぞ? ゆすっても突いてもダメだ」
「は⁈」
慌てたようなトールの足音が近づいてくる。と思ったら、バサリと毛布を捲られた。
ロキが薄らと目を開けると、ベッドの傍らに膝をついたトールがロキの顔を覗き込んでいた。
ロキの生存を確かめて、トールは一旦安心した表情を見せたが、すぐにその眉は険しく寄せられていった。
「オーディン、ロキに何かしたのか」
「何か? 別に大したことはしていない。昨日は多少強めの香を焚いただけだ。まあ、それから、少し遊んだが……でも、別に大したあれでは……」
「人間はか弱いから優しくしろと言っただろ!」
まるで父親が子供を叱るかのようなトールの声音に、オーディンがぐっと息を飲んだ気配がある。
「だ、だから昨日は優しくした! な、おい、チビ? チビスケそうだよな?」
またスプリングが揺れ、ベッドの上にオーディンが膝をついたようだ。両手でロキの肩を掴んで揺らしてくる。
「やめろ、オーディン」
トールが嗜めるようにオーディンの手を叩いた。
「ロキ、大丈夫か? 具合が悪いのか?」
ロキは声に出さないまま、力のない表情でトールの問いに頷いた。
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