第122話

 トールはあくまで自分の憶測だと前置きした上で、ロキの質問に答えた。


「ロキ、お前が終わりたくない理由と同じだ」

「同じ?」

「そうだ。一緒に生きたい相手がいるんだろ?」


 ロキはトールの言葉に頷きながら、その意味を考えた。


「オーディンには、いない?」


 トールはロキの問いに頷くことも首を振ることもしないまま、ゆっくりと腕を組んだ。


「いなくなったが正しいな」


 いなくなった、つまり、以前はオーディンに大事に思う相手がいたと言うことだ。ロキには思い当たる名前があった。

 

「バルドル……前のロキが冥界に堕として……だから、オーディンは同じオメガの俺を目の敵みたいに扱うのか?」


 光の神、バルドル。この世界だけでなく、オーディン自身もまたその輝きを失ったのだ。

 トールはまた頷くことも首を振ることもしなかった。ゆっくりと組んだ腕を解き、先ほどロキが地面に転がしたグラスを拾い上げた。水は全て地面に溢れてしまっている。


「オーディンも、おそらくまだ迷っている。だから、他の神々の動きに口を出さずに、お前をこの神殿に置いている」

「でも、これじゃ飼い殺しだ……」


 ロキの絞り出すような声に、トールは同意するかのように小さく唸った。


「トール、黄昏はいつ来るんだ……あとどれくらい猶予がある?」


 ロキの問いに、トールはわからないと首を振った。


「しかし、もうそれほど猶予はないかもしれない。ヨトだけでなくスヴェルトやミッドガルドでもの数が激減している。加えて、冬も確実に広がっていた」


 ヨトの巨人族達も厳しい冬で洞窟に追い込まれ、ドワーフの暮らすスヴェルトにも朝が来なくなった。ミッドガルドはまだ光とを残してはいるが、それを失うのも時間の問題なのだろう。

 全てを失い種が絶える前に、おそらく巨人族らは太陽の昇るアースガルドを手に入れようと蜂起するはずだ。


「器を作るって、どれくらい時間がかかるんだ? 人間の女が子供を産むには十月十日かかるんだ」


 ロキがわざわざ人の妊娠期間について説明したのは、トールが神族だからだ。切った首を繋ぎ合わせるような存在が、人間の常識を把握しているとも思えない。


「オメガは器を孕むわけではない」

「血や肉から創り出すってきいた」


 ロキはトールの問いに頷きながら、そう言った。孕むわけではないと言うのは鴉から聞いて知っていた。


「実際に見たわけではないが、おそらくそれに近い形で作り出している。前のロキも、腹を大きくしている気配はなかった」


 トールは当時の記憶に思いを馳せるかのように視線を上向けた。


「あの頃は黄昏の予言もまだなかったからな。オーディンもロキも気の向くままに共に過ごしていた。前のロキが器を作るのにも前触れなんてものはなくて、本当に気まぐれだった」

「じゃあ、交わればすぐ出来るってこと?」

「ある程度、自分でコントロールしているように見えたが、それはオメガ本人じゃないとわからない」

「黄昏の予言がある前から、前のロキは三人もオーディンの器を創ったんだよな……」


 必要に迫られていないと言うのに、何度も交わり器を創ったということは、少なくともバルドルが冥界に堕ちるまでは、オーディンと前のロキの関係は良好だったと言うことだろう。


「まだつけいる隙はあるか……」

「え?」


 呟いたロキの顔をトールが覗き込んだ。


「まだ、諦めないってこと。予言があるまでは前のロキとは上手くやってたんだろ? 俺にもその気になる可能性はまだある」


 そう言いつつも、卑しい臭いチビだと罵るオーディンの表情が頭に浮かぶ。しかし、ロキは自分の後ろ向きな思考を振り払うよつに、拳を握りしめた。


「あれは、そうとう捻くれてるぞ」

「わかってるよ。だから、あんたも何かと手を貸してくれよ」


 頷いたロキの手首に、トールが視線を落とした。そこには熟れた果実のような痣が浮かんでいる。


「わかった」


 トールはそう言って頷いた。









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