第三話 リスペクト? それはお前の自己満足だ。にゃん☆


「来たの、三日くらい前だっけ? もしかしてハマちゃった~?」


 高めの声で話す彼女。俺は答えず、しばしその顔を見つめた。

 口元に浮かんだ笑みにはやはり面影がある。あの頃は稽古でかいた汗で落ちるからと、メイクもほとんどしていなかった。


「どしたん?」


 不思議そうに、天宮先輩は小首を傾げる。一年ですっかり変わってしまったらしい口調にペースを乱される。

 俺は慎重に言葉を探し、そしてゆっくりと口に出した。


「――天宮先輩。俺、玉林大学に進学したんですよ」


 ぱちくり一度瞬きして、天宮先輩は微笑んだ。


「そいえばLINE来てたね~。ごめんごめん、忙しくって、返信忘れてたっ☆」

「いや……まあそれはいいんですが……」


 こういう大雑把さは昔からある。だから気にしてはいなかった……いやまあ少しはしてたけど。


「今日入学式だっけ? だからスーツなんだぁ☆」

「はぁ……まあ」


 俺が着ているのは紺のスーツと朱色のネクタイだ。着慣れていないせいもあり、この恰好でうろつくのは落ち着かない。


「うん、いいじゃん! 暁くん身長あるし、カッコいいよ☆」


 (^。^)と笑って天宮先輩は俺の肩を軽く叩く。

 それからスマホを取り出し(レースのどでかいリボンが付いてて使い辛そうだ)時間を確認すると、天宮先輩は「んー」と右の人差し指を口元にやり、思いついたように、古ビルの間にある路地通りを指した。


「シフトまでまだ時間あるから……入学祝! ジュースおごったげるっ!」


 いたずらっぽく笑い、天宮先輩はウィンクをした。



「何がい~い?」

「じゃあ、スプライトで」


 サイフに入ったICカードを押し当て、天宮先輩はスプライトとエナジードリンクを購入した。


「どうぞ☆」

「……ありがとうございます」


 俺が受け取ると天宮先輩はスカートを揃えて自販機前に腰を下ろし、肩に掛けたバッグからストローを取り出すと、開けたエナドリに差し入れた。

 少し迷ったが、俺は彼女の横に立ったままスプライトのプルトップを引いた。

 路地裏だが駅前に近いということもあり、人通りはそこそこある。通行人はリクルートスーツみたいなのを着ている俺と地雷系ファッションの先輩の組み合わせに怪訝な視線を向けるが、関わることもなく去っていく。


「何で玉林大学にしたの~?」


 しばしの沈黙のあと、エナドリを啜っていた天宮先輩が不意に言った。


「え?」

「進学先。地元からも結構遠いし~」


 マスカラで一段と大きく映えた、黒い瞳が見つめてくる。


「……まあ、一人暮らししてみたいってのもあったし、行きたい学科もあったんで」

「ふ~ん」


 ちゅー、と音を立てて天宮先輩はストローを吸っている。俺もスプライトを一口飲み気持ちを落ち着けた。


「――暁くんは、地元残って道場で空手続けると思ってた」


 ポツリと、天宮先輩が独り言のようにつぶやいた。


「慕ってる子も多かったし、先輩にも好かれてたじゃない」

「居心地はよかったですけど、それで自分の将来の幅狭めるのも癪じゃないですか。こっちにも同じ系列の道場はあったし、強い人もいるって聞いたんで。あんまり迷わなかったです」

「そっか。相変わらず真っ直ぐ生きてるね、キミは……」


 少し声を落として、天宮先輩は言った。心なしその口調は昔の彼女に近い気がする。

 俺もだいぶ落ち着いてきた。気を取り直し、天宮先輩の顔を見る。


「先輩。先輩は、どうして空手を辞めたんですか?」

「それ、三日前にも言ったよ?」


 口元に微笑を湛えて答える。今度は目を逸らさなかった。


「あれじゃあ返事になってないです。先輩の凄さや尽くしてきた努力を俺はよく知ってるつもりです。あれだけ実績を残して、あれだけ頑張っていたものを……どうして辞められたんですか?」

「――やりたいことは全部やっちゃったし、他にしたいことができたから、かな」


 少し考えてから言うと、先輩は曇った空へ目をやった。


「目指していた日本一にも三年連続でなった。段位は二段まで上げた。国際大会でも優勝した。もうこれ以上、空手でやることはないかなーって思ってさ」

「先輩なら男子の大会に出ても入賞できますよ!」

「でも出れないからなぁ……」


 表情を消し、つまらなそうに天宮先輩は言った。何と答えていいかわからず、俺は口ごもる。


「それならさ、いっそまったく別のことしてみるのもいいかな~、って」

「それで……メイド喫茶でバイトしてるんですか?」

「そうだよ、悪い?」

「別に悪くはないですが……」


 微妙な気まずさを覚え、俺はスプライトに口をつける。


「暁くんはキョーミないかもしれないけどさー、わたしはね、こーいうカワイイ服着てカワイイ店で働くことも、してみたかったんだよねっ」


 キミが新しい環境を求めてこっちに来たみたいにね、と続ける。


「進学はいい機会だったし、空手やってた自分以外にどんな自分になれるか試してみたかった。だから今、とっても楽しいよっ☆」


 立ち上がり、天宮先輩は眩しくなるような笑みを見せる。


 ……本当に、そうなのか。


 その表情は彼女が楽しい時に浮かべる笑顔だ。強敵に相対した時、目標を達成した時、後輩の俺たちの成長を見て向けた笑顔と同じだった。

 ならば彼女は、今の生活を本当に楽しんでいるのか。


 ……だけど、それなら。


「俺との約束は?」


 顔を俯かせ、俺は天宮先輩を見ないようにして訊いた。


「ん~何だっけ?」


 能天気な声で、天宮先輩は聞き返してくる。


「俺が黒帯取ったら……また、戦ってくれるって」


 彼女が卒業したあの日、道場でかわした約束。

 あの時の俺では及ばなかった。だけど、次会う時にはもっと強くなると決意した。

 そのために俺は――。


「あーあれ本気だったんだ?」


 目を丸くして言った天宮先輩の言葉に、俺は脱力する。


「いや……結構シリアスな感じだったじゃないですか」

「だって、女子の先輩とフツーそんなこと約束する? ギャグだと思うよ?」

「先輩は道場で一番強かったです。男も含めて」


 はっきり言い切る俺。複雑な表情を浮かべて、天宮先輩は顎を右の人さし指と中指で挟む。


「む~……誉めてくれてるのかもしんないけど。それ、凶暴って言われてるみたいで女子としてはビミョー。。」


 右拳を盗み見ると、人差し指と中指の付け根には拳ダコが残っていた。彼女が空手をやっていた証は今もある。


「ま、暁くんには悪いけどさ、人生って予定通りにいくとは限らないし。そこは気持ち切り替えて、新しい目標見つけて頑張って☆」


 飲み終えたエナドリからストローを引き抜き、そばの缶入れにポイと捨てると、天宮先輩は立ち上がった。


「……っ……先輩は……!」


 そのまま歩き出したうしろ姿に、俺は考えのまとらぬまま声をかける。


「本当に……空手に戻る気はないんですか……?」


 振り返り、天宮先輩は目を細めて俺を見つめた。

 ――そして口の両端を吊り上げ、


「今は、ないかな☆」


 そう言った。

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