第六章 新歓コンパは第一印象に命をかけろ。にゃん☆
早朝、両脇に樹々が立ち並ぶ階段を駆け抜けて下りていく。
枝葉の合間から射す陽光は眩しく、澄んだ朝の空気の中ではいっそう美しく映える。時折、小鳥のさえずりも耳に届く。
アパートからジョギングしていて偶然見つけたのだが、近場にこんな大きな公園があるとは幸いだった。住宅街に囲まれながらも、まるでその一帯が森であるかのような自然公園だ。小高い山の中を人工林が立ち並び、傾斜があり、土を固めて木材で舗装して作られた階段は足腰の鍛錬にもってこいである。
気分はいい。ここなら坂道ダッシュができそうなところも多くあるし、樹齢を積んだ立派な大木は立木打ちに使えるだろう。
下り路を走り終えると広場に出た。学校のグラウンド並の面積があり、犬を連れた人や散歩をするお年寄りの姿も見える。
外側に沿ってクールダウン。ゆっくりと走る。通りがかる人が、「おはようございます」と声をかけてくるので、俺もそれに応える。
こんな何気ない触れ合いも、新しく住む街だと新鮮に思えるものだ。
――今日は大学での講義を終えたあと、例のサークルで新入生歓迎コンパがある。
昨日の夜、朝倉先輩から集合場所と時間が書かれたLINEがきた。夕方には今後通うつもりの道場へ挨拶に行くつもりだったが、そのあとでも十分間に合う。
矢木内は当然行くらしく、「もちろんお前も来るよな!?」と送ってきた。天宮先輩がいるならばもちろんだが、そうでなくともこれから大学で関わることになる先輩たちと交流を持っておくのは大事だ。講義や進路で教わることも多いだろう。
そう――俺は大学生になり、新生活はもう始まっている。
引っ越しの日に天宮先輩と出会った衝撃で感慨も吹き飛んでしまっていたが、今日になってようやくその実感が湧いてきた。
……俺は天宮先輩を追って、この大学に来たんだ。
自分がやりたいこともあっての選択であったが、それが一番の理由であることを認めないわけにはいかない。あの人とした約束――再戦の約束があったから、俺はこの大学を志望したのだ。
それをあっさり反故にされ、俺は打ちのめされ失望した。だが、その現実を容易に受け入れられるほど、俺は諦めがよくも物分かりのいい人間でもなかったらしい。
あの人がどれだけ空手に情熱を傾けてきたかを俺は知っている。すぐ側で、何年も見続けてきたのだ。
それだけ頑張ってきたものを辞める――何か、信に足る理由を得るまで納得することはできない。
エゴだとしても、俺が前へ進むためにはこの執着が満足するまで行動するしかないのだ。
……さて、ダッシュ十本、行くか!
息が落ち着いたところで、走っている途中で見つけた石階段の方へ足を向ける。
風は心地よく空気はうまい。
実にいい稽古場を見つけた、と思った。
※
駅前商店の並びにある格安居酒屋『一平』。駅を出てすぐのレンガ広場で待ち合わせ、集まった近代エンタメ文化研究会の一行と新入生八名(俺と佐助以外は全員女子だ)はそちらへ移動し、座敷席にて顔を合わせた。
「――何やぁ、今年はずいぶん女子が多いなぁ……」
座敷には六人席が二つ。奥の真中に座り、メンツを見据えてドラ声の関西弁で言い放ったのは、肩にかかる金髪を横分けにした釣り目の女性だ。
「ウチの同人誌が功を奏したみたいっすねぇ~みなみな方、そちらに興味津々っすよ~!」
女性の右に座る朝倉先輩が得意げに言う。金髪の女性は鬱陶しそうに眉をしかめた。
「ちっ……まみのBL目当てかい。あたしら腐女子の漫研ちゃうよ」
「いいじゃないっすかぁ~この際そっちに舵切りましょうよぉ~。漫研ともテーマで差別化できますしぃ~。そしたら移ってくる人も~いるかもしれないじゃないっすかぁ~」
「ふ……腐女子は、朝倉だけでいい……た、多様なジャンルで集まるから、き、近代エンタメ文化、なんだろ……」
金髪女性の左、前髪を長く伸ばし、やや丸々とした身体つきの男性がどうにか聞き取れる程度の声でぼそぼそと告げる。
「何言ってるんすかぁ、コーイチさんっ! そういう排他的な態度を取るからっ、ウチは万年人手不足なんすよっ!」
「べ……別に、今に始まったことじゃないし……び、BL描きたきゃ、漫研と兼ねりゃあいいだろう……」
「や~。あそこ、何か体育会系のノリあって苦手なんすよ~。コミケ前は特にピリピリしてるしぃ~」
「ってかさくらはおんのかいっ! あいつ〝今日は空いてる☆〟 とか抜かしとったのにっ! 食えんやっちゃあなぁ!!」
「〝最優先事項で行けないぴえん(;_:)〟 らしいっすからねぇ~。ま、さくにゃんらしいっすけど」
……どうやら、天宮先輩は来ないらしい。
期せずして上級生席の向かいに着いてしまった俺は、三人の会話を聞き微かな失望を覚えた。ちなみに隣の矢木内はうしろの六人席に座る女子に「何学部? 俺文学部の言語文化! あ、LINE交換しよっか?」などとまめまめしく話しかけている。
上級生が目の前だというのにいい度胸だ。話しかけられた女子たちは露骨に迷惑そうな顔をしているが。
「……えらい軽そうなのもいるのぉ……おい、それお前のツレか?」
ドスの利いた声で女性は俺に訊いた。こいつと同類に思われるのは癪だが、否定もできないので仕方なく頷く。
「ほーん。自分はずいぶん渋いツラしとるやん。浪人上がりか?」
「いや、現役ですよ」
「ほんまかい。三十代言うても通用するで」
……何だこの女。
挨拶もしていないというのにえらい失礼な人である。しかし一応先輩なので、苦笑にとどめる。
「まあ……どっちかていうと、老け顔とは言われます」
「ガラもあんまよーないなぁ。Vシネとかの三下ヤクザ役で量産的に出てくるチンピラ顔やん」
「ははは。そうですか」
乾いた笑いをもらし、俺は半ば棒読みで言う。金髪女は舌打ちした。
「ち……おもろないなぁ。なにわろてんねんコラぁ」
「失礼しまーす! こちらドリンクになります!」
すでに料理は置かれた机に、店員が飲み物を運んでくる。朝倉先輩は巨峰サワー、メンチ切ってる金髪と前髪はビール、未成年者である俺たちにはソフトドリンクだ。
「おもんない。おっさん、お前もノンアルかい」
「あはは。未成年なので。おっさんはやめてもらえますか?」
頭突きしたくなるのを堪え、俺はウーロン茶のジョッキを受け取った。矢木内はコーラだ。
「あたしらの時代は気にせんで飲んどったのになぁ~。最近の一年は根性ないわぁ」
「たかだか二、三年前じゃ変わらんでしょ。だいたい未成年者に飲ませたらウチらの監督問題っすよ。――それよりもほら、飲み物皆に生き渡ったみたいなので。会長、乾杯の音頭を!」
朝倉先輩に促され、金髪はふんと息を吐き立ち上がった。
この人が会長なのか。まあ仕切るのは得意そうであるが。
立ち上がった彼女に一同の視線が集まる。金髪は一度目蓋を閉じ、それから、カッ! とこちらを睨みつけ、
「――ええか一年どもッ、よく聞けッ! あたしがこの近代エンタメ文化研究会会長、中州端えまや。まずこのサークルに入るのを決めたお前らの目のつけどころは認めたる。いかにイキったところでお前らボンクラやろうがそこだけは多少他よりマシな部類や。このサークルは基本的に緩いしぬるいし自由やが、絶対の不文律、ゆずれぬ三カ条がある……」
そこまで一気に言って、金髪――中州端えま会長は一度息を整えた。左の前髪が「は、早くしろよ……泡が抜ける……」とつぶやき、頭を叩かれる。
「ええとトコや、黙っとけっ! ――それはなぁ……ひとぉつ! 近エン研のことは他言しないこと! ふたぁつ! 近エン研のことは、絶対に他言しないことッ!!」「二度言う必要あるんすか? そもそも公にしてるサークルだし……」
「い、言いたいだけだ。やらせとけ……」
両端からこそこそっと朝倉先輩と前髪が囁き合う。中州端会長は気にしない。
「みぃっつぅ! ――何か一つ、これだッ! というものに命かけて取り組めっ! 月に一回サークル内で経過発表っ! 採点制で低かった者には罰ゲームっ! この鉄の掟を順守する覚悟があるならぁっ、歓迎するから入ってこいやぁっ!!」
怒鳴り終えると、中州端先輩はぐぐぐっ、と右手のジョッキを突き出した。
「――ほなっ、乾杯!」
言ったものの、俺を含めた一年生は呆気に取られていた。というか引いていた。
「何や追ってこんかいっ!!」
「あ、ほら、かんぱーい!」
額に青筋立てて叫ぶ中州端会長。朝倉先輩が続き、促すように俺たちを見る。
『……かんぱーい』
極めてローテンションで言った俺たちを見て、中州端会長は「よしっ!」と一息でジョッキを空けた。
「おう、ねーちゃんおかわり!」
「あのすみません、店の中であまり大声は……」
「ああごめんなさい、もう終わりましたから……」
困ったような女性店員へ、朝倉先輩が素早く対応に回る。
気づけば周囲の客からも迷惑そうな視線が集まっていた。中州端会長は悪びれた様子も見せず、けっ、と悪態をついて、タコのフライを摘まんで齧る。
うしろの一年生女子グループは明らかに怯えた空気を出していた。矢木内は構わず
「あ、そういえばみんなは彼氏いるの?」とチャラけた態度で話しかけてるが。
朝倉先輩が耐えかねたように飛び出してきて、「大丈夫っすよ! ちょっと会長最初なもんで気合入れ過ぎてるだけですから! ――ほら、矢木内くん先輩とも話したらどうっすか!?」などとフォローに回っている。
「……さ、採点制ってのは、こいつが会長になってから決めたんだ……め、迷惑な話だよな……」
俺がうしろの席に顔を向けていると、手前の男の先輩が話しかけてきた。
「そうなんですか……あ、俺は文学部言語文化学科、蔵坂暁です」
「こ、……工学部、情報社会学科、市ヶ谷紘一……よ、よ、よろしくな……」
言って、市ヶ谷先輩は口元だけでニッと笑った。多少個性的だがまともの範疇にある人のようだ。
「おいコラ一年、何ヤローだけで話しとんねん。会長さまにも自己紹介しろや」
「聞こえましたよね?」
「なっまいきなガキやなぁ~。――まあええわ、うしろのヤワなメスどもはあたしの相手できそうにないしな。あんた、ちょっとは根性ありそうやん」
着ているスカジャンの胸ポケットからタバコを引き抜くと、中州端会長は一本摘まんで口にくわえ、マッチを擦って火を点けた。
おっさんも癪だがガキと呼ばれるのも腑に落ちない。俺は睨みつけてくる会長の視線を正面から受け止めた。
「ほぅ、ええ度胸や。お前、今日飲ますから覚悟せぇや」
目を細め、妖艶な笑みを浮かべてそう言った。
「すみません、店内禁煙で……」
「だらっしゃぁぁぁっ!!」
「ああ、すぐ消しますんで、すみません、すみません……」
注意する店員に噛みつく会長、そしてフォローに入る朝倉先輩。
市ヶ谷先輩が携帯灰皿を取り出し、会長の手からタバコを奪ってもみ消している。
何となく、このサークルでそれぞれの役回りがわかった気がした。――が、それで天宮先輩がどういうポジションにいるのかは、まだ想像できなかった……。
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