第五話 弱い立場での交渉はこちらから手の内を晒せ。にゃん☆


「……揉めてたわけじゃないです。ちょっと、面食らっただけで」


 視線を逸らし、俺は歯切れ悪くつぶやく。


「あちゃ、新入生だったんだぁ……こりゃちょっと気まずいっすねぇ~。……まあ近くだし、会うこともあるかぁ」


 困ったように言ったが、すぐにまみまみはにへら、とした緩い笑みを見せた。

 自分に落ち着くよう言い聞かせ、俺は彼女を正面から見つめる。矢木内が「なになに、面白そうな話じゃん。教えて!」とせっついてくるが無視。

 平常心だ。俺としても思わぬ再会であるが、これはチャンスである。


「えと……先輩、名前は何て言うんですか?」

「朝倉っす。朝倉まみ」


 気さくに名乗り、朝倉先輩はニコリと微笑む。


「朝倉先輩。折り入って、お聞きしたいことがあるのですが……」


 ずいと、俺は目線を低くして彼女に迫った。

 朝倉先輩は穏やかな顔のまま、俺の真剣な眼差しを受け止める。


「何すか?」

「天宮先輩――天宮さくらさんのことです」


 ほんの少しだけ、朝倉先輩は目を細めた。


「――申し訳ないっすけど、店の娘のことでお客さんと個人的な話をするのは禁じられてるんす。理解してください」


 あくまで丁寧に――しかし薄い壁一つまとった声に切り替え――朝倉先輩ははっきりと言った。

 さすがにガードは厳しい……だが。


「変な意味で言っているんじゃないんです。天宮先輩がどうして今みたいな感じになったか、俺は知りたいだけなんです」

「申し訳ないっすけど」


 同じトーンで朝倉先輩は繰り返す。

 店で受けた印象はしっかりとした対応ができる人という感じだった。接客スキルだけでなく、他人のプライバシーを守ることの大切さも理解しているのだろう。

 それでも――。 


「客じゃなくて、天宮先輩の後輩として知りたいんです」


 彼女の目を見つめて、俺は一字一字、ゆっくりと告げた。

 朝倉先輩は細めていた目を丸くする。俺は続けた。


「高校時代、あの人は俺の憧れでした。強くて、華があって、自信に満ちていた――そしてそれに見合うだけの努力をしていた。俺もあの人みたいになりたくて、あの人に追いつきたくて、空手を続けてきた」


 脳裏に過去の記憶が過る。ともに稽古し、発破をかけられ、試合で負けて泣いている時には慰められた。

 自分が弱いと知ることができれば、次はもっと強くなれる――そう言って。


「俺にとって、あの人はずっと目標だった……だから約束したんです。大学に入って、俺が今よりも強くなったら、もう一度組手をしてくれって」


 喋っているうち言葉に熱がこもっていた。朝倉先輩はまじまじと俺を見ている。


「……でも、あの人は空手を辞めてしまった。だから知りたいんです。あんなに頑張っていたことを、そんな簡単に辞められるものなのか。何かきっかけがあったのか、何が彼女をそうさせたのか――それを確かめないと、俺は納得できないんです……!」


 言い終えてから、気まずさを覚え目を伏せた。


「すいません、ちょっと感情的になりました……」

「――そうっすか」


 一拍の間を取り、朝倉先輩はほうと息をつき頷いた。それから俺たちが読んだ冊子をトントンと机で叩いてまとめ、山に戻した。


「あなたの言い分はわかりました。さくにゃんの後輩だってことも、本当だと思います。……だけどね、ウチとキミは他人だし、そのキミにさくにゃんの個人的なことを話してしまうのは、ウチが自分で定めているルールを破ることになるんです。言っている意味、わかりますよね?」


 朝倉先輩の声は優しかった。俺に言い聞かせるよう、ゆっくりと話す。


「……はい、わかります」


 そう言われたらこれ以上の反論はできない。俺はぐっと気持ちを飲み込み、頭を垂れた。


「すみません。わかってはいたんですけど、何て言うか……」

「――ただしね、もしキミがうちのサークルに入ってくれるなら、キミとウチはサークル仲間ってことで、もう他人じゃないっすよね?」


 弾かれたように顔を上げると、朝倉先輩は含みのある笑みを見せた。


「ならウチの知ってる範囲で、さくにゃんがNGと思うこと以外なら教えますよ? もちろん、あとでさくにゃんに報告しますケド。まー正直ウチよりもしずはさんの方が事情は詳しいと思うんすんよねぇ。あの人なら変なことも言わないだろうし……あ、なんだったら段取り付けますよ?」


 食い入るように俺は見つめる。隙のない笑顔を朝倉先輩は崩さない。


「――入ります」

「おけ☆ じゃ、LINE交換でもしますか」

「なになに、暁入んの? じゃ、俺も入ります! 親友ですから!!」


 誰が親友か、と俺が言う間もなくスマホを取り出す矢木内。仕方なく二人で朝倉先輩とのID交換を済ませる。


「よっしゃー、二名ゲット! あ、入会希望欄にも名前と学部書いておいてくださいね~」


 何だかうまく丸め込まれた感もあるが、いい。入学以来、落ち込み続けてきた中で一筋の希望を掴んだ気がした。


「明日の夜に新入生歓迎コンパやりますけど参加できます? 詳細は送りますけど」

「行けます行けます! な、暁も参加するよなっ!!」

「天宮先輩は来るんですか?」

「さくにゃん気分屋だからなぁ~。行けたら行くって言ってましたケド」


 ……来ないヤツの常套句だ。しかし今後とも付き合うことになるなら、先輩方や同期に挨拶をしておくのも筋だ。


「わかりました、俺も行きます。――ところで先輩」


 ひと段落着いたところで、俺はおもむろに冊子に手を伸ばし、気になっていたページを開いた。


「……これって男同士ですよね? ってか、こういう年齢制限かかるようなイラストをこんな一般展示で出していいんですか?」

「ああ、俺も思った。ホモやん」

「――ホモではないです! BLっすっ!!」


 出会って一番、圧倒的な声量と熱意を込めた声で朝倉先輩は言い切った。


「いや、BLってホモでしょ」

「かぁ~っ!! これだからバンビーピーポーはッ!! 何でジャンルを細分化しているか! ということについて考えたこともないんでしょうねっ! そもそもBLというのは肉体的な接触よりもむしろ精神的な信頼感に重きを置いた表現でして、やや穿った見方とも思われがちな異性だから抱けない感情をあえて恋愛として転化したことでその歯がゆくも騙せない純粋なリピドーを表現的に見せるというか魅せるため」

「でも、先輩が描いているのは思いっきり肉体的なアレな気が」

「絵で表すにはっ、それが一番なんですッ!!」


 ドンッ! という効果音が背景から聞こえそうな勢いで、朝倉先輩は再度言い切った。


「何すか。気になるんすか。話しますか。食堂行ってこれから小一時間語りますか」

「いや……大丈夫です」


 何やらよくないスイッチを押してしまったようだ。

 俺と矢木内は「じゃ連絡お願いします」と言い残して一礼し、そそくさとその場をあとにした。


「何かさぁ……ちょっとかわいいと思ったけど結構ヤバそうだなぁ、あの人。大丈夫かよあのサークル?」


 お前には言われたくない、と思ったが、同意する気持ちは否定できなかった。

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