揺らめく無数の赤い光
「……結局、ここまで何もなかったなあ」
禁忌の森の抜け穴に入ってから、およそ六時間。
星の輝く夜空を見上げ、ジェフリーがぽつり、と呟いた。
少しくらい罠や赤眼の魔獣が待ち構えていると思っていたのだが、それらに一度も遭遇することもなく、抜け穴の洞窟も一本道。あまりにもすんなりと外に出られたことに、ジェフリーは首を傾げずにはいられない。
「そういえばここ、王国のどのあたりになるんですかね……」
「正確には分かりませんが、星を観測した限りではギルラントから東に進んだ位置のようです」
「あー、確かにそうかもな」
エマの質問に答えるカイラに、ジェフリーが頷く。
既に夜になりあたりが暗闇のためはっきりとは見えないが、西の方角に山の輪郭がある。あれはクロム=クルアハ山で間違いないだろう。
「ということは、あの魔獣はこの先の海から、川を上って王都へ来たのか」
「そのようですね。ですがそうなると、この穴はあの青鱗の魔獣を外に出すためだけに作られた、ということでしょうか……」
「さあ……」
抜け穴に何もなかったことが、三人を余計に不安にさせる。
「まあ、どちらにしてもこの穴は絶対に塞がないといけない。またあの魔獣みたいに、禁忌の森の外に出てきてしまうだろうからな」
穴を掘るのならともかく、塞ぐだけなら壁と天井を破壊してしまえばすぐにできる。
来た道を引き返しながら塞いでいけば、それで後始末は完了だ。
だが、その前に。
「ひょっとしたら、既に赤眼の魔獣が何体か外に出ている可能性も考えられる。念のため周囲に痕跡がないかも含め、ちょっと確認してくるよ」
「「はい」」
二人に見送られ、ジェフリーが夜の暗闇の中へと消えた。
すると。
「それで……何が目的なんですか?」
「…………………………」
ジェフリーがいなくなるや否や、エマは金属製の巨大なメイスをカイラへと向ける。
突然王国軍を退役し、辺境の街ギルラントへやって来たこと。
ギルド長のヘンリーに何かしらの書簡を渡し、冒険者ギルドの職員として居座ったこと。
ジェフリーと手合わせを行い、彼の実力を推し量ったこと。
そして……勝手に二人の後をつけて禁忌の森に入ってきただけでなく、ジェフリーの人の
そのいずれの行動をとっても、カイラが明確な意図を持って近づいてきたことは明白。
おそらくは、赤眼の魔獣とジェフリー=アリンガムこそが彼女の目的だろう。
そのことは聞かずとも分かっているが、それでも、エマはあえて問い
この世界で信頼できるたった一人の大切な人を、赤眼の魔獣以外のものから守るために。
「早く言いなさい」
「…………………………」
「『言え』と言っているんですよ」
エマの藍色の瞳は、周囲の闇よりも深く暗い。
それは『撲殺の堕天使』として全ての冒険者と魔獣を憎悪し、無慈悲に叩き潰してきた八年前のあの頃のように。
「私は……」
これ以上口を
そう理解したカイラは、仕方なく口を開こうとしたのだが。
「ちょ!? 二人とも何をやってるんだ!?」
暗闇の中からいきなり現れたジェフリーが、二人の間に割って入る。
元々仲が悪い……というか、エマが一方的にカイラのことを嫌っていることは知っていたが、まさかここまで一触即発の状態になるとは思ってもおらず、ジェフリーは二人きりにしてしまったことを後悔した。
「何でもありませんよ。ただ、少し虫の居所が悪かっただけです」
そう言うと、エマは口を尖らせ、ぷい、と不機嫌に顔を逸らす。
カイラもカイラで、答えるつもりはないとばかりに背を向けてしまった。
「ハア……頼むよ本当に……」
頭を掻き、溜息を吐くジェフリー。
一応は禁忌の森の外ではあるものの、危険が去ったわけではない。
だというのに、こんなところで揉め事なんてしている場合じゃないのだ。
(やっぱりカイラ殿を同行させず、素直にギルラントに送り返すべきだったか……)
一刻も早く抜け穴の正体を探り、被害を最小限に留めることが先決だと判断したのは自分。今さら悔やんでも仕方がない。
「暗くてしっかりと確認できたわけじゃないが、少なくともこの周辺に危険な様子は見られなかった。とりあえず、引き返すことにしよう」
「はい」
「……はい」
二人は頷き、抜け穴の中へと戻るジェフリーに続く。
だが背中越しに感じる二人のぎすぎすした様子に、ジェフリーはこの場から逃げ出したくなった。
そんな空気の中、洞窟の中を進むこと一時間。
「これは……っ」
洞窟の先から聞こえる、大型魔獣の足音。それも複数どころか、かなりの数のものが確認できる。
「……エマ。カイラ殿を連れて、今すぐ出口に引き返すんだ」
「っ!? ジェフさん、私も!」
「駄目だ。まだ連中を確認できてはいないが、足音から上層の魔獣がいる可能性が高い。もちろんエマの実力が劣るからとかじゃない。ただ、カイラ殿を一人にして危険に
ジェフリーは向かってくる赤眼の魔獣を全て
何より。
「大切な教え子の部下を、無事に帰してあげないといけないからな」
「っ!?」
思わず息を呑むカイラに、ジェフリーは微笑みかける。
彼はカイラがギルラントに来たのは、元教え子であり王国軍参謀長クローディアの指示によるものだと考えていた。
なら、彼女に何かあっては、師としてクローディアに面目が立たない。
……いや、大切な教え子が大切にしている者を、師である自分が守らなくてどうするのだ、と。
「悪いがエマ、お前だけが頼りなんだ」
「……そんな言い方をするなんて、ずるいですよ」
頭を下げるジェフリーに、エマは悪態を吐く。
彼女の心の中は複雑で、世界でただ一人の大切な人から信頼され任された喜びと、信用ならないカイラのせいで不利な状況に追い込まれたことへの苛立ちがせめぎ合っていた。
それでも。
「任せてください。彼女は、私が守り抜いてみせます」
エマは笑顔を見せ、豊満な胸を叩く。
彼女にとって何よりも優先すべきは、ジェフリーの言葉。なら、自分の感情など二の次だ。
「さあ……二人とも行くんだッッッ!」
「「はい!」」
暗闇の中で無数に揺らめく血塗られた赤の光に向かってジェフリーが叫ぶと、エマとカイラは抜け穴の出口へ向けて全速力で駆け出した。
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