第120話

 








 烈火の如き怒りが込み上げ、ロキは戦慄いた。

 体の気だるさなどには構っていられない。廊下を乱暴に踏み締め、神殿内を歩き回ると、その相手は中庭で優雅にシャクヤクなどを眺めながらトールと何やら話し込んでいた。

 ロキは何か殴れるものを探し、周囲を見渡した。棒状の物が好ましかったが、とりあえず目についた拳ほどの大きさの石を握る。


「オーディン‼︎」


 ロキは出来うる限りの声量で怒りに任せてその名を呼んだ。

 足は地面を蹴り、石を握った手を振り上げたまま、ロキはオーディンに向かって飛びかかった。


「ぐっ!」


 呻いたのはロキだ。

 またもロキがオーディンに殴り掛かるよりはやく、傍にいたトールがロキの腹に抱きつくように腕を回してその動きを止めた。

 また子供のように抱え上げられ、ロキはトールの肩の上でジタバタとオーディンに向かって、石を握った手を振り上げる。


「なんだチビ、ついに気でも狂ったか?」


 興奮したロキを見て、オーディンは揶揄うような笑みを浮かべながら、最も容易く石を握ったロキの腕を掴んだ。


「おまえっ……俺を騙したなっ!」


 鎖で繋がれた時の傷がまだ治り切らない場所を掴まれ、ロキは表情を歪めながらもオーディンを睨み上げた。


「ヴァルハラには、いずれ行けると言ったじゃないか‼︎」


 ロキの言葉を聞いて、オーディンは声を上げて笑いながら天を仰いだ。


「何を言っている、俺はいずれ行ける者とそうでないものがいる、と言ったんだ。ヴァルハラは死せる英雄の集う場所、黄昏で武功の一つでも挙げれば、辿り着けるかもしれんぞ?」


 死せる英雄……つまりヴァルハラは死者のいく場所だ。鴉は暗に爺が死んだと言っていたのだ。


「まあ、あいつがヴァルハラ死せる英雄の集う場所に行ったとは考えにくいがな、おおかた鴉に憚られたんだろうよ」


 笑いを噛み殺すように、オーディンは口の端を持ち上げた。


「ふざけるな! なんでっ……なんでじーちゃんがっ……!」


 言葉が途切れ喉が詰まる。

 爺が死んだ。いつ? どこで、どうやって? 殺されたのか? 鴉にヴァルハラに行ったと告げられてから、もう随分経つ。爺の遺体はきちんと弔われたのだろうか。

 爺とロキはずっと二人きりだった。自分がいなければ、爺は誰にも看取られず、一人で逝ってしまったのではないだろうか。


「おい、チビ、チビスケ。お前、なぜ俺に怒りを向ける?」

「……は?」

「俺があいつを殺したわけじゃないだろ?」

「お前のよこした遣いがじいちゃんを殺したんだろ!」

「遣い? 俺はお前に遣いなど出したことはない。みな周りが勝手にやったことだ」

「……っ!」


 ロキは奥歯を噛んだ。

 振り上げた拳をどこに下ろしていいのかわからない。








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