『審判の射手』の未来を決めた過去

 ――『審判の射手』アリス=ウェイクの未来を決定づけたのは、三年前のあの日・・・


 当時、彼女はまだ成人を迎えておらず、冒険者ですらなかった。


 アリスの父は王都でも名高い白金等級の冒険者……だったが、彼女が八歳の頃に受けた魔獣討伐の依頼に失敗し、帰らぬ人となってしまった。

 それを受け、彼女は母とともに王都を離れ、祖父母が暮らすギルラントに移り住む。


 そしてアリスは、父の形見である弓を手に、毎日弓の弦を引く。

 ……いや、弦を引こうとするが、引き絞ることができないと言ったほうが正しい。


 当たり前だ。

 彼女の父の弓は鋼鉄を幾重にも重ねており、扱うためには尋常ではないほどの膂力りょりょくと技術を必要とする。


 それでもアリスは、一心不乱に弓の弦を引く。

 いつか、父と同じような立派な冒険者になるために。


 いつか、父の仇を討つために。


 王都の冒険者ギルドからは、引き渡された父の形見の弓とともに全ての顛末を伝えられた。

 父はギルドから最近頻繁に出没するオークの群れの討伐の要請を受け、他の冒険者と共に王都の南にある森へ向かったとのこと。


 オーク単体なら銀等級指定だが、あの魔獣は群れを形成し集団で襲いかかる。

 また、ごくまれに上位種であるハイオークが出現することもあり、こうなると銀等級どころか金等級の冒険者でも手に負えない。


 そのためギルドは白金等級の冒険者達に討伐を要請したのだが、両親を含めた冒険者達が王都を発ってから一週間が経っても報告がない。

 不審に思ったギルドは、念のため別の白金等級の冒険者達に彼等の調査を依頼した。


 すると……討伐に向かったはずの白金等級の冒険者達は、大量のオーク達とともに無残に殺されていたのだ。

 首も、胴体も、手足もずたずたに切り裂かれ、地面に転がる身体の一部が誰のものなのか、判別がつかないほどに。


 それはオーク達も同様で、その状況から白金等級の冒険者達はオークではなく別のなにか・・・によって殺されたのだと判断した。


 あまりに凄惨な状況だったため、ギルドから詳細な事実まではアリス達家族に語られることはなかった。


「……絶対に、お父さんの仇を討つんだ……っ」


 だからこそ、彼女は憑りつかれたように弓の弦を引く。

 雨の日も、晴れの日も、夏の暑い日差しの下でも、冬の凍えそうな寒さの中でも。


 父の死の真相を知るため、父を殺したなにか・・・ほふるため。


 それから六年が経過し、アリスは十四歳となった。

 父親の死後、変わらず彼女は弓の弦を引くが、未だほんの数ミリしか引き絞ることができない。


 とはいえ、普通の少女では扱えない鋼鉄製の弓を、左手で微動だにせずに構えるだけの腕力は備わった。

 でも……それでも、弓を引き絞ることができないのだ。


(……どうして……どうして……っ)


 六年もの月日を全て形見の弓に捧げてきたアリス。

 悔しさと自問自答を何度も繰り返すが、そうすることしかできない彼女は、それでもなお弓を扱えるようになると信じ、今日も街の外れで力の限り弓の弦を引く。


 そんな少女の不屈の心が、偶然を……いや、必然・・を生んだ。


「あー……惜しいなあ」


 背中越しに不意に聞こえた、男の声。

 アリスが振り返ると、そこにいたのはどこか頼りなく見える、冒険者風の男だった。


「…………………………」

「おっと、そう睨まないでくれ。君がもう少しでその弓を引けそうだったから、つい」


 そう言うと、男は恐縮して頭を掻く。

 二人の年齢は少なくとも十歳以上は離れているように見えるが、それでもへりくだって話す男の様子からか、アリスはつい不機嫌さを露わにする。


「……おじさんには関係ない」

「おじっ!? ……こほん、まあいい。それより、その弓は力任せに引っ張っても弦を引き絞ることはできないぞ」

「……っ! 余計なお世話!」


 男の台詞セリフがまるでこの六年間を否定されたようで、アリスはついかっとなり滅多に出さない大きな声を上げた。


「まあまあそう言わず、どれ……」

「……ななななな!?」


 そんなアリスの声を軽く受け流し、男は彼女のそばへ寄ると、手を添えて弓を引く構えを取らせた。

 多感な年頃のアリスは、無遠慮に触られて思わず悲鳴を上げそうになるが、ぐっとこらえる。


 何故なら、男の表情はただ彼女に弓の扱い方を教えたいという思いであふれていたから。


 形見の弓を扱えるようになりたいという願望が彼女にそう思わせ、見間違えてしまったのかもしれない。だがアリスは、不思議と男に対してどこか懐かしい匂いを感じた。


 それはまるで、幼い日に父に手ほどきを受けたあの時のように。


「構えが安定していることからも、この弓を扱うために必要な膂力りょりょくは充分。あとは、その力の使い方だけなんだが……ひょっとしてこの弓、誰かから譲り受けたものかい?」

「……分かるの?」

「まあな。君の体格には不釣り合いだってこともあるが、とても大切に扱われている。きっとこの弓の前の持ち主は、かなりの腕前なんだろうな」

「……っ」


 男の一言に、アリスは嬉しくなる。

 自分の父親が褒められたみたいで。


「話が逸れた。まあそういうわけだから、使い方もこの弓が教えてくれている。後ろ足に重心を置き、少し左の肘を曲げて、右は矢をつがえ狙う先をしっかりと見据みすえる」

「……こ、こう?」

「そうだ。そして一呼吸。ゆっくり息を吸って、吐いて、吸って……」


 言われるがまま、アリスは男と呼吸を合わせると。


「今だ! 身体を右に一気にひねり、その反動で左腕を前に突き出せ!」

「……ん……っ!」


 男は合図で、アリスは半身になり左腕を勢いよく前に突き出した。


 すると。


「……あ」

「よし! ばっちりだ!」


 六年間、来る日も来る日も弓の弦を引き絞るために、努力と鍛錬を重ねてきた。

 その積み重ねが今、形となって現れたのだ。


「……あああ……あああああ……っ」

「はは! やったな!」


 まるで自分のことのように、大はしゃぎの男。

 涙であふれたアリスのアメジストの瞳には、弦が引き絞られた何よりも大切な弓が映っていた。

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