その7:潜入します!

 魔王様は裏庭の端まで移動すると、私の手を取ってふわりと宙に浮いた。


 引っ張り上げられるような形で、私の体も空中に浮がぶ。

 それから認識阻害の魔法をかけて、魔王様は更に高く飛び上がった。


 生まれてこの方、体験したことのない、鳥みたいに高い視野。

 物珍しさに私がキョロキョロしていると、その様子が怖がっているように見えたのか、魔王様は私を荷物ごと抱きかかえた。


 いわゆるお姫様抱っこだ。

 私は思わず勘当して声を上げる。


「うわあ……! 魔王様、実は力持ちだったんですね!」


「非力で魔王が務まるものか」


 魔王様は少し赤くなった顔をふいと背け、翼を羽ばたかせて北の方へと飛び始めた。


 自分のそれより小さな首元にゆるく腕を回して、私は特等席を堪能する。

 周りの景色はきれいだったけれど、カッコいい魔王様に見惚れるのに忙しくて、あまり眺める暇は無かった。


 そうやって飛行することしばらく、私たちは北方統括局の本部にほど近い、山の頂上に到着した。


 人間界に通じるゲートのひとつがここにあるのだ。

 実際に来るのはこれが初めてだが、重要な場所として位置はしっかりと覚えている。


 整備された道……ではなく、ちょっと外れたところを歩いて行くと、件のゲートが見えた。

 私2人分くらいの、大きな扉だ。


 けれども私は、ふと違和感に気付く。


「あれ? 門番の方が居ませんね。これじゃあ通れません……」


「問題無い。事前に話を通しておいた」


「あ、そうだったんですね!」


 ものの数秒で疑問は解消。

 気を取り直して、私は魔王様と一緒にゲートをくぐった。


 ぐにゃ、という不思議な感覚がして、まばたきひとつ。


 周囲の風景はさっきまで居た場所、ひいては魔界とは異なるものになっていた。


 見慣れないけれど、見覚えはある草木や空の様相。

 ここは人間界の、どこかの丘の上だ。


 私は胸いっぱいに空気を吸い込む。


「わあ、久しぶりな感じだ……! 魔王様、偵察先はどこですか?」


「あそこだ」


 魔王様が指差したのは、下の方……この丘の麓に広がる街。

 立派な建物が沢山並んでいるあたり、わりと栄えたところなのだろう。


「いいか、何があっても自分が魔王の側近だとは口にするな。魔界から来たこと自体も隠せ」


「任せてください! 絶対に言いません!」


 私たちは丘を下って街へと入っていく。


 街中では想像と違わず人があちこち歩いていて、お店の立ち並ぶ通りに行けば、もっと大勢の人たちが行き交っていた。


 ただしみんな、魔界の人たち――魔族みたいに角や尻尾や翼なんかは生えていない。

 全員、私と同じ人間だ。


 魔族と人間は外見で区別が付くので、魔王様は翼をマントの内側に仕舞い、フードで顔を隠している。


 今の魔王様は、人間界に1人だけの魔族だ。

 いつもの私とお揃いみたいで、ちょっと嬉しくなる。


「それで、何をしましょうか!」


「市場の様子を確認する。クィンテ、この金で好きに買い物をしてみろ」


「はい!」


 私は魔王様にお財布を渡され、人混みの中へと足を踏み入れる。


「凄い人の数ですね……! とっても賑わってます!」


 ガヤガヤと飛び交う声に負けないよう、大きめの声で私は言った。


 人にぶつかるといけないから、細心の注意と共に通りを進む。


 いろんなお店が両脇に並ぶ中で、私は何となく気になったところへ近付いてみた。


 かがんで見ればそこでは、色とりどりの美味しそうな果物が陳列されている。

 私はお財布を開けて、恐らく魔界には無い赤い果物を指差しながら、店主さんに声をかけた。


「こんにちは! これひとつください!」


「はいよ」


 店主さんはニコッと笑って、果物とお金を交換してくれる。

 更に彼は、同じ種類のものをもう1個手に取って私に差し出した。


「姉ちゃん、随分とでっかいな。1つじゃ足んねえだろ、おまけしてやるよ」


「わあ! ありがとうございます!」


 思わぬところで得をしてしまった。

 私は嬉しくて飛び跳ねたくなるのを抑えて、後ろで待ってくれているであろう魔王様の方へと戻る。


「えへへ、親切にしてもらいました!」


 そう言って、果物を見せようとした。


 が。


「あれ?」


 私は辺りを見回す。


 そこに居ると思っていた魔王様の姿は、影も形も無かった。


「まお……は駄目なんだった、えっと……ご主人様ー!」


 大きな声で、魔王様を呼ぶ。


 しかし、返事は無い。


「ご主人様、どこですかー!」


 いったい、どうしたのだろうか。


 私は大きいし可愛いし、遠くからでもよく見えるはず。

 加えて声も出しているのだから、すぐに気付いてもらえるに違いない。


 けれども魔王様は、一向に現れる気配すら無いまま。


「クィンテはここですよー! ご主人様ー!」


 私は通りを彷徨い歩く。


 すれ違う人たちが不思議そうな顔で私を見る。


 だがその中に、やはり魔王様は居なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る