その14:一緒に居ます!

 クーデター未遂事件から、数週間が経った。


 今日はよく晴れており、空には清々しい青色が広がっている。


 そんな空の下に変わらずそびえる魔王城の一室、幽谷の間。

 厳かな雰囲気に満ちた広間の中心で、魔王様とラスキス様は向き合って立っていた。


 私や他の偉い人たちが見守る中、2人はゆっくりと歩み寄る。


 1歩、また1歩と、タイミングを揃えて足を踏み出す魔王様とラスキス様。


 そうして、両者の間が1歩分くらいにまで縮まったところで2人は立ち止まる。


 数秒の沈黙があってから、魔王様が口を開いた。


「公爵令嬢、ラスキス。お前との婚約を破棄する」


「謹んで、お受けいたしますわ」


 短い宣言の後、揃って互いに礼をする。


 それから2人が踵を返し、またゆっくりと離れていくのを見届けて、私はホッと息を吐いた。


――これは、婚約破棄の儀。


 魔王様とラスキス様が、望まない婚姻から解放されるための儀式だ。

 あの事件の後に諸侯を交えて行われた話し合いで、これを執り行うことが決められた。


 婚約破棄、という言葉自体はネガティブに聞こえるけれど、ラスキス様は晴れやかな表情をしている。

 魔王様の顔も、心なしか明るい。


 私は不覚にも気付けなかったのだが、どうやら魔王様の方も内心婚姻を嫌がっていたのだと、先日本人の口から聞かされた。

 その理由は教えてもらえなかったけれど。


「これにて、婚約破棄の儀を終了致します」


 進行役によってそう締め括られたのち、魔王様とラスキス様は幽谷の間を出る。

 私はもちろん魔王様について行き、控室まで一緒に戻って行った。


「お疲れ様でした、魔王様!」


 扉を閉め、私は労いの言葉をかける。

 魔王様は「ああ」と返し、ソファに腰掛けた。


 そうしてしばらく休んでいると、コンコンとノックの音がして、ラスキス様が入って来た。

 彼女は早くも着替えを終えており、先ほどよりも少しラフな服装だ。


「ようやく肩の荷が下りましたわね」


 ラスキス様はにこやかに言う。


「もう行くんですか?」


「ええ。これから帰って、家との縁を切ったら、今晩にも出立いたしますわ。彼が待っていますもの」


 恋人さんは、既に人間界へと帰還している。

 あっちでラスキス様との婚姻の準備を進める、とのことだ。


 思えば彼にも随分とお世話になった。

 ゲートの件もそうだし、魔王様の功績を皆さんに伝えることでクーデターを収拾に持って行けたのも、彼のおかげだ。


 ラスキス様いわくあの時、魔王城の中からバルコニーに向かう途中で、恋人さんが「もしや」と思い立ち、資料を探し届けることを提案してくれたのだそう。


 あれが無ければ私も魔王様も自分の間違いに気付けなかったし、ラスキス様や他の皆さんも誤解しっぱなしだっただろう。


「お前にも、恋人にも……多くの迷惑をかけてしまった。すまない」


 魔王様がソファから立ってそう言うと、ラスキス様は肩をすくめた。


「お気になさらず。婚約に乗り気でなかったのも、過ちを犯していたのも、お互い様ですもの。ま、彼は別ですけれど! せいぜい彼に感謝してくださいまし」


 彼女は得意げに笑う。

 本当に、恋人さんのことが大好きで誇らしいのだろう。


「さて、クィンテさん」


「はい?」


 微笑ましい気持ちになっていると、不意にラスキス様が私の方に近付いて来た。

 ぐいぐいと私の腕を引き、部屋の隅まで連れて来てから、彼女は小声で話し出した。


「わかっておりますわね? 私が居なくなるからと言って、油断してはなりませんわよ。魔王城関係者、いえ魔界全体の歩み寄りによって魔王様の印象も改善されつつある今、恋敵は増えるものとお考えになってくださいまし」


「はい! 頑張ります! あ、でももし相手が地位のある方だったら、魔王様にとってはそっちの方が……」


「それは度外視で結構! 大事なのは気持ちの強さ、そして勢いでしてよ。よろしくって?」


「は、はい」


 私が首肯したのを見て満足げに頷き、ラスキス様は私から離れた。


「それでは、ご機嫌よう!」


 彼女は心の底から上機嫌な足音を立てて、部屋から出て行った。

 残された私は、とりあえず魔王様のお傍に戻ることにした。



***



 さて、儀式が終わっても今日の仕事が終わったわけではない。


 昼食を摂ったのち、魔王様は書類を捌くために執務室へと向かった。

 無論、側近の私も一緒である。


「…………」


 静かな部屋に、カリカリとペンを走らせる音が響く。

 私は日常の幸せを噛みしめつつ、書類をひとつひとつ確認していく。


「クィンテ」


「はい!」


 名前を呼ばれてパッと顔を上げれば、魔王様が物言いたげな表情でこちらを見ていた。


「少し、その……相談、したいことがある」


「!!」


 相談!


 あの事件以来、魔王様は少しずつ、人と協力するということに慣れようと努力している。

 が、それでもまだ、あちらから事を持ちかけてくるのは稀だ。


「はい、何でしょう!」


 私は張り切って耳を傾ける。


「人間界との関係を改善したい。争うよりも、手を取り合った方が魔界の利益になる。だから……今度の会議で人間界との和解策を提案したいと思うのだが、どうだろうか」


「良いと思います! とっても!」


 私が全力で頷くと、魔王様は安心したように小さく息を吐いた。


 さすが魔王様。

 苦手を克服しようと頑張る姿もカッコいい。


 増すときめきを感じながら、私は魔王様を見つめる。


「あの、魔王様!」


 やがてどうにも辛抱ならなくなって、口を開いた。


「私、魔王様のことが好きです! ずっとずっと、いつまでも一緒に居ます!」


「そうか」


 魔王様は短く返事をする。


 しかし。


 やや間を置いて、頬を赤らめ。

 小さく、言葉を続けた。


「……ありがとう」

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