第一話 さくにゃんこだにゃん☆


「――暁先輩、本棚はどうします?」

「ああ、右の壁際に置いてくれ」


 築三年。まだ真新しいといっていいマンションの窓の外からは春の空気が吹き込んでくる。

 四月三日。大学の入学式を三日後に控え、俺はこの賃貸マンションに引っ越してきていた。実家から軽トラックで運んだ荷物はすでに下ろし終えて、今は空手道場の後輩の手を借り大物の設置を行っている。

 家電は洗濯機と冷蔵庫にテレビ。ダッシュボードとちゃぶ台、プラスチック製の二段タンス、あとは三段の本棚だ。


「ここでいいすか?」

「うん。いい感じだな」


 へへっ、と鼻を擦る後輩――三須は高校二年生だ。高校は俺と違うが一年の頃から熱心に道場に通い、土曜に行う体力作りにもよく参加していた。

 引越しの手伝いも頼んだら快く引き受けてくれた、気のいいヤツだ。


「よし、と。……これでだいたい終わりだな」


 家具の設置を終えた部屋を見回し、俺は満足げに頷く。


「ベッドはないんすか?」

「蒲団派なんだ。その方が部屋広く使えるだろ?」

「あーまあ確かに。俺は低いと落ち着かないっすけど」


 言ってから、三須もまじまじと室内に目を向けた。


「いいなぁ~一人暮らし! 俺四人兄弟なんで、親には進学してからも実家から通えって言われてるんすよ~」

「俺は通いでもいいと言ったが、どうせだから出ておけと言われたぞ」

「それ、家計に余裕があるからっすよ~。俺なんていまだに弟と二人部屋っすよ? プライベートなんかねぇっての。AV見る時は絶対入ってくんなって釘刺しますもん」

「……それは確かにヤだな」

「ま、イロイロ貸し借りできんのはいいっすけどね。――あ~あ、親ガチャ外れたとは言えないけど~も少し経済的に余裕があるトコ産まれたかったなぁ~」


 放っておくと三須の愚痴はいつまでも続きそうだった。

 ……普段なら窘めるところだが、手伝ってもらったあとなので聞かなかったことにする。


「――そろそろ昼時だな。礼にメシ奢るから、街の方出てみよう」

「お、マジっすか!」

「朝から付き合ってもらったんだ、何でも食いたいもん言え」

「ここら辺は色んな店ありそうっすよねぇ~。ちょっと練り歩きますかぁ!」


 すっかり上機嫌になり、三須は小走りで玄関へ向かっていく。

 その単純さに呆れつつ、外に出る前、俺はもう一度部屋の中を見回した。


 ……新生活、か。


「暁さん何してんすか。早く行きましょうよ~」

「気分味わってるんだ。そう急かすな!」


 外から叫ぶ三須に返して、俺は肩をすくめ玄関へ向かった。


 ※

                              

 マンションから歩いて十分ほど、駅前の商店街は活気を見せていた。

 ギリギリ東京(ちなみに俺のマンションがあるのは神奈川県だ……)に入りベッドタウンであるこの街には、交通の利便さからたくさんの人が集まってくる。

 駅周辺には中型から高層のビルが建ち並び、俺たちと同世代の若者を中心に様々な年代の姿があった。


「ハマ駅周りと比べて心なし小奇麗っすねぇ。色んな店もあるし、住みやすそうじゃないっすか」


 きょろきょろとお上りな様を隠そうともせず、三須は見慣れぬ街の景色に目を輝かせて喋っている。


「ラーメン屋、めっちゃあるな……どれか入ってみるか」


 二、三軒、とんこつの香りがする店を通り過ぎたところで提案してみた。引っ越し作業で空腹の腹に食欲が刺激される。

 あーそれもいいっすねぇ~、とつぶやきかけた三須は、俺が目を向けていたラーメン屋から向かいのビルへ視線を移したところで、足を止めた。


「……どうした?」


 俺は三須の目線を追う。

 三須が見つめるのは変哲もない、三階建てくらいの小さな古ビルだった。食事する店があるようではないがよく見ると立て看板があり、手書きで描かれたイラストとともに


『メイド喫茶☆ゆりし庵 ↓』


 と、地下への階段が示されている。


「暁さん! メイド喫茶ですって! 入ってみましょうよっ!!」


 くるりと振り向いた三須は、こっちが戸惑うくらいのウキウキした表情で言ってきた。


「こーいう店って割高じゃないのか。メシの量も無さそうだし……」


 朝、軽い食事をとっただけなので昼はガッツリ食いたい。都会に来たテンションと物珍しさで好奇心をそそられるのはわかるが、食欲を優先する俺はラーメン屋の方に惹かれていた。


「いいじゃないっすかぁ! 俺、コンカフェって入ったことないんすよ~」

「この手の店なら横浜にもあるだろ」


 俺たちの地元のような田舎町じゃめずらしいかもしれないが、と胸の内で付け加える。


「や~、近場でそーいうトコロ行って、知り合いがいたら気まずいじゃないですか……」


 すっ、と目を逸らしてつぶやく。何かトラウマでもあるのだろうか。


「そうそう知り合いなんかと会うもんじゃないだろ」

「いや、そーっすけど! 見知らぬ街でツレといるのも何かの縁ですし!」

「学校の友達と行けよ」

「そーいうノリ、つき合ってくれるヤツ周りにいないんすよ~」


 俺だってつき合う義理はないと言いたいが、上目遣いに気色悪く見上げてくる三須のアピールは必至である。

 何が悲しくてヤローに媚びられて願い事を聞かにゃならんのだという気持ちにもなるが、一応何でも奢ると言った手前、無下にするのも気が引ける。


「……わかったよ。でも、高すぎるものは頼むなよ」

「あれ、もしかして暁さんも入りたかったんすか?」


 途端に無心の顔になりほざく三須。イラっとした。


「――あのゴル麺ってトコにするか。好きなもの頼んでいいぞ」

「あーウソウソっ! ここっ! ここにしましょ!!」


 踵を返そうとした俺の肩を掴み、三須は『ゆりし庵』を指さす。


「騒ぐなよ。みっともない……」

「すみませんでした。お願いですからここにしましょ」


 腰を九十度に曲げ、切実に乞う三須を蔑んだ目でしばし見つめ、それからは俺は、


「さっさと行くぞ。腹減った」


 と告げ、先導して階段を下りて行った。


 ※


「――お帰りなさいませぇ~、ご主人さまっ☆」


 浮いた砂糖を脳に染みこませるような甘い声。

 ファンシーな装飾をあつらえても無骨さを隠せない鉄扉を引き開けると、出迎えてくれたのは小柄、ややぽっちゃりでクセのあるボブカットをしたメガネのメイドだった。


「おかえりなさいませぇ~」


 入り口近くのカウンターでタブレット端末を眺めていたもう一人のメイドも、入ってきた俺たちに気づくとやや気だるげに挨拶する。


「二人……なんですけど、平気ですか?」


 店内の広さは二十畳程度。高校の教室くらいだろうか。入り口から向かって正面の壁にある巨大ディスプレイには何やらアイドルのPVらしきものが流れ、七席ある丸テーブルと椅子は二つが埋まり、それぞれ男客一人ずつにメイドが付いて語らっている。


「もちろんですよ~。当店のご利用は初めてですか?」


 ボブカットのメイドが慣れた調子で接客してくる。カウンターの中にいる黒いロングヘアーのメイドは軽く会釈して、またタブレットの操作に戻った。


「はい」

「ありがとうございますっ! ご主人さまお一人につき一時間のチャージ料が五百円、ワンドリンク制になっております」


 チャージ料って、バーとかキャバクラでかかる席料じゃなかったか。なるほど、メイド喫茶というのも基本的にそのシステムなのか。

 先月まで高校生だった俺と未だ高校生の三須ではそんな店に入った経験もない。席料だけで金を取るという感覚には違和感を持つ。


「プラスお席にメイドが一人~三人までついて、メイドにもワンドリンクとなっております」

「ほお」


 要するに酒のないキャバクラな感じか。

 そういう目的ならいいだろう。が、やはり食事目当てで入る店ではない。問いかけるよう三須を見たが、浮いた内心を隠そうともしない表情をしている。


 ……仕方ない。


 ラーメン屋で昼食をとるよりは大分高くつきそうだが半日付き合ってもらったのだ。こいつともしばらく会えなくなりそうだし、最後に多少気前いいところを見せてやるか。


「わかりました。えーと、食事もできるんですよね?」

「もちろんです! お席にメニュー表があるので、お好きなのものをどうぞ!」


 ボブカットのメガネメイドは満面の笑みで言ってくる。

 俺たちともそう変わらない歳だと思うが、接客のなんたるかを心得ているという風格を感じる。都会で色んな人間を相手に仕事をするとこういう自信もつくのだろうか。


「じゃあ一人つけてもらって……ドリンクは先?」

「はい。こちらからどうぞー!」


 カウンターに置かれたメニュー表を取り、メガネメイドはまたにこりと笑う。右の胸のあたりに〝まみまみ〟というネームプレートがついていた。


「俺はウーロン茶で。――おい、お前はどうする?」


 締まりのない笑顔でまみまみを見ていた三須の腹を肘で小突く。


「あ、そうっすね! じゃあ俺はビール――」

「バカ、入学前に面倒起こさせるな」


 舞い上がっている三須の頭を叩くと、同じのでいいです、と俺は告げた。

 まみまみは微塵の動じも見せず、


「未成年のご主人さまにはお酒は提供できないんです。ごめんねっ☆」


 と、三須にウィンクを送っていた。

 あざとい。が、瞬間的にこういう対応ができるのはたいしたものだ。


「や、冗談ですって! 俺はメロンソーダでお願いしま~すっ」

「かしこまりましたっ!」


 まみまみは伝票に書き込むと、「それではご案内しますね」と言って、客席の方へ歩いて行った。

 丸テーブルの前に椅子を三つ用意し、俺たちが座るとまみまみは一礼してカウンターの奥へ引っ込んでいった。担当するメイドは彼女ではないらしい。


「残念すねぇ~……まみまみ当たりだと思ったのにぃ~……」


 心底無念そうに、三須はカウンターの方を名残惜しそうに眺めている。


「チョロすぎるだろ。お前、近くにこういう店あったらハマりそうだな」

「え~そんなこたないですよぉ~、まみまみがいい娘だからですって~。暁さん、俺女見る目はガチですからっ!」


 彼女もいないヤツが知ったようなことを。

 得意気に語る三須にイラっとし、さらに絡んでやろうとしたが、テーブル近く盆を持ったメイドが来ていることに気づき、顔を向けた。


「――お帰りなさいませ! ご主人さま☆ さくにゃんこ、ご帰宅してくれてとっても嬉しいにゃ! たくさんご奉仕しちゃうので、いっぱい楽しんでいってくださいにゃ~☆☆」


 盆をテーブルに置き両手で招き猫のポーズをとると、そのメイドは甲高い、よく通る声で言い放った。

 黒髪ハーフツイン、目の下には薄い赤のアイライン、そして頭にはでっかい黒の猫ミミ。

 地雷系メイク、痛さ爆発且つカワイイ素振りを自信満々に見せる彼女の姿は――しかし、腹の据わった堂々たる迫力があった。


「わぁ~とっても可愛いっすねっ! あ、俺三須って言います! 今日はセンパイの引っ越しの手伝いでこっちの方来てて――」


 ペラペラと喋り出す三須の横で、俺はさくにゃんこを凝視したまま固まっていた。

 さくにゃんこの方も、猫のポーズと張り付いたような笑顔を浮かべたまま動こうとしない。


「……あれ、どうしたんすか?」


 事態に気づいた三須が俺とさくにゃんこを交互に見る。が、その言葉に答える余裕もなく、俺は震える唇でつぶやいた。


「…………天宮…………先輩……?」

「え……暁くん? ……と、三須くん……?」


 そう告げた彼女の声は自己紹介の時よりもツーオクターブほど低く――俺の知る、天宮さくら先輩のものだった。


「え? あ――天宮先輩!? えっ、すげっ、めっちゃ似合ってるじゃないっすかぁ!! あ、こういう時ってアレだ! も、萌え――」


 反射的に出た俺の加減なしの肘鉄が鳩尾へモロに入り、三須は崩れ落ちて嗚咽を吐く。が、そんなことはどうでもよかった。

 今、何よりも受け止めねばならない事実は、目前の地雷系媚び売り猫ミミメイドが、あの強く硬派でいつも不敵だった、天宮さくら先輩だということだった――。

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