第14話

 ナイフは刃渡が長く、男の胸から切先が飛び出していた。つい少し前、タークの肉を刺した嫌な感覚がロキの手に蘇る。


「うっ……ぷっ……」

 

 胃の奥から込み上げて、ロキは慌てて遺体から離れ、地面に手をついた。腹には何も入っておらず、吐き出されたのは胃液ばかりだ。

 吐き気はすぐに治ったが、動悸や息苦しさはずっと続いていて、不安と恐怖が押し寄せてくる。

 しかし、助けを求めようにも、唯一頼れる爺が今ここにいないのだ。むしろ、自分は爺を助けに行かなければいけない。ロキはそんな風に、強引に自分を奮い立たせた。

 男の遺体の脇を抜けて、開けられたままの小屋の中に入り込む。人の気配はない。あの死んだ男が一人で住んでいたのだろうか。

 入ってすぐに水桶を見つけて、ロキは縋り付くようにその中の水を両手で掬って胃液で汚れた口を濯いだ。

 そこでしばらく呼吸を整えていると、少しずつだが、思考が冷静になっていく。


ーーヴァルハラへ行かれまシタ


 また鴉の言葉を思い出す。


ーーヴァル、ハラ、上層に、ある


「ヴァルハラ、上層にある……ヴァルハラに、じいちゃんを迎えに行かなきゃ……」


 ロキは一人呟き、口の端に溢れた水を手の甲で拭った。

 上層に行くにはどうすればいい?


「まず、ミッドガルドを出なきゃ……海を渡らなきゃ」


 海に行くにはどうすればいい?


「……川……川だ! 川の流れは海に続いているって、前にじいちゃんの本で読んだ!」


 ロキは思考と言葉で、自問自答を繰り返す。

 川に沿って進み、海を目指す。それには何が必要か。


「食べるもの……」


 ロキは立ち上がり、薄暗い室内を見回した。

 暗いところに居続けたおかげで、少し目が慣れている。テーブルの上のカゴの中に、黒パンとチーズを見つけた。

 ロキは入り口脇にかかっていた布のカバンを手に取ると、近くの布巾でそれらを包んでカバンの中に押し込んだ。

 そして今度は、びしょびしょに濡れた自分の衣服の胸元を掴む。


「乾いた服……」


 さらに小屋の奥へと進む。壁に沿って置かれたチェストの扉が中途半端に空いていて、そこから衣服の裾が見えている。

 引っ張り出してみると、シンプルなチュニックと黒いズボンだ。ロキにはサイズが少し大きく上等な品ではなさそうだが、十分着られる。ロキはひとまず、今着ている衣服を脱ぐとそれに着替えた。

 びしょ濡れの靴はどうしよう……遺体からはぐ?いやいや、それは流石に……

とロキが入口の方を振り返った時だった。


「ひっ、ひぇっ!」


 予想しなかった珍客の姿に、ロキは間抜けな声を出し、体をびくりと跳ね上げた。

 

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