24話:ハレ

「これが、百階層のボス部屋か……」

 ロンたちがダンジョンを出た数時間後、イゼンら白銀の騎士団も百階層のボス部屋前に到着していた。

 百層に突入してから半日程度。

 同じ百層といっても、セラのダンジョンの百層とは様相が大きく異なり、よくあるアリの巣状の洞窟型ダンジョンだ。

 そのため、ロンたちのように直線的な移動はできず、囲まれないようにモンスターも都度丁寧に倒さなければならならない。いくらマップがあるとは言っても、危険な最深層ともなるとまだまだ抜けは多く、進行にはどうしても時間がかかる。

 やっとボス部屋に辿り着いた頃には、四人はかなり消耗していた。

 流石にこの状態でボスに挑むほど愚かではなく、四人は魔法で岩のシェルターを作り、一度休息。交代で仮眠をとる間特にモンスターからの襲撃もなく、四人は比較的良好なコンディションを整えることができた。

 再度ボス部屋の前に立ち、鳶色の扉に手をかける白銀の騎士団。

「じゃあ行くよ。大丈夫、皆のことは僕が必ず守るから」

「ええ」

「私たちなら楽勝よ」

「作戦も立てたし、死角はないわ」

 皆と頷き覚悟を確認し合ってから、イゼンは軽く扉を押す。

 ガコン……。

 例にもれず封印扉はひとりでに開き、そこへ四人は素早くなだれ込んだ。そして、内側から触れて閉めなおす。

 一連のルーティンを済ませ、そこでやっとボス部屋全体を見まわしたところ……、

「なんだ、ここは……」

そこはまるで子供部屋のように、乱雑で、散らかって、汚れた空間だった。

 壁には、刷毛で思いのまま塗りつぶしたような青い染料の軌跡。床には、馬や人の形をした小さな石のおもちゃが所狭しと転がっている。

 そんな部屋の中央、わずかな光の中、青い人型が立っていた。

 百層ボス、ハレだ。

 スライムのような半透明の身体はそれ自体がぼんやりと青白く発光し、人の輪郭はしているが、目や鼻などの細かな部位は形成されていない。単純な、人のシルエットだけを形にしたような姿をしている。仕立て屋などでよく見る服を着せて陳列するための人形、それよりさらに凹凸が少ない。

「なにあれ。全然弱そうなんだけど」

「人型のスライム? 楽勝じゃない」

「みんな、油断は禁物だよ」

 外見からはさほど脅威は感じないが、それでも百層のボスであることに変わりはない。イゼンは三人に注意を促しつつ、聖剣を引き抜き、正面に構えた。

「作戦通り、まずは僕が様子を見る。はぁっ!」

 未だ微動だにしないハレに先制攻撃を仕掛けるべく、聖剣に魔力を通すイゼン。剣身が黄金の光を放ち、部屋の中を真昼のように明るく照らす。

 形成される光の大剣。フリンテに振り下ろし損ねた、奇跡の一撃。

「喰らえっ! 光神剣!」

 それを、ハレに向かって振り下ろす。ロンならこっ恥ず・・・・だと閉口しそうな技名と共に。

 ダアンッ!

 その軌跡は正確にハレの正中線をなぞり、そのまま床に激突。

 衝撃は部屋全体を揺らし、細かく割れた岩盤は土煙となり、転がっていた石人形が礫のごとく飛び散った。

「よしっ!」

「やった!」

「さすがイゼンね!」

「ふん! スライムの分際ででかい顔してんじゃないわよ!」

 聖剣技の派手な余波に、四人は思わず歓喜の声を上げる。

 受付嬢の忠告をよく聞いていたなら、このタイミングでこんな余裕は生まれなかっただろう。この後も抜け目なく観察し、警戒したはずだ。

 しかし、四人は聞き流していた。ハレの恐ろしさを、その力を。

 黒龍をも超える絶対防御、不死属性を。

「……えっ」

 収まりつつある土煙の先、部屋の中央。そこに立っている人陰にイゼンは気付いた。

 いるはずのない、倒したはずのボスの姿。

 その時である。

『ハハハハハ!!』

「うわっ!」

「なに!」

 四人の頭に、突然甲高い音が響いた。

 少年の笑い声のようにも金属音のようにも聞こえるその音は、部屋というより頭に直接響いてくる。

 同時に煙が完全に晴れ、先程から全く変化のないハレの姿が現れた。

 否、全く・・というのは語弊がある。

 顔と思しきパーツの下半分が、ぐにゃりと歪んでいた。まるで口角を上げているように。

 それを見た四人は、頭に響く奇音とハレの笑い声とを無意識に紐づける。

「僕の聖剣を受けて無傷だと! くっ、こんな敵は初めてだ」

 渾身の一撃が通じなかったことに目を見開くイゼン。尚、黒龍にもノーダメージだったため初めて・・・ではない。

「こんな防御力、聞いてないわよ!」

 聞いていなかっただけである。

『ハハハハハ!』

 再度響くハレの笑い声。

 絶えられないほどではないが、夏の虫の鳴き声のように脳を直接振るわされているような不快さがある。

「くっ、だったらっ!」

 イゼンは再度聖剣に魔力を通し、今度は横凪ぎに振るった。すると、三日月状の光刃がその軌跡から射出されハレに向かって飛翔。続けざまに二度、三度と聖剣を振るい、そのいずれからも同様の光刃が飛ぶ。

 連続で襲い掛かる三日月の刃。

 ハレはそれを回避もせず、すべてを体で受け止める。

 スッ。

 しかし光の刃は、ハレの身体をすり抜け背後の壁に激突した。

 いや、正確にはすり抜けていない。背後に通過した刃が二つに分かれている。ハレに触れた部分だけきれいに消失しているのだ。

 一切の衝撃も遅延もなく、まるで光刃がただの光であるかの如く。

「魔法ならどうだ……みんな!」

「ファイアボーゥ!」

「ライサンぜーっと!」

「波!」

 イゼンの指示のもと、三人娘が次々と魔法を放つ。

 炎弾、雷撃、水流。

 ハレの弱点を探るように様々な属性を試すが、いずれも結果は同じ。その青白い体に触れた端から消失していく。

「どうしてっ! どうして効かないのよ!」

「皆落ち着くんだ! 岩盤に立っているということは、岩属性の攻撃は有効なはず!」

「あいつちょっと浮いてるわ!」

「くうぅ!」

『ハハハハハ』

 ハレの不死属性を前に、手詰まり気味の四人。

 そんな彼らを嘲るかの如く、ハレの笑い声が響く。

「くっ! 調子に乗るな!」

 挑発ととらえたイゼン。それまで離れて斬撃を飛ばしていただけだったが、ここで前に出た。

 聖剣に魔力を込め、石人形を蹴飛ばしつつ距離を詰める。

 しかし動いたのはイゼンだけではなかった。

 身動き一つせず攻撃を受けていたハレが、右手を挙げたのだ。同時に、ハレの右側中空にその体と同じ青い球が出現する。人の頭程度の大きさの、ボールのようなものが。

「あれは……いったい何を……」

 受付嬢の話を聞いていれば、ハレの次の行動は予想できただろう。

 しかしイゼンはそのまま走り続ける。

 両者の距離は二十メートルほどに縮まったタイミングで、ハレが右足を上げた。

 その時、

「うわっ」

ハレの行動に目を奪われていたイゼンが、石人形を踏んで転倒してしまった。足の踏み場もないほど散らかっているため、当然と言えば当然。

「くっ!」

 イゼンが両手を床に突き立て、一刻も早く立ち上がらんとその腕に力を込めた時、


 ゴッ!!


 突然の旋風がイゼンを襲った。


「ぐああああっ!」

 進行方向と逆側に吹き飛ばされるイゼンの身体。

 石人形がガインガインと防具に当たり、隙間の肉がところどころ割ける。

 竜巻の中に突っ込んだかのように、転がり、ぶつかり、たちまちに方向感覚を失う。

 縦に、横に、永遠と転がされる。しかし実際には数秒ほどで旋風は止み、イゼンは倒れたままうっすらと目を開けた。

「いったい、なにが……えっ」

 周囲を見回し、そして驚愕する。

 ハレの前方。そこからまっすぐ、直線状に岩盤が深く抉れていた。

 その抉れた直線とぶつかる壁には、巨大なクレーターができている。中心にめり込んでいるのはハレの傍に浮いていた青白い球。さながら隕石が直撃したかのようだ。

 ハレはというと、先程まで上げていた右足が下ろされ蹴り抜いたような姿勢になっている。

「蹴ったのか? あのボールを?」

 受付嬢から耳にしたはずの情報。それを、イゼンは今更ながらに取得した。

 そしてその威力に愕然とする。

 破壊力では黒龍のブレスにも引けを取らず、発生速度は桁違いに速い。

「こんな威力、黒龍ですら見たことないわよ……」

 鱗舞だけであしらわれた四人は黒龍のブレスを目にしたことがなく、今の蹴り球が人生で見る最大の威力。その絶望的な破壊力に、背筋が凍る。

 たまたま転んでいなかったら、あのボールは間違いなくイゼンに直撃していただろう。

 だが……、

「皆落ち着いて! この威力なら連発はできないはずだ!」

イゼンは努めて冷静に判断し、仲間の混乱を鎮めようと声をかけた。

 それは、曲がりなりにも強敵と戦ってきたことによる経験則。

 確かに今までの相手であれば、高威力技の連発はなかった。黒龍の鱗舞ですらそれなりのインターバルを要していた。

 しかし、それは今まで・・・の話。

『ハハハハハ』

 四人をあざ笑うかのように、ハレは中空に青色のボールを出現させた。

 右足を引いて構えるその体勢は、今すぐにでも蹴り飛ばせそうなほど準備万端に見える。

「そんな、まさか!」

 明確な連発の気配。

『ハハハハハ!』

「全員、伏せろ――!」

 ゴゥッ!!

 イゼンが叫ぶと同時に、また旋風が巻き起こった。ボス部屋の岩盤に二筋目の軌跡が刻まれる。

 一発目から十秒も経っていない、超短間隔。

 そんな攻撃の中、奇跡的に四人は生きていた。

 イゼンは伏せたまま聖剣で防御を展開。三人娘も、マエノの防御魔法がかろうじて間に合ったおかげで風圧を防いでいる。

 ボールは、封印扉の横の壁を深々と抉っていた。

 とっさに伏せたおかげで風圧だけで済んだが、直撃すれば防御など容易く貫通されていたことだろう。

 しかし、いつまでも避け続けられるわけではない。

 このパーティはお世辞にも機動力が高いとは言えない上、タンク役が辞めてから代わりの人員も補充していない。

 もはやハレの攻撃を防凌ぐ手段はない。

「無理よ……こんなの……」

 マエノが絶望し、杖を取り落とす。

「絶対勝てない……」

 モトが後ずさりする。

「あぁ……あ……」

 キュウがへたり込み、覗いたパンツから黄色い水を溢れさせる。

「聞いてない……聞いてないぞこんなの!」

 そして、八つ当たり気味に喚くイゼン。

 そんな四人の反応などどこ吹く風。ハレはさらに青いボールを出現させる。

『ハハハハハ』

 まるで、今までのはウォーミングアップだとでも言わんばかりに。

「にげろおおおおぉ」

 戦慄。ついにイゼンが撤退を叫んだ。

 立ち上がって背を向け、死に物狂いで封印扉へと向かう。

 三人娘も同様で、一目散に外に向かって走り出した。

 四人はほぼ同時に扉にたどり着くと、内側から開け放ち外へ転がり出る。

 封印扉が閉まっている状態だと、ボス部屋は空間的に封印がかかった状態になるため、転移クリスタルでの移動ができないのだ。

 しかし外に出てさえしまえばその限りではない。

「急いで!」

「分かってる!」

 クリスタルを取り出すイゼンと、それを急かす三人。

ハレは既に足を引き、今まさにボールを蹴り飛ばそうと構えている。

 クリスタルが輝きだし、四人を包む。そして、

 ゴゥッ!!

 四人が転移したほんの一瞬の後、扉の前の空間をハレのシュートが抉った。

 転移は間一髪間に合い、そこに人の姿は無く、うめき声の一つも聞こえない。残されたのは、ごっそりと削り取られた岩盤の道とハレだけだ。

 封印扉が、開け放たれたまま。

 無敵のボスを縛るものはなくなった、

『ハハハハハ』

 その青白い足が今、嬉しそうにその敷居をまたぐ。


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