第121話

 怒りが徐々に収束して、次に込み上げてくるのはまた別の感情だ。ただ、悲しい。爺が死んだ。もうどこを探しても、爺はいないのだ。


「お? なんだ? 泣くのかチビスケ?」


 オーディンは眉を歪めたロキを見て、面白がるようにそう言った。

 ロキはぐっと鼻に皺を寄せ、込み上げたものを抑え込んだ。


「なんだ、泣かないのか、つまらんな」

「……っくそっ……」

「あー、つまらん。つまらんつまらん」


 オーディンは抑えていたロキの手を離すと、何度も繰り返しそう言いながら、一人神殿の中へと立ち去ってしまった。

 トールがゆっくりとロキの体を地面に下ろす。

ロキの手首にはまたオーディンに掴まれたことで新たな痣ができていた。

 それを見て、またやりどころのない怒りが込み上げたロキは、腕を振り上げ握っていた石を地面に思い切り叩きつけた。








「少しは落ち着いたか」


 トールが言った。

 神殿の中庭が見渡せるテラスに設けられた長椅子に、ロキは背中を丸めて座っている。ロキに水の入ったグラスを手渡し、トールがその隣に静かに腰を下ろした。


「あんたもわかってたんだろ。わかってたくせに、オーディンと一緒になって黙ってた……内心で俺のことバカだと思ってたんだろ」


 ロキは渡されたグラスに視線を落とし、口をつけないままそう言った。

 夜はオーディンの寝所に出向き虐げられ、まともに眠っていない。だから昼間に神殿を出歩く気力も殆どなく、ロキはトールに連れられて初めてこの場所を知った。

 顔を上げれば、造作されたささやかな滝が流れる小さな溜池と、その周りには石畳で作られた小道と、いくつかの花々が植えられている。

 今の自分の心情には似つかわしくない穏やかな景観に、ロキはなおさら苛立った。


「教えてくれ、トール。あいつ……オーディンはいったいどう言うつもりなんだ……俺のことをここに呼び寄せたのはオーディンじゃないのか……俺に器を創らせて、黄昏を止めたいんじゃないのかよ……」


 ロキは嘆き頭を抱えた。

 口を閉ざしたままだったトールがようやく息を吐いた。


「オーディンは、黄昏終わりを望んでいるのかもしれない」

「……は?」


 トールの言葉に、ロキは顔を上げた。


「意味がわからない」


 喉奥が震え、ロキは声を上擦らせた。グラスを握る手に自然と力が入ってしまう。


「そんなの許さない! 俺は……俺はここに黄昏を止めるために来たんだ! 黄昏を止めて……それで、それで……一緒に生きようって約束したやつがいるんだよ! 終わらせるわけにいかないんだ!」


 ロキはグラスを取り落とし、トールの肩を掴んで揺らした。


「多くの者が、お前と同じようにそれを望んでいる。だから神々はこの神殿に集まり、オメガを呼び寄せようと遣いを出したんだ」


 トールは物憂げな表情のまま、庭先の溜池に視線をやりながら言った。


「オーディンは俺に遣いを出したのは自分じゃないって……」

「そうだ。終わりを望まない神々がオーディン変わってお前をここに誘った」


 しかし当のオーディンは一向にロキに器を創らせようとする気配がない。

 健康体に見えるオーディンだが、フレイに聞いた話だと、神も確実に劣化をしているのだ。黄昏に立ち向かうには新しい器が必要なはずだ。


「なぜ……オーディンは黄昏終わりを望んでいると、そう思うんだ……?」


 できる限り声音を落ち着けて、ロキはトールに尋ねた。








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