抜け穴の中へ

「そこにいるのは誰だ」


 生い茂る草むらの先に鋭い視線を向け、ジェフリーが声をかける。

 エマも、背負っていた巨大なメイスを手にして臨戦態勢を取った。


 すると。


「…………………………」


 現れたのは、クローディアの元秘書であり、今は二人の同僚であるカイラ=リンドグレーンだった。


「カ、カイラ殿、どうやってここに……?」


 まさかこんなところで遭遇すると思っておらず、ジェフリーは困惑する。

 先日の試合でカイラの本当の実力を知っているが、それでも、禁忌の森の中層どころか入り口付近の赤眼の魔獣にすらてこずるだろう。


 つまり彼女はその程度・・・・の実力しか持ち合わせておらず、こんなところに一人で来れるはずがないのだ。


「早朝、たまたま・・・・早めに出勤するとお二人が装備を整えてどこかへ向かわれたので、気になって後をつけたんです。そうしたら……」

「あー……」


 無警戒で森に入ったことを後悔し、ジェフリーは頭を抱える。

 ギルラントの冒険者であれば、危険な禁忌の森に足を踏み入れてはならないことは、破られることのない不文律。だがカイラは、まだ王都からこちらに来て日も浅い。


 こういったことは、少し考えれば予測できたことだった。


「それに、魔獣達はジェフリー殿とエマ殿が全て倒してしまわれ、私が襲われるようなこともありませんでしたので」

「ああー……」


 基本的にジェフリーは、視界に捉えた赤眼の魔獣は全てほふらねば気が済まない。

 なら、すぐ後をつけているカイラが、魔獣に襲われる危険もないのは当然だった。


 つまり、ジェフリー自身が彼女の露払いをしていたわけだ。


「ジェフさん。彼女が勝手にのこのことついて来たんですから、放っておけばいいんです。だからあなたが責任を感じる必要はないですよ」


 ジェフリーを慰めつつ、エマはカイラに向け殺気を放つ。

 禁忌の森を単独で闊歩かっぽする実力もないカイラが、何の目的かは知らないが自ら危険に飛び込んだだけ。ジェフリーの足を引っ張る存在など赤眼の魔獣の餌になればいいと、エマは本気で思っている。


 何より、自分でさえ八年もの年月を経て信頼を勝ち取り、ようやく同行を許されて一緒にここまで来ることができたのだ。

 それなのにほんの僅かな期間の関わりしかないカイラが一緒にいるなど、どうして許すことができるだろうか。


 だが。


「ハア……一刻を争う以上、カイラ殿を連れて禁忌の森を出て、またここに戻ってくる時間も惜しい」


 溜息を吐き、頭をくジェフリー。

 エマとは違い、大切な教え子の元部下を無碍むげに扱うことなどできない。


 様々なことを天秤にかけ、ジェフリーは渋々カイラの同行を認めた。


「……はい」


 そんな彼の決定を、エマは苦々しくも受け入れる。

 この森において、ジェフリーの決断は絶対。何より、自分が反発して彼の足を引っ張るなど、できるはずがなかった。


「ただし、俺とエマの指示には必ず従うこと。そうでなければカイラ殿の命の保証はできない。それと……万が一の時には、俺は迷わずエマを優先する」

「あ……」

「……それで構いません」


 ジェフリーに少し厳しい口調でそう告げられると、カイラは静かに頷く。

 彼女からすれば後をつけたことをとがめられ、見捨てられたりされるわけでもなく、むしろ同行を認められたのだ。これ以上の結果は望めない。


 だが、それ以上にエマは彼の言葉に酔いしれていた。それこそ、カイラのことなどどうでもいいほどに。


 当然だ。ジェフリーはカイラではなく、自分を優先すると言ってくれたのだから。


 もちろん、お人好しの彼がカイラを見捨てたりしないことは最初から分かっていた。

 それでも彼は、こうして自分を優先すると言葉にしたのだ。


 そんな二人の様子を見つつ、ジェフリーは一人溜息を吐く。

 実力の劣るカイラが加わったことで、今回の調査の難易度が格段に上がった。これからは、常にカイラを気にかけ続けなければならない。


「はあ……どうしたもんかなあ……」


 ジェフリーは空を見つめ、もう一度溜息を吐いた。


 ◇


「かなり奥まで進みましたね……」

「そうだな。だが禁忌の森の外に出るとなると、これでやっと半分というところか」


 ジェフリー達三人が抜け穴の中に入って、既に三時間は経過した。

 どこまでも続く暗闇の中は驚くほど静かであり、少なくとも赤眼の魔獣の気配はない。


 とはいえ。


「油断するなよ。ここまで順調に来られたとはいえ、この先に何があるか分からないからな」


 このような抜け穴を作った連中のこと。侵入者対策として、各所に罠などを配置していてもおかしくはない。

 それに、この穴は赤眼の魔獣を外に出すためのもの。なら、不意に魔獣と遭遇する可能性もある。


「もちろんです。迷宮や遺跡もそうですが、こういった場所では細心の注意を払わないと」


 ジェフリーの言葉に、エマは険しい表情で頷く。

 八年前に迷宮内で仲間に裏切られたエマは、そういったことも含め全て考慮しなければならないことを、身をもって知っていた。


 つまり、カイラの裏切りを。


「この穴は、どこへ繋がっているのでしょうか」

「分からない。だが一つ言えることは、この穴の出口は禁忌の森の外であり、ここを通ってあの青鱗の魔獣は誰にも悟られることなく王都に出没ができたということだ」


 カイラの問いかけに、ジェフリーが答える。


 王国の調査では、あの魔獣の目撃例はないとのこと。

 王都までどうやって姿を隠したのかは分からないが、抜け穴を幻影魔法で隠していたことを考えると、ひょっとしたら同じように幻影魔法を用いたのかもしれない。あるいは、この抜け穴の出口が海に繋がっている可能性もある。


「……いずれにせよ、この穴を作った連中の中に魔法使いがいるのは分かっている。となれば……」


 ジェフリーは口元に手を当て、眉根を寄せる。

 脳裏に浮かんだのは、まずは誰よりも魔法を得意としたかつての教え子。


 だが教え子だからこそ、ジェフリーは赤眼の魔獣の危険性について十二分に叩き込んである。

 決して赤眼の魔獣を禁忌の森の外に出すという、そんな愚行を犯したりはしないはず。


 なら、次の可能性は。


「……カイラ殿に言っておく。もし人の言葉を話す赤眼の魔獣に遭遇した時は、何も考えずにただひたすら逃げろ。間違っても戦おうとはするな」

「人の言葉を話す魔獣、ですか……?」


 ジェフリーの言葉に、カイラは思わず尋ね返す。


 そもそも魔獣が人の言葉を操るなど、聞いたことがない。

 だというのに彼は、とても冗談を言っているようには見えなかった。


「あなたは知らないでしょうけど、赤眼の魔獣の知能は極めて高いんです。私もまだ遭遇したことはないけど、そういう個体がいることはジェフさんから教わっています」


 補足するように、冷たい声でそう告げるエマ。

 人の言葉を話す魔獣に出遭ったことがないはずなのに、それでも確信を持って話すのは、ひとえにジェフリーに対し全幅の信頼を置いているからに尽きる。


 一方で、そのような話をにわかに信じられないカイラ。

 あの魔獣博士ロバート=シルトンがこのことを知ったら、『あり得ない』と一笑に付すだろう。


 だがジェフリーとエマは、とても冗談を言っているように見えない。

 カイラは頷き受け入れた姿勢を見せつつも、話半分に留めた。


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