第3話

 ◇






 その時まさに、ロキは自分が無知だと思い知った。

 それは今、薄ら笑いでこちらを見下ろす目の前の男たちにも言われたことだ。

 狼と鴉には気をつけろと爺はよく言っていたが、この村の人間にもロキを会わせようとしなかったのは、なるほどこういうことかと今更悟った。


「こいつのじいさんボケちゃってるんで、連れてっちゃっても気づかないっすよ」


 そう言って、地面に膝をついたロキの肩を叩いた赤毛の若い男は先ほど「いい薬がある」などと言ってこの村はずれの馬小屋ににロキを連れ込んだタークだ。

 そして、続々と現れたタークの仲間らしき若い男に囲まれて、最後に堂々たる足取りで現れたやたら身なりのいい男の前に、ロキは今ひざまずかされている。


「こんなツラのいいやつが、まさかこの田舎にいるとはな?」


 積まれた木箱の上に座っていた身なりのいい中年男はそう言いながら、組んでいた脚を解いた。

 膝に腕を置き、ロキの顔を覗き込むと、その無骨な指でロキの顎をしゃくる。

 前歯が一本金色だ。少し先の大きな街……リドネブの商人で、たまたまこの村を訪れて宿屋に泊まっていたそうだ。名前は……


「どうですか、シタルさん、売り物になりますよね?」


 そうだ、シタルだ。と、ロキはリドネブの商人シタルのボタンを弾き飛ばしそうなほど前に出た腹を眺めた。

 シタルは貴金属から、家畜や土地や、人間までもを取り扱うと、先ほど得意げに話していた。


「少しばかり癖毛で短いが……亜麻色の髪はこの地域じゃ珍しいな?」


 鑑定士さながら、シタルはロキの顎を傾け右から左からと熱心に値踏みをしている。


「それに、この翡翠の瞳も」


 今度シタルは両手でロキの頬を掴み、目の下に親指を当てて皮膚を下げた。


「実は出自は不明なんす。オヤジの話によると、こいつが赤ん坊の頃突然村に連れられてきて、ずっと奥のぼろ家に隠れ住んでて」


 隠れていたわけではないのだが、まあ、殆ど村人との関わりを避けていたので、そう思われても仕方ないだろう。


「おまえいくつだ?」


 シタルはロキの出自にはあまり興味がないようだ。とにかく今、目の前にいるものの情報を得ようとしている。

 実は爺がちゃんと数えていなかったせいで、ロキの年齢は曖昧だ。

 ロキが「成人したばかりだ」と自信なさげに答えると、「そりゃあいい!」とシタルは片側の口角をいやらしく持ち上げた。


「これ以上は大きくならないってことだな? もう少し髪を伸ばせば女の代わりになるだろうし、もともと男色のやつらにも受けは良さそうだ」


 ロキは話が上手く飲み込めず、あちこち視線を泳がせた。「ターク……薬は……?」と尋ねたが、当のタークに鼻で笑われてしまった。

 

「これだけの器量なら、巨人族に売っぱらうのも手だな?」

「うっぱ……らうっ……?」


 ロキは口元で、シタルの言葉を繰り返した。

 だんだんと状況が飲み込めてきた。騙されたのはだいぶ序盤で気がついていたが、どうやら自分は勝手にこのシタルという商人に売られてしまいそうになっているようだ。それに気がついたロキの背中を滲んだ汗が滑り落ちた。


「巨人族に売っちまうんですか? ただでさえ、奴ら女を外に連れてっちまうじゃないですか」

「そうっすよ、この頃女が生まれにくくて、若いのは貴重だっていうのに」

「たまにリドネブの娼館に遊びに行ったって、若い女は目ん玉飛び出るくらい高いんだし、男娼くらいは見た目がいいのを俺らに当てがってくれてもいいと思うんだが」


 そう言いながら、タークの仲間の一人がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、ロキに手を伸ばした。

 シタルはその手を足で蹴り飛ばすと、「買うっつってんだから、もう俺の商品だ」と言い放った。

 何を勝手に……とロキは思うが、話が着々と進んでいく。

 シタルが懐からたっぷり膨らんだ革の袋を取り出し地面に放り投げると、男たちが拾い上げて中を覗いて歓声を上げた。


「ま、待て! 売るとかなんとか、おかしくないか? 俺は俺のものだし、なんで俺を売ってタークたちがお金もらうの」


 そう訴えると、タークがロキの前にコインを一枚投げてよこし、「わけ前だ」と鼻で笑った。

 ああ、これダメだ。逃げなくちゃ。

 殆ど本能でそう悟ったロキは、タークが投げてよこしたコインを掴むと、ちょうどシタルの背後に繋がれていた馬の顔面目掛けて投げつけた。









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