第二話 キミは僕のこと友達って思ってるけど、僕はそうでもない。にゃん☆
三つの学部がすし詰めにされて行われた講堂での入学式を終え、俺たち文学部言語文化学科Bクラスは、文学部第二棟203教室に集められていた。
大学生になったらクラスなんて煩わしい区分もなくなるのかと思ったが、一、二年の間はどうもそうではないらしい。ゼミでの専攻を選ぶ三年生以前だと共通する講義を取ることが多いので、事前に割り当てておいた方が効率もいいのだろう。
文学部の男女比は1:3程度で、この教室にいるのも男子五人に女子十五人程。聞いてはいたが、肩身が狭く居心地はあまりよくない。
「加藤陽子です。高校ではテニス部で、テニスサークルに入る予定です。ロシア文学の中ではドストエフスキーが好きで、この学科を志望しました。よろしくお願いしますっ」
小教室の壇上では緩いウェーブのついた茶髪の女子がはにかみながら自己紹介を終えた。まばらな拍手があって、加藤さんは小さく頭を垂れて自分の席に戻る。
……よし。
五十音順、次は俺の番だ。長テーブル窓際、うしろから二番目の席を立ち前へ出る。
「蔵坂暁です。高校時代は空手の道場に通っていました。他国の人とコミュニケーションを取れるような仕事に就きたいと思い、この学科に入りました。よろしくお願いします」
媚び過ぎず無愛想にもならず。少しの緊張を抑え喋り終えると、おざなりに拍手が起きた。自己紹介なんてものは無難なのが一番である。
一仕事終えた気分で席に戻ると、不意に前に座っていた男子がこちらを振り返り、ニヤリと笑った。
「甘いぜ、キミ。あんなんじゃあ女子の第一印象にゃあ残らないぜ」
真中分けの髪、メガネをかけた三白眼のその男は、不遜な感じで語りかけてきた。
初対面で馴れ馴れしい。怪訝な表情で俺は見つめる。
「キミだって大学生活じゃあ早めに彼女作りたいだろ? ――ま、俺が見本を見せてやるよ」
言って、男は立ち上がり前へ向かう。
壇上に立った彼は一度教室を見回し、それから媚びへつらった笑みを浮かべて、
「どもども! 九州の方から来た矢木内佐助と申します! 大学に来たのは彼女作って遊ぶのが大きな目的なんですよねぇ~← 目下募集チュウなんで、いつでも来て下さいっ!!」
調子よさげな若干上擦った声で一気に言って、矢木内はパチン☆ とウィンクした。
……何だ、あいつ。
教室内は苦笑いを浮かべる者、感情を殺した真顔の者とえらい空気になっていた。気にした風もなく矢木内は颯爽と俺の前に戻り、どやっ! と流し目を寄越してくる。いやこっち見んな。友人だと思われるだろ。
「はい~それじゃあ皆さん、終わりましたね? これから一年間よろしお願いします。それではこのあと、講義履修の話なんですが……」
同類と見られてはたまらんと顔を背けていると、クラス担任である掛川先生が取り繕うように話し始めた。五十代半ばの穏やかな雰囲気の女性で、皆ほっとしたようにそちらへ意識を向ける。
「スマホからでもパソコンからでもできるのですが、期間厳守で。特に一年時はすぐに講義が始まるので、そこはしっかり守ってくださいね~」
緩やかに告げる掛川先生の説明を聞いて、俺は配られていたプリントにメモを取る。
前では矢木内が「合コンセッティングできたら誘ってやってもいいぜ。あとでLINE交換しようや」などとほざいているが、聞こえないフリをする。
ちなみに残り三人の男子は教室の反対側で固まっており、俺たちとは微妙な隔たりが生まれている。
何だこれは。俺が何かしたわけじゃないのに、なぜ初っ端から躓いた気分にならなくちゃならんのだ……。
「ま、そんじゃあとでな!」
やっと黙って前を向いた矢木内の背中をひと睨みし、俺はため息を噛み殺した。
※
「――お~い待ってくれよ、暁ー!」
履修説明の終了後、学部棟を出てキャンパス内から最寄り駅への道を早足で歩いていると、縋るようなあいつの声が背中にかけられた。
……馴れ馴れしい。名前で呼ぶな。
無視して行ってしまおうかと思ったが、これから関わる予定の同学科生をあまり邪険に扱うのもよくない。しぶしぶ立ち止り、俺は小走りで来る矢木内佐助が横に並ぶのを待った。
「何だ」
「何だ……って、つれないなぁ。同じクラスメイトじゃないか、仲良くしようぜ!」
テンション低めに言った俺の肩をバンバンと叩き、矢木内は、にっ! と歯を光らせた笑みを向けてくる。
真中分け、ギザギザした前髪以外特筆すべきトコロもない髪型、メガネの下は三白眼。背は俺よりも頭半低い中肉中背。
凡庸な見た目の割にその性格だけは異様に濃い。コイツに対する率直な感想だった。
「なぁ、これからサークル棟の方行ってみね? 新入生勧誘、色んなトコがブース設けてやってんだって!」
「俺はサークルには入らない」
「えっ! じゃあどうすんの? 部活? そういや空手やってたとか言ってたよなぁ」
「大学の部活に入る気もない。近くに道場があるから、そっちに通うつもりだ」
「え~何だよそれもったいねぇ! せっかくキャンパスライフが始まったんだから、もっと大学での関りを大事にしようぜぇ~」
うるせぇ余計なお世話だと張り倒したくなるのを堪え、俺は無遠慮に絡みついてくる矢木内の手を振り払った。
「サークル回りたいんなら、他の連中と行けばいいだろう」
「あー他の男子? あいつらはさ、内部生出身らしいんだよ」
つまらなそうに、矢木内は、へっと鼻を鳴らした。
「ここ来た先輩が言ってたけど、内部生上がりって繋がり強いらしいんだ。で、外部のヤツらを下に見てるっていうか、身内だけで団結してるっていうか……」
そういう空気をまとっている雰囲気はわからなくない。下に見てるとまでは思わないが。
「そういう中でさぁ、下手に出てまで仲間に入りたくはねぇんだよな。居心地もよくないだろうし」
自己紹介で自らの立ち位置をどん底に落とたヤツが何を言う、と思うが、本人は気にしてない……というか、わかってすらもいなそうだ。ある意味大物なのかもしれない。
「だからさー外様同士、つるもうぜぇ。暁だってサークルや部活に入らないなら、学科でダチ作るしかないっしょ?」
再びニッ! とした笑みを投げかけ、矢木内はスマホを取り出した。
「とりまLINE教えてくれよ」
いけしゃあしゃあと言ってくる。
空気を読めないしウザい。性格は悪くなさそうだが……。
確かにコイツの言う通り、大学内での人間関係が希薄過ぎるのも辛い。俺はそこまで積極的に繋がりを作るタイプでもないし。
これも縁だと思っておくのが吉か。
「――わかった。だけど、今日はこのあと予定あるからサークル巡りには付き合えないぞ」
スマホを取り出してQRコードを読み込ませながら、俺は矢木内に言った。
「えー……ま、いっかぁ。今日から三日間は四時からやってるらしいからさぁ、明日は付き合ってくれよぉ」
「俺は入らんぞ」
「いいからいいから。付き合ってくれるだけで」
チャラけた顔で言ってくる。
「……わかった、明日の四時からな」
スマホをポケットに戻し、歩き出す。
「で、今日はこのあと何の用なの? もしかして彼女?」
並んだまま、矢木内はしつこく訊いてくる。
「違う……俺は一人暮らしだから、買い物とかしないといけないんだよ」
「マジかぁ! いいなぁ~俺兄貴と同居なんだよ。あ、ちょっと家寄っていい?」
「ダメだっ!」
ここまで耐えた反動か、今日一番の声量で俺は怒鳴り声をあげた。
※
何だよこれから長く深い付き合いになるんだからさぁ、宅飲みでもして絆深めて明日のサークル見学の作戦会議しようぜぇ~――とのたまう矢木内を駅前で振りきり、俺はアパート最寄り駅にある商店街を歩いていた。
しつこい。本当にしつこい男だ。どういう育ち方をしたら初対面で他人にあそこまで踏み込んでこれるのか。
南の方の人間だから陽気なのか。いや、アレを陽気で片付けるのもいかがなものか。他の大多数の九州男児が偏見と反論するだろう。
LINE交換はしてしまったが、付き合いを続けることは一考した方がいいかもしれない。いらん不利益を被る気がする。
矢木内との今後の付き合い方を考えつつ、ビル地下のスーパーで野菜や総菜などちょっとした買い物をしたあと、俺は先日、三須と訪れたメイド喫茶『ゆりし庵』がある古ビル前に来ていた。
結局あの日、天宮先輩から聞きたいことは聞けなかった。……というか、目の前の人が本当に彼女なのか? という疑念を払いきれなかった。
〝先輩……何してるんすか……?〟
〝さくにゃんこって呼んでほしいなぁ~。。アルバイトだにゃん☆〟
〝アルバイトって……空手は? こっちの方の道場に籍置いたんじゃ……〟
〝辞めたにゃん。だって、空手ってあんまりカワイクにゃくない?〟
〝辞めた……って! 進学してからも続けるって言ったじゃないですかっ!!〟
〝そんにゃこと言ったかにゃ~、、さくにゃんこ、生後三ヵ月の子ネコだから覚えてないにゃ~〟
〝ふざけないでくださいよっ! だったら俺は何のために――〟
〝ご主人~悪いんだけどさ~。さくにゃんこと知り合いみたいだけど、あんまり大きい声出すのは他のご主人に迷惑だから――〟
あの時割って入ってきたのは、しずはというカウンターにいた年配のメイドだった。気だるげな笑いを浮かべながらも目だけは笑っておらず、荒事に慣れている気配もあった。
……ここでコトを大きくしても、面倒になるだけだ。
気持ちを抑え、出直してきますと言った俺に、しずはは「あい、今回はキャンセルでいいから~」と慣れた様子で答えていた。
三須は名残惜しそうにし、天宮先輩は「またにゃ~☆」と手を振っていたが、俺はその姿を直視せず、早足で店をあとにした。
三須にはラーメンを奢り、今日見たことは道場で話すなと強く口止めして帰した。
それが三日前。昔の記憶が夢に出て、この三日間はよく眠れなかった。
――で、来てしまったが……。
買い物袋を右手に下げ、俺は途方に暮れていた。
今日、天宮先輩はいるのだろうか。いたとして、俺は彼女に何を言えばいいのだろうか。
聞きたいことは三日前と同じだ。何でメイドをやってるのか。なぜ空手を辞めたのか。
その答えはもう聞いた。いや、納得できる答えではないが……それでもさらに問い詰めるとして、この前同様冷静でいられる自信はない。
「……まだ、早いか……」
心を整理しきれてないのか、平常心を保ってあの天宮先輩と向き合うことはできそうもない。
確かに面影はあったが、地雷系メイク、ハーフツインという髪型の彼女は俺の知っている天宮先輩ではなかった。
強くて、不敵で、稀に優しくて――肩にかかるくらいの髪を無造作に結び、飾らぬ姿でいた彼女はそれで十分美しかったのだ。
……ダメだ。
項垂れ、俺は深く息を吐いた。まだ無理だ。俺にはあの天宮先輩を受け入れる準備ができていない。
……これは逃避ではない。戦略的撤退というヤツだ。
自分に言い聞かせて回れ右をした俺は、すぐ傍まで近づいていた人に気づかず顔を合わせてしまい、凍り付いた。
「あれ~? 暁くん☆」
記憶に焼きついている声よりも、二オクターブほど高い声音。ピンクのふわりとしたシャツに黒いサスペンダー付きのミニスカート。
薄い赤色のアイラインの上には睫毛がほどほど盛られている。ハーフツインの根元にはサン〇オのキャラクターのヘアピン。
「……天宮、先輩……」
湧いて出た動揺をどうにか押し殺して、俺は彼女――天宮さくら先輩の名をつぶやいた。
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