第15話

「え、な、い……犬?」


 小屋の扉の前に、三角耳をピンと立てた一匹の大きな犬が前脚を揃えて座っている。足音も息遣いも一切聞こえなかったのはロキが違うことに思考を集中させていたからだろうか。

 光の神バルドルが模した月明かりに照らされたその体毛は、白銀と表現してもいいほどに美しく幻想的に光り輝いていた。

 犬はその薄いブルーの瞳で、ただじっとロキを見ている。警戒して怯えもせず、威嚇する様子もない。


「お、お前、この家の飼い犬か?」


 ロキは犬を刺激しないようにと、ゆっくりと息を吸い込み、穏やかな声音で言った。

 当然、犬は答えない。微動だにせずロキを見つめたままだ。

 ロキは壁を背にして犬から視線を離さないまま、調理場に移動した。

 チラチラと犬を気にかけながらも、ロキはさらに食料を調達するべく貯蔵棚を漁る。

 小麦粉と干し肉があった。小麦粉は水で練って焼けばパンみたいになるだろうか、と思いながら鞄の中に押し込んだ。そして干し肉を握り、顔を上げる。

 犬はまだこちらを見ている。それにしてもでかい。おそらく体長はしっぽの長さを別にしても、ロキよりも大きいように思われた。

 そんな犬が小屋の入り口に座っているのだから、当然ロキは外に出られない。小屋で一晩休むにしても、寝ている間に噛みつかれないか不安だ。

 ロキは手にした干し肉を見つめた。

 そしてもう一度犬を見ると、気のせいか犬の喉がゴクリと動いたように見えた。

 ロキは干し肉をちぎり、右手に握る。犬の体に明らかにぐっと力が入った。「くるぞっ」と言わんばかりに、後ろ足で立ち上がっている。

 ロキは手にしていた干し肉を、犬の後方へと届くようにわざと振りかぶって思い切り投げた。

 目論見通り、干し肉の欠片は犬の頭上を勢いよく通過して、ウッドデッキの外へと落ちた。犬は向きを変えて、颯爽とその干し肉を追っていく。

 ロキは犬の後を追ってドアから表へと飛び出した。

 見ると犬は(たぶん)飼い主の遺体の横に落ちた干し肉を、嬉々とした様子で噛んでいる。

 ロキはゾッとしながらも、ついついその光景を眺めてしまった。

 なんて無知な犬だろう。自分の飼い主が死んだことに気がついていないのか。

 そう思ったら、なんだかその犬が哀れになった。

 犬は干し肉を食べ切ったのか、薄いブルーの瞳に期待をはらんでロキを見上げた。

 言葉がないのに、何が言いたいのかわかるから不思議だ。ロキは今度自分の手に干し肉を持ったまま、ぐっと腕を差し出した。

 犬がハフハフ言いながらウッドデッキを登って小屋の入り口に戻ってきた。デカすぎて最初は怖かったが、餌に釣られてしっぽを振る姿はただの犬だ。そんなに怖いものでもない。

 ただデカすぎて、犬はロキの手ごと口に含んだ。慌てて引き抜いたので、噛まれることはなかったが、手が涎でベトベトだ。


「かわいそうにな、お前……これから一人か……」


 ロキは水桶の水で手を洗いながら、戸の向こうの男の遺体に目をやった。

 犬はまだロキが肉をくれないものかと期待しているのか、戸の前に座ってこちらを見ている。

 デカいが、綺麗な犬だ。可愛がられていたんだろうか。こんな人里離れたボロ小屋で、飼い主と二人きりだったんだろうか。その境遇を勝手に自分と重ねてしまう。

 ロキは少し悩んでから、犬の体を避けながら小屋の外に出た。

 戸の脇にいくつか農具などが置かれているのは気がついていた。その中から、大きなスコップを手に取った。今更気がついたが、その農具が置かれているのとは反対側には、外れた犬の首輪と鎖、年季の入った餌箱がおかれていた。



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